ネクストステップ
為すべきことを為し終えてトイレから出たユリアは眉をひそめた。ドアのすぐ外に鷹司凛子が立っていた。
「……使うのか?」
不審に思いながらもとりあえず脇へどく。しかしそうではないと凛子は首を振った。
「そこは掃除はいいわ。自分でやるから」
「なぜだ。私のやり方に至らぬ点があるのか? ならば指摘してほしい。改めたうえでやり直そう」
「ユリアちゃんって本当に真面目よね。だけど遠慮するわ。あくまで私の都合、っていうか気持ちの問題なの。察してくれたら嬉しいわ」
凛子の頬がわずかに赤くなっている。いまひとつ要領を得ないが、ユリアに非がないというのならあえてこだわることもない。
「もう終わりの時間だな。特に他に用事がなければ帰らせてもらおう」
「ご苦労様。だけど少しだけ残ってもらっていい? 話があるの」
ユリアがリビングのソファに座って待っていると、やがて凛子が紅茶を淹れて持ってきた。
ユリアが凛子の家に来ているのは、小間使いとして雇われているためだ。給仕は本来自分の役目だろうが、既に仕事用の衣装から着替えてしまっている。私的な時間ということにして、素直に厚意を受けておく。
「それで話というのは?」
「ユリアちゃんのお仕事について」
「今日で終了、ということか。分った。私のような者を過分な報酬で使ってくれたことに感謝する」
仕方がないことだとユリアは思った。こちらの世界の事情に通じてきた今は、己の働きに比べてどれだけ破格の待遇であったのか理解している。
そもそも凛子は自分の身の回りのことは自分でできる人間だ。要するにこの仕事は、黒騎士から助けたことに対する謝礼のようなものだったのだろう。既に十分義理は果たしたというわけだ。
だが紅茶を半分残して席を立とうとしたユリアを、凛子は素早く押し止めた。
「まさか、そんなわけないじゃない。うちの仕事はずっと続けてほしいわ。いっそのこと住み込みで勤めてほしいぐらい。私達きっと上手くいくわ。ユリアちゃんだってそう思うでしょう?」
「知るか。どのみち無理な話だ。私は我が君のお側を離れて暮らすつもりはない」
「試しに週一回、せめて二週間に一回ぐらいでもいいの。ぜひ考えてみて……だけどそれについてはまた今度ね。今日は別の仕事を頼みたいの」
「まさかいかがわしい話ではないだろうな」
ユリアは警戒の色を浮かべた。凛子の好意そのものは疑わないが、方向性については不安がある。
「さあ、どうかしら。でもユリアちゃんならきっと立派に果たせるわよ。あなたの一番素敵なところを知ってる私が保証するわ」
凛子は怪しく微笑んだ。
竜仁のアパートに帰ったユリアは、靴脱ぎ場から室内へ上がろうとして足を止めた。
明らかに竜仁とは違う声がする。それもまだ若い、むしろまだ幼いと言った方がいいぐらいの少女のものだ。切なく悶えるような悲鳴を上げている。
ユリアは怒らなかった。内に高まった圧力を抜くように、深く長く息を吐き出す。この部屋の主は竜仁だ。たとえどんな不埒な真似をしていようと、ユリアが咎める筋ではない。真っ直ぐに居室へと進み入り、竜仁の傍らに正座する。
「ただいま戻りました」
きっちりと挨拶をする。これは下僕として当然の義務だ。ことさらに主の邪魔をしようなどという意図によるものでないのはもちろんである。
「ああ……おかえり」
竜仁の視線の先では、ひどく丈の短いスカートをはいた少女が、玩具のようなステッキを振るいつつ怪物と戦っていた。敵の攻撃を宙返りでかわした拍子、裾がめくれて白い下着があらわになる。ユリアは握った拳をぷるぷると震わせた。気をつけないと画面を粉砕してしまいそうだった。
下腹に力を込めて、深夜アニメとやらが映し出されている機械から目を逸らす。
「……我が君、お話があるのですが」
「ふうん……え、今?」
「はい、できれば。私よりもその絵の中の子供の方が大切だというのでしたら、無理にとは申しませんが」
「……分ったよ」
竜仁はため息をついた。面倒そうに機器を操作して映像を止める。
「で、何?」
「恐縮です。先週の討伐の際に出会った者のことを憶えておいででしょうか。我が君が持て余した魔物をいとも簡単に滅却した男です」
「そんなにすぐ忘れるわけないだろ。だけど前も言ったよね。僕は何も知らないから鷹司さんに訊いてって」
「その鷹司から誘いを受けました。あの者と共に仕事をする気はないかと。悪霊退治、だそうです」
竜仁は瞬きをした。暫し黙り込んだのち、押し出すように言う。
「勝手にすれば」
「それは、やった方がいいという意味でしょうか?」
「いちいち僕に訊くなってこと。自分のことは自分で考えろよ」
竜仁はアニメ視聴に戻った。少女が再び怪物と戦い始める。どんな理由があるのかユリアは知らない。だがきっととても大事なことなのだろう。命を懸けるに値するほどの何かだ。
「……分りました。では考えてみます」
ユリアは面を伏せた。竜仁はもう返事をしなかった。




