夢のあと
激しい衝動が身の内でうねり猛っている。もはや自分でも抑えることができず、破壊の力と化して放出される寸前、苛々の元がついに物陰から進み出た。
こちらへ向かって木剣を構える。表面は落ち着いた所作だが、内心は不安で満たされているのが瞭然だった。そのうえ腹立たしいまでに未熟だ。体中に余計な力が入っている一方で、身の軸は傾き芯はぶれ、重心の取り方もおかしい。
到底自分と戦える次元ではない。文字通り一撃で滅殺できる。向こうにもそれが分らないはずはない。なのにいったいどういうつもりなのか。
それは怯えて逃げ出すどころか、稚拙で隙だらけの構えのまま、じりじりと距離を詰めてくる。苛々する。本当に殺されたいのか。それほど人生に絶望しているのか。
終わらせるのはいとも簡単な仕事だった。振り上げた剣を振り下ろす、ただそれだけで済む。しかしまるでどこかの管が詰まってしまったかのように、意思が滑らかに行動へと移らない。
もしや何かの術にかけられているのか。そんな疑念が浮かぶが、ひとまず放置で素早く背後に振り返る。さっきから周りをうろちょろしている黒いやつだ。小賢しくも逆側に回り込み、ごみ粒のような気弾を飛ばしてくる。剣を操って易々と打ち落とす。問題ない。意図した通りに体は動く。うっとうしい黒い虫を先に片付けてしまうべく、足を踏み込む。
苛々が暴発した。
「ユリアー!!」
意味が分らなかった。木剣を高々と振り上げ突っ込んでくる相手の姿に、ほとんど衝撃を覚えていた。死角から攻撃を仕掛けたというのに、わざわざ叫ぶ必要がどこにある。馬鹿なのか。まさか刺し違えよういうつもりか。できると思っているのか。
もういい。全て終わりにしてやる。苛々の元凶を、今ここで断ち切るのだ。
赤黒い刀身を振りかざす。相手は既に打ち込む体勢だったが構わない。剣速は圧倒的にこちらが上だ。
逡巡を振り捨てるようにして刃を斬り入れ、しかし驚愕と疑問に塗り潰される。なぜだ。どうして途中で剣を手放した。初めから戦う意思がなかったのか。ならばなんのためにここまで来たのだ。
刃は止まらない。皮も肉も骨も髄も突き抜け、ついに胸の真中にまで至る。まさしく心臓の位置だ。絶対の致命傷のはずだ。刹那、自分まで貫いたかのような痛みが走る。
何が起こっている。何をしている。それは体を半ば斬り裂かれながら、さらに深く踏み込んでくる。
剣を捨てて空になった両手で抱き寄せられ、抱き締められる。息が詰まる。けれどそれだけだ。自分の方に損傷はない。まるで攻撃になっていない。意味が分らな――
「ユリア、目を覚ませ!!」
唇に柔らかいものが重なる。抗おうとするいとまもなく、温く濡れた柔みが口の中へ入り込む。鋭敏な場所を突かれたように背骨が震え、ゆくりなく開かれた身の奥へ火の玉のような熱が撃ち放たれる。
重く凝っていた殻が弾け飛んだ気がした。自分を覆っていた皮が剥がれ落ちる。自分の底に潜んでいたものが浮き上がり、揺れ動く。
苛々する? しない。むしろ逆だ。さっきまで自分を苛々させていた震動が、自分の発する波長に同期して響き合う。空の彼方にまで高鳴る。
自分が燃える。融けて粒子にまで還元された自分が再び形作られていく中で、赤黒い塊がひたすら歪だった。違う。これは自分ではない。だがそもそも自分とは誰だ。自分は、私は――
体が鋭く波を打った。波のうねりが腕へと達し、手から剣の柄を経て刀身に通ると、竜仁の背中から突き出た刃が眩しい白金の光を発する。同時に、それまでまつわっていた赤黒い色が、小さな塊となって分離する。
カナミ・ユリアは目を開いた。より正しくは、目を開いている己に気付いた。すぐ間近には逆に目を閉じた竜仁の顔がある。抱き締められている。唇を重ねられている。舌が触れ合っている。熱い息を吹き込まれている。
心が痺れている。体が今にも浮き上っていきそうだ。私はどうなってしまったんだ。いったいどうして竜仁様とこんなことを……こんなことを!?
「うわあっ!」
ほぼ無意識のまま力を込めて腕を突っ張る。聖剣に串刺し状態だった竜仁の体が結構な勢いで宙を飛び、廃ビルの床に叩きつけられて、そのまま動かなくなった。
おかしな夢から覚めたような気分で、ユリアは深々と息を吸って吐き出した。自分の現在置かれている状況が、まだ今ひとつ把握できない。
周囲は一面の闇だ。しかし霊視の利くユリアにとって、暗さは障害ではない。夜の狭間に蠢くものどもの気配をはっきりと察知する。取るに足らない小物ばかりだが、普通の人間にとっては危険な存在となり得る。放置はできない。
「そうだ、凛子の頼みで悪霊退治の助勢に来たのだ。そしてそのさなかに何かまずいことが起こったような気が……」
思わず肩に力がこもった。前方に人が倒れている。賀茂とかいう悪霊祓い師ではない。もっとはるかに大切な、ユリアにとって唯一無二の相手だ。
「我が君っ!」
叫ぶ暇もあらばこそ、傍らに走り寄ってひざまずく。竜仁はぴくりとも反応を示さない。
ユリアは推測する。おそらく賀茂と凛子を経由して、竜仁はユリアが思わぬ苦境に陥っていることを知った。そして我が身も顧みずに駆けつけ、ユリアを救うために尊い犠牲となったのだ。
「……私のせいだ」
痛ましげに声を発する。その開いた口元へ潜り込もうとするふうに、赤黒い塊がひょろひょろと近付いていた。
「失せろ」
視線も向けず拳を叩きつける。赤黒い塊はあえなく砕け散り、跡形もなく消滅する。
「竜仁様……どうか今は安らかにお休みください。この仇は私が必ずや取りましょう」
完全に白目をむいている竜仁のまぶたをそっと閉ざし、胸の上で両手を組ませると、ユリアは決然と面を上げた。
「おのれ、低級霊どもめ! 我が君にはこれ以上決して触れさせはしない。一つ残らず叩き潰してやる!」
白金の光が縦横に闇を払う。竜巻のごとき霊気が空間を席巻する。大中小の悪霊や魔物の類が、その度にごっそりとまとめて霧散する。それはもはや戦いと呼ぶべきものではない。一方的かつ徹底的な駆除作業だった。
「――はい。もうまもなく完了します」
超常の嵐が猛威を振るう廃ビルのすぐ外だ。賀茂忠正はひとけのない道路際に佇み、携帯電話を握っていた。声も表情も冷徹なまでに落ち着いている。だがもし明るい場所でその姿を眺めれば、黒スーツのそこここに汚れやほつれがあることが分るだろう。
「特に問題はありません……が、そうですね、頭を打って気絶している人間が約一名いるので、念のため病院搬送用の車の手配を願います。では」




