あり得ない邂逅
「ではよろしくお願いする」
「ありがとうございましたー」
従業員の礼に送られながら、ユリアはクリーニング店を後にした。取り引きは上手くいった。密かな満足を覚えて一人頷く。
この世界の暮らしにも確実に慣れてきている。通りを行き交う人々も、ユリアのことを普通の少女としか思うまい。やけに視線を向けられることが多いのは、ただ髪と瞳の色が多少珍しいというだけのことだろう。その気になれば、きっと竜仁の元を出て独り立ちすることだってできるはず。
ユリアはふと首筋に嫌な気配を感じた。咄嗟に身を翻す。すると寸前までユリアの体があった空間を、ずかずかと歩き過ぎていく男がいた。
その男の顔の辺りから不快な煙が流れてくる。致命的ではないが、有毒だ。ユリアは呼吸を止めた。煙を出す巻紙を男は無造作に地面に放り捨てる。自分が何をしたという意識さえなさそうだった。
「おいお前」
呼び止めながらユリアは気のかたまりを放った。十分に加減はしたが、小石をぶつけられた程度の衝撃はあっただろう。
男はびくりと首を竦め、それから恐る恐るといった風情で振り返った。小刻みに動く瞳が、相手をユリアと認めた途端に荒くれた色に染まる。
「なんだこらガキ、誰に向かって口きいてやがる。目上の人間に対する礼儀ってもんを知らねえのか? ガイジンだからって舐めた真似が許されると思うなよ?」
「拾え」
単刀直入にユリアは言った。男はぽかんと口を開けた。たっぷり五秒以上経ってから、ユリアが吸い殻を指差してしていることに気付き、張りのない面にドス黒く血を上らせる。
「ざけんじゃねえ、ガキが偉そうによ。そんなに痛い目に合いてえのか?」
男の吐く息から、いがらっぽい悪臭が漂い流れる。ユリアはきつく眉をひそめた。しかしその場から一歩も動かず、相手が腕を突き出すのを待ち受ける。
まだだ。あともう少し、この痴れ者が触れてきた瞬間に、ふさわしい罰をくれてやる。
剣呑なユリアの気配などまるで察したふうもなく、宝冠のようにきらめく白金の髪を掴もうとした不届き千万な手が、しかし寸前で止められた。
瑠璃色の瞳が驚きに見開かれる。そのまなざしの行き着く先は、痴れ者のさらに後ろに向いている。
「よぉおっさん、俺の前でだせぇことやってんじゃねえよ。抉んぞ」
長身の男が、痴れ者の後ろ襟首を掴み上げていた。さほど力を込めているとも見えないのに、痴れ者の足が半ば以上浮いている。
「な、なんだこらてめぇ、離しやがれっ」
激しく暴れようとする相手をぐいと後ろに引くと、それだけで痴れ者はたわいもなくよろめいた。かろうじて転倒することを免れると、怒りに血走った目で長身の男を睨みつける。
「てめぇ、クソが。ぶっ殺してやる」
もはや完全に我を失った表情だった。半端に握った拳で大振りに殴りかかる。鈍いが躊躇のない一撃だった。当りどころによってはきっと最悪の事態すら起こり得る。
「はっ、笑わせんなよ」
だが長身の男は軽く身をずらすだけでかわすと、逆に土手っ腹に拳を叩き込んだ。
「ぐえっ」
潰れた蛙みたいな悲鳴を上げて、痴れ者は路上にうずくまった。だがそいつのことなどもはやどうでもよかった。傲然と佇む長身が、焦らすみたいにゆっくりとユリアを振り向く。
「大丈夫だったか?」
こちらを射る黒い瞳は決して優しくも甘くもなく、なのにどうしても逸らす気になれない。一点に収束する強い光に、心を縫い留められてしまったかのようだ。
――まさか。そんなことはあり得ない。
ユリアの理性ははっきりと否定した。絶対に別人だ。
わざとのような粗野な振る舞いは、記憶に刻まれた洗練された所作とはまるでそぐわず、顔立ちだって瓜二つというには遠いだろう。たとえば頬骨が張り出し過ぎているし、唇は薄過ぎる。他にも細かい点を上げればきりがない。
けれどやはり似ている。胸の奥が引き攣れたように痛み、自分ではどうすることもできないままに、一筋の滴が頬を伝う。
「タツヒト、さま……」
こぼれ落ちた名に長身の男は軽く首を傾げると、少女の涙を指先で拭い取った。




