もう他人じゃない
「……はふぅ」
ユリアは満足の吐息をついた。恥ずかしながらこういうことをするのは初めてだった。
自分の手を使ってよくこするだけで、こんなにも気持ちよくなれるものなのだ。今までずっと人任せにしてきたユリアだが、これからは自分でする習慣をつけようと思う。
ユリアが自分でコシコシしているところを見せれば、きっと竜仁も喜んでくれる。少し恥ずかしいけれど、竜仁の視線を意識することで、ユリアももっと行為に励めるはずだ。
そんな状況を想像しつつ、つるつるの感触を楽しむように、綺麗にしたところを指の腹で優しく撫でる。
「いいわよユリアちゃん。素敵。とっても可愛いわ」
うっとりとした声とともに、不自然に機械的な音が鳴る。
瞬時にユリアの耳は熱くなった。余りにも迂闊だった。初めての体験に夢中になった挙げ句、他の者が傍にいることを意識から飛ばしていた。
「何をしている」
だが騎士としての矜持にかけて、慌てふためいた様は見せられない。ユリアは下腹にぐぐっと力を込めて振り返った。相手を捉えた眼光は刃さながらの鋭さだ。
「そうね……芸術鑑賞かしら?」
いささかも怯む色なく相手は答える。片手に持った平たい長方形の器具を、しっかりとユリアの方に向けている。
知っている。あれはスマートフォンという物だ。本来は離れた相手と言葉を交わすための道具だが、現在の光景を写真や動画といった形で記録することもできる。
しかし自分のこんな姿を撮ってどうしようというのか。ユリアは身をよじりながら両腕で前を覆った。
もちろん裸などではない。肌が露出しているのは手首から先と首から上だけである。
ユリアが今着ているのは、丈の長いシンプルなワンピースだった。黒に近い濃紺の生地は軽くて柔らかだが、質の良い毛織物で下が透けるようなこともない。
腰が少し絞ってあり、全体的な仕立ては気持ちきつめになっている。だがもともと細身のユリアにとっては、むしろちょうどいい。剣を握って激烈な戦闘を繰り広げるのならともかく、日常レベルでの作業にはいささかの支障もない。
そう、これはあくまで作業着なのだ。鷹司凛子の家で仕事をするにあたり、雇い主から支給された品である。エプロンがきっちり装備されていることからも、小間使いのためのものだと分る。何もおかしな点はない。
ユリアが働く際にはこれを身に付けるというのが条件だった。それはいい。なにしろ現状ユリアの持っている服といえば、下着と鎧の他は竜仁からのお下がりだけである。ふさわしいものを用意してもらえるのはありがたい。
しかし、である。ユリアはテーブルを拭いていた布巾をぎりぎりと握り締めた。
「いいか鷹司、私は確かに貴方の依頼によってここに来ている。だがそれはあくまで、いわゆる家事作業を遂行するためであって、断じて見せ物と……」
「凛子」
「……なるためでは、何?」
「ちゃんと凛子って呼んでちょうだいね。私達はもう他人じゃないんだから」
凛子はたしなめるように言った。しかしユリアはとうてい納得しない。
「言っている意味が分らない。仮に百歩譲って貴方が我が君の友人だとしても、私自身とは関係のないことだろう」
「もちろん武大くんとは関係ないわ。これは私とあなたの問題だもの。私達はお互いの裸を見せ合って、私はあなたの体にたくさん触った。本当に最高のひとときだったわ。ユリアちゃんもとってもいい声で鳴いてくれたし」
「なっ、おかしな言い方をするな! あれはそういうものではなかっただろう!」
「そういうものって?」
凛子はすぐ間近にまで身を寄せると、興奮するユリアの顔を覗き込んだ。
「どういうもののことかしら。ユリアちゃんが思ってることを知りたいわ。ちゃんと口で説明してくれない? もし言葉にしづらかったら、体を使ってくれてもいいけど」
「だから、あれはただの揉み療治であって、少しも特別な行為などでは……」
黒騎士を倒したあと、凛子のかなり強引な勧めで一緒に入浴した時のことだ。必要以上に世話を焼きたがることに些かの不審を抱きつつも、実際に疲労していたこともあり、せっかくの厚意だからと身を任せた。
結果、髪と体を懇切丁寧に洗われて、さらに全身くまなく丹念なマッサージを受けた。凛子の手が触れなかったのは、一番敏感な数箇所ぐらいのものだろう。
「でも気持ち良かったでしょう?」
「それは」
「気持ち良かった? それとも良くなかった?」
真っ直ぐに問われれば、こちらも正直に答えるしかない。