異世界の利器
「気持ち良かった……とても」
ユリアは認めた。凛子は手を叩いた。
「ふふっ、嬉しいわ。今日もお仕事頑張ってくれたし、お礼にこの前よりもっとよくしてあげるわね。さあ、お風呂に行きましょう」
「結構だ!」
腕を絡めてくる相手を振り払う。いささか力を込め過ぎたかとも思ったが、幸か不幸か凛子に応えた様子はない。
「あら残念。じゃあまた次の機会にね。今日は着替えを手伝うだけで我慢しておくわ」
「いい加減にしろ。私はからかわれるのが好きではない」
断固として言い渡し、一人で浴室の脱衣所に入ると、もともと着てきた服を身に付けた。サイズの合わないシャツの袖とズボンの裾を二重三重に捲り上げ、緩いウェストはベルトで強引に締め上げる。
ユリアは剣に生きる騎士である。男装することにはもちろん何ら抵抗を覚えない。とはいえ年頃の少女であることには違いなく、着飾ることにも関心はある。
小間使い用の服なだけあって、凛子に渡された服は一見質素なのだが、細部の飾り付けや全体的なシルエットがよく仕立てられていて、着てみて悪い気はしなかった。
少なくともこれよりははるかに上等だ。ユリアは荒い手触りのシャツを摘んだ。だがすぐに己の過ちに気付いて首を振る。
これは主たる竜仁から下賜されたものだ。まして今は衣食住の全てを頼る身であり、不満など抱いたら天罰が下る。
ユリアは丁寧にメイド服を畳むと脱衣所を出た。ご苦労にも廊下で待ち受けていた凛子に差し出して訊く。
「これはどうすればいい?」
「あとでクリーニングに出しておくわ。予備ももう一着あるし、ユリアちゃんにはいつも綺麗な格好でいてもらえるから安心してね」
凛子は笑顔で受け取ろうとしたが、ユリアは再び自分の方へ引き寄せた。手を宙に浮かせた凛子が小首を傾げる。
「どうしたの? 別にいやらしいことに使うつもりはないけれど」
「どのような使い方なのかは知りたくもないが、洗濯に出すなら私が帰りに店に持っていこう。それも仕事のうちだ」
きびきびと玄関に向かう。
「ユリアちゃんちょっと待って、まだ帰らないでね」
まだ新しい布靴を履いて紐を結び、だがさすがにそのまま外に出て行くことはしない。凛子はこの住まいの主である。相応の敬意は払うべきだろう。本来ユリアは礼儀を尊ぶ人間なのだ。
少し待つほどに凛子が玄関へやってきた。また変な絡み方をしてくるのではと警戒するユリアは、大きな空袋を渡された。
「はい、服を入れるのに使ってね。こっちはクリーニング屋さんの会員カード。場所は分る?」
行き方を説明されたが、問題ない。位置や目印を把握するのは得意な方だ。
「それと肝心のもの、今日の分のお給料よ。クリーニング代も入れてあるから」
「頂戴しよう」
ユリアは素直に封筒を受け取った。これのために慣れない労働に勤しんだのだ。遠慮すべき理由はない。
「それからこれもあげる。私だと思って大事にしてね」
凛子が手にしている物を、ユリアは思わず眉間に力を込めて凝視した。
「ああ、使ったことない? 基本的なことは今教えてあげるから」
「いやちょっと待て鷹司」
「鷹司じゃなくて凛子でしょ。そんなに構えなくても大丈夫よ。ユリアちゃんならすぐに覚えられるわ」
「凛子、勝手に話を進めるな。私にはこのような物を貰う理由がない」
もちろん詳しくは知らないが、いわゆるスマホというのはそれなりに高価なものであるはずだ。
「そんなこと気にしないで。純粋なプレゼントっていうだけじゃなくて、必要があって渡すんだから。急に連絡を取りたい時とかに、ないと困るでしょう。でもユリアちゃんがどうしても持ちたくないっていうなら、代わりに武大くんと遣り取りするようにするわ。その方がいい?」
「いいわけがないだろう」
ユリアは渋い顔をした。対して凛子はにこりと笑う。
「それならどうぞ」
「……やむを得ないな。私の用事で我が君を煩わせるわけにもいかないか」
「そうそう、その通り。付け加えると、これがあれば私とだけじゃなくて武大くんとも離れたところからお話できる。素敵でしょう?」
「せっかくなので使わせてもらおう」
大まかな操作方法を凛子から聞く。慣れればさほど難しいものでもなさそうだ。
「電話でもメッセでもいつでも気軽にちょうだいね。待ってるわ」
「十分な必要性が認められる時にはそうしよう」