ちょっと休もうか
ゼミでの飲み会も今日で三回目になる。もうみんなすっかり打ち解けた様子で、店を出てもまだこれからさらに盛り上がっていこうという空気になっていた。
「このあと二次会行くひとー」
「はーい」
「おっけー。いち、にぃ、さん……」
「あれ、鷹司さんは行かないの?」
「ええ、私はこれで失礼します。皆さんはどうぞ楽しんでください」
残念がる声は多かった。だがあえて引き止めようという者はいない。あの鷹司凛子が決めたことだ。その意思はすべからく尊重される。
学内屈指の麗女に少し後れて、竜仁も店の前を離れた。誰にも引き止められはしない。気付かれてさえいない可能性もあった。だがもちろんわざと気配を消しているわけではない。他の人達にとって竜仁など所詮その程度の存在だということだ。
やはり飲み会など出るのではなかった、と思う。断るのも感じが悪いだろうと参加してはみたものの、ほぼ誰とも喋らない陰キャが混じっている方が感じが悪いに決まっている。
もっとも実際には竜仁はおおむね誰にも見向きもされなかったので、かえって場の空気を壊すこともなかったのは幸いだった。
幸いだったのだ。どんな小さなことだっていい。幸いは自ら見付けていくことにこそ意味がある。自分は幸せだと感じられる人間こそが幸せなのだ。
少し哀しくなってきたので、それ以上考えるのはやめにした。早く帰ろう。
「あれ、二次会出ないんだ。そしたらちょっと二人で飲み直さない?」
後ろからそんな言葉が聞こえてくる。どうやら皆でわいわい楽しくやるよりも、しっとりと親密なひとときがお望みらしい。
やりたい奴は勝手にやればいい。竜仁は思った。どうせ自分には関係ない。
無理に大学の人間とつき合わなくても、家に帰ればユリアがいる。絶世の美少女と竜仁の肉体関係は、最近ますます激しさを増していた。なにしろユリアは清純な見た目からは想像できないほどに大胆だ。比べて経験の浅い竜仁は、いつ骨の二、三本叩き折られてもおかしくない。
かなり怖くなってきたので、それ以上考えるのはやめにした。もう帰りたくない。
「キョヒらないってことは、オッケーってことだよね?」
かぐわしいというには少々きつい、化粧品と香水とシャンプーの入り混じったような匂いが鼻を衝く。超至近距離だ。竜仁ははっとして振り向いた。
「え、あ、花見沢さん? な、なんですか!?」
「だからぁ、二人で飲み直そうって。まだこの前助けてもらったお礼もしてないし、あたしの奢り。っていってもお高いお洒落な店とかじゃないけど、それでもいいでしょ?」
「店は、別に……」
「そう、よかった。決まりね」
店のセレクトより他に問題はあるはずだったが、花見沢恭子は悩む隙を与えなかった。慣れた仕草で身を寄せて腕を絡め、竜仁を夜の街に引っ張っていった。
酔った。それなりに自覚はあった。明らかに許容量を超えて飲んでいる、というか飲まされている。これ以上はさすがにやばい。完全に潰れてしまう。
頭の片隅にそんな思いが浮き沈みし始めた頃、そろそろ出ようか、と花見沢が言った。
竜仁はこっくりと頷いた。もう全て先輩にお任せします、という感じだった。対して花見沢はやけにいい顔で笑った。いける、と小さな声が聞こえた気もしたが、竜仁が深く考えることはなかった。
「ほら、しっかり。あたしに掴まっていいからね」
ふらつく体を支えられる。しんなりと柔らかく、温かいというより暑い。花見沢と密着している部分から、とめどなく汗が滲み出してくるようだ。
「……すいません、自分でちゃんと立てますから。離してもらっていいです」
「ダーメ、遠慮しないの。あたしもちょーっと飲ませ過ぎた気もするし、全然メーワクとか思ってないから……っていうか狙い通りなんだけど」
「はい?」
酒のせいで感覚が鈍くなっているうえに、途中からぐっと声が小くなったので上手く聞き取れなかった。花見沢はにやっと目を細めると、竜仁の耳元に口を寄せた。
「これじゃあ一人で帰るの危ないねって言ったの。事故にでもあったら大変だよ」
「だいじょーぶ、です。適当に休んでから、帰りますし」
「そうだね。少し休んでからの方がいいね」
「はい、なので」
「休んでいこう。ベッドのある静かな所で」
「え……」
急激に酔いが醒めていく心地がした。いやむしろ逆だろうか。よりいっそうアルコールが回っているのかもしれない。やたらと鼓動が速くなっていく。
「あたしとじゃ嫌?」
花見沢が囁く。息が耳にかかってぞくぞくする。
「そんなことはない、ですけど……」
「怖い?」
「ま、まさか」
「じゃあ」
花見沢は思わせ振りに黙ってみせる。続きはちゃんときみが言って、とでもいうふうに。
あとは竜仁しだいだった。わずかに前に踏み出すだけでいいい。口の中で唾を出し、乾いた舌を湿らせる。
「そう、しましょう。休んでいきまほわっ!?」
竜仁は唐突に仰け反った。ポケットの中でスマホが振動を始めていた。まるで操られるようにして掴み出し、画面表示を確認する。
電話だ。ユリアからだった。分っていた。どうせ他の相手などいない。
無視しようかと一瞬だけ考える。駄目だ。自分の足で地球の重力を振り切ろうとするぐらい非現実的だった。逃げられっこない。
「花見沢さん、あの」
「出れば。大事な用かもしれないし」
「すいません」
花見沢に背を向け、スマホを耳に当てる。
“我が君、悪しき竜の気配を察知しました。かけらがまたもや形を得たものと思われます”
回線が繋がった途端、単刀直入にユリアは告げた。
“すぐに討伐に向かいましょう。そうすれば、我が君が今どこでどうされているのか、ひとまずは問わずにおきます……よろしいですね?”
竜仁は即気をつけの姿勢を取った。
「はっ、可及的速やかに向かいます」
“結構です。ではまたのちほど”
電話が切れる。動揺は未だ治まらなかった。だがぐずぐずしてはいられない。
「花見沢さん、大変申し訳ないんですけど、僕急用ができてしまって」
花見沢は露骨に顔をしかめた。
「相手はあのユリアって子よね。金髪ロリ美少女の。やっぱりあたしより、ああいうのがいいんだ」
「複雑な事情があるんです。もしかしたら今頃また誰かが化物に襲われてるかもしれないし……」
「しょうがない、か」
花見沢は吐息をついた。彼女自身、少し前そういう事件に巻き込まれている。思うところもあるに違いなかった。
「すいません」
「その代わり、今度絶対続きしようね。や、く、そ、く」
「ひゃ、ひゃいっ」
耳たぶをいじくられ、竜仁はたわいなく身悶えした。




