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招かれざる客

 昔からさほど物事に悩まないたちだ。生まれつきの性格もあるのだろうし、苦労知らずのお嬢様育ちのせいもあるだろう。

 頭の回転も速い方だと思う。どういう状況になっても、その場で臨機応変に振る舞うだけで切り抜けることができる。これまでの鷹司凛子の人生はまず順風満帆、イージーモードだったと言っていい。


 だがこの夜凛子は珍しく思い悩んでいた。問題は極めて単純である。同じゼミの男子に連絡を取るべきか、否か。

 用があるなら取ればいい。これといってなくても、相手と話がしたいなら。難しいことは何もない。


 スマホの画面に表示されている名前は“武大竜仁”。普通に考えて、特に凛子が気に掛ける相手ではない。

 強いて特徴を挙げるとすれば、小柄、地味、垢抜けない、消極的、といったマイナス気味の要素が並ぶが、悪印象を与えるほどではなく、凛子にとってはただの知人か、せいぜい浅い友人といったところだ。いなくてもいいし、いてもいい。


「……あのあと、どうなったんだろう」

 しかし今は彼について考えずにいられなかった。もちろん恋に落ちたわけではない。いっそそうならまだ良かった。


 竜仁と体験したことはもっとずっと衝撃的で、ついでに超自然的だった。

 剣を持った黒い甲冑の騎士に襲われる。既にして現代社会ではかなりレアな出来事だ。そのうえ凛子の目前で女の子が斬られて倒れ、挙げ句の果てに消えてしまった。しかも加害者まで空中に溶け去るようにしていなくなった。


 だが人は普通跡形もなく消えたりはしないものだ。ならば彼らは人ではなかったのか。

 黒い騎士はきっと違っていたのだろう。人型こそしていたものの、鎧に覆われて中身は全く見えなかったし、出現の仕方からして唐突だった。物の怪か何かだと思った方がまだしも納得しやすい。


 しかしユリアは絶対に人だった。尋常ならざる美形ではあったが、好ましい心を持ち、体には赤い血が通っていた。迸り出れば地面に水溜まりを作るほどの量だ。

 だがそれも本人とともに消失した。


 凛子は指先で頬をなぞった。出血はとっくに止まっている。痛みもさほどない。それでも一条の痕があるのを感じる。文字通り凛子の身に刻まれた、現実の証だ。

 そういえば、お礼もまだ言っていない。


 顔を剣で切られながらも軽傷で済んだのは、竜仁が身を挺してくれたおかげと言っていい。

 見た目こそ冴えないが、意外と勇気のある人のようだ。

「とにかく、ありがとうだけでも伝えないと……」

 凛子はスマホのタッチパネルに指を置いた。


「きゃっ!?」

 思わず悲鳴を上げる。突如として窓ガラスが割れていた。閉めてあったカーテンが盛り上がり、ベランダから黒い影が侵入してくる。それはもったいぶるような足取りで近付くと、硬直する凛子に笑いかけた。


「やあ凛子、待たせたね」

「ひ、彦坂先生……」

 彦坂は機械的な動きで服に付いたガラスの破片を払い落とした。凛子の手元に目を止める。


「おや、電話かい。相手は誰だろう。もしかして彼氏かな?」

「別に……ただのネットです。すぐ消しますから」

 凛子は素早く指を動かして操作したのち、スマホの電源をオフにした。相手の警戒心を抑えるため、シャットダウン画面を彦坂に向ける。


「それで、何のご用でしょうか?」

 いかにも儀礼的に微笑してみせる。怯えて取り乱したら負けだ。かといって変に親しげに振る舞うのは、もっと厄介な事態を招きそうな気がする。

 彦坂は笑みを深めた。だがその表情は凛子以上に作りものめいている。


「決まってるだろう。君を僕のものにするんだよ。身も心も魂も全部ね」

「……驚きました。先生って意外と強引なんですね。もっとスマートな人かと思ってたのに残念です。きちんと手順を踏んでくだされば、私だって相応におもてなしできるんですけど」


「善は急げだ。早く始めれば、それだけたっぷりと楽しめる。簡単な理屈だよ」

「でも私にも色々と都合があるんです」

 凛子は肩を竦めた。同時にさりげなく周囲の気配を探る。このマンションの一階には警備員を兼ねた管理人が常駐している。あれだけ派手な音を立てて押し入って来たのだ。そろそろ何らかの反応があってしかるべきだ。


 だが凛子の思惑を彦坂は易々と見透かした。

「安心するといい。誰にも無粋な真似はさせないさ。こうして、ほら」

 凛子は唖然とした。彦坂の全身からどす黒い霧のようなものが滲み出て、部屋全体を覆い尽くすまでに広がっていく。


「結界を張った。これで下等な人間どもは入って来られないし、中で何が起きても気付きもしない。だから君も声を我慢しなくていい」

 いよいよ本格的な危機だった。今すぐ全速力で逃げ出したい。だが不気味な彦坂の視線が体を縛るように絡み付く。


「凛子、嬉しいんだね。欲しくてたまらないっていう顔をしてるよ。僕も同じ気持ちさ。骨の髄まで可愛がってあげるからね」

「んくっ」


 彦坂の手が首筋に触れた。凛子は奥歯を噛み締めて悲鳴をこらえた。全身に慄えが走っていた。

 心理的な嫌悪感のせいばかりではない。明らかに物理的に冷たかった。とても人の体温とは思えない。

 もはや認めるしかなさそうだ。どうやら彦坂は怪物になってしまった。


「……彦坂先生、先にシャワーを浴びたいです」

 凛子は上目遣いをして言った。とりあえず時間を稼ぎたかった。この怪物からなるべく離れているようにするのだ。

 彦坂は物分り良さげに頷いた。


「もちろんいいとも。見ての通り僕は紳士だ。覗いたりはしないから、僕のためにしっかりと肌を磨いてくるといい……ただし」

 まるで糸で引かれたみたいに、彦坂の口端が急角度に吊り上がる。

「余り待たされるのは遠慮したいな。これは君のために言ってるんだよ?」

 彦坂の体から再び黒い霧が滲み出て、触手のように蠢いた。

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