ディスコミュニケーション
ユリアは愕然と目を見開いた。
「まさか、たったの二十回足らずで? 見たところお怪我などはされていないようですが……はっ、もしや悪しき竜の息吹に打たれたせいで、我が君の中身は腐り果てている? だからこんなにも情けないのか? ああ、なんとおいたわしい……」
「そこまで言わなくてもよくない? 運動不足なのは確かだけど」
しかしやはり朝っぱらから筋トレなど御免だ。
「もう出かけないといけないから。着替える」
「はい」
「……だから、着替えるんだけど」
「どうぞ」
ユリアに部屋から動こうとする素振りはない。竜仁は眉根を寄せた。それでようやく覚ったのか、ユリアは焦ったように腰を浮かせた。
「し、失礼しました、手伝えとの仰せですね。ただいまお脱がせいたします」
「もういいから……そこでじっとしてて」
竜仁は着替えを持って浴室に移動した。ユリアの鎧にも引けを取らないような勇壮な武者装束、などではもちろんなくて、量販店で買った綿シャツとチノパンである。
「参ったな。なんなんだよあの子」
謎の美少女とドキドキの同棲生活を始める。まさに夢のようなシチュエーションである。
だが冷静になって考えれば、なかなかに怖いものがあった。ユリアの纏っている鎧は異常に精巧な造りで、単なるコスプレの域をはるかに超えている。腰の剣も大変にリアルだ。まさか本物のはずはないにしても、たとえ模造刀でも持って歩けば違反になると、どこかで聞いた覚えがあった。
言動もかなりアレな感じだし、ぶっちゃけ通報案件ではないか。
だが可愛い。
それもちょっと目を惹くといったレベルではない。大袈裟ではなく、この世の存在とも思えないほどだ。例えば歴史に残るような芸術の天才が、現代の最新3DCGを駆使して創造したみたいな、ちょっと非現実的な美しさである。
姿の良さは素性の正しさを保証しない。理屈ではもちろん分っている。だがいかんせん竜仁は全く女子慣れしていない。どう対応すればいいのやら見当もつかない。
着替えを終えて、浴室の戸を開ける。
「お疲れさまでした」
美少女がじっと膝をついていた。竜仁は敷居に足を引っ掛けた。
「危ない!」
すかさず立ち上がったユリアに抱き止められる。鎧のおかげでひどく優しくない感触だったが、清々しくも優しい香りが鼻腔に入り込み、竜仁の心を大きく揺らした。
「どこか痛めたところはございませんか? 何やらお顔が赤いようですが。それに脈拍もずいぶんと速い。お調べします」
躊躇なく竜仁のシャツをたくし上げにかかる。ユリアの手を竜仁は慌てて振り払った。
「やめて、大丈夫だよ。なんともないってば」
「しかし自覚症状がなくとも、万一ということがあります。さきほどの異常な体力の無さといい、今の余りに無様な転びようといい、どこか運動機能に重大な障害があるとしか」
「もう勘弁して」
出掛ける準備を済ませた竜仁は玄関前で振り返った。
「僕これから大学に行くんだけど」
「お供します」
間髪容れずにユリアが答える。きりりと引き締まった表情には、己の行動に対する一片の迷いもない。
「困る」
「ご心配は無用です。もし何か障害があれば私が全て排除します。我が君のお手を煩わせはいたしません。どこまででもお供します」
「だからついて来られたら困るんだって。女の子におかしな格好させて連れて歩いてるって、僕の方がやばい奴認定されちゃうから」
「おかしな格好、ですか……?」
ユリアは衝撃を受けたようだった。
「王家重代の瑠璃水晶の鎧が、我が君にはそのように映っているのですか……そうか、やはり私にはまだ分不相応だったのだ。今さら悔やんでも取り返しのつかぬこととはいえ、誠に無念です……」
「その鎧いいね。すっごく似合ってるよ。まさに君に着られるために作られたって感じがするな、うん」
「本当ですか?」
「ほんとほんと。ステージ衣装着てるアイドルよりもずっと目立つ。間違いない」
「ありがたきお言葉です。我が君の評価に背かぬためにも、そのあいどるとやらが敵となって立ちはだかった際には、全力で打ち倒してみせましょう」
「それはやめとけ。あと鎧着て外に出るのも禁止だから。ダメ。ゼッタイ」
どうしてこんな非常識な注意をしないといけないんだ。竜仁は自分の今いる状況に深刻な疑念を抱いた。だがユリアの方もまたいたって心外そうだった。
「しかしそれでは悪しき竜に襲われた時に防御力が大幅に低下してしまいます。我が君をお守りするのにも支障が出る恐れがあります」
「襲われないし守らなくていい。じゃあいってきます」
重度の不思議少女を後に残し、竜仁は部屋を出た。




