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黒騎士

 竜仁と鷹司の所属するゼミの指導教官は、ぽっかりとまぶたを開けた。竜仁を睨みつけながら起き上がり、ハンカチで鼻血を拭う。

「分っているんだろうな」

 陰湿な悪意と敵意に満ちた声音で告げる。


「これはれっきとした傷害罪だ。謝罪は当然として、相応の責任を取ってもらう。逃げられると思うなよ」

「待ってください」

 竜仁は慌てた。


「それは怒るのはもっともだと思いますけど、相手は未成年ですし、あんまり事を荒立てるのもどうかなー、なんて」

「舐めたことを言うんじゃない。許してほしければ土下座しろ。この僕に傷を負わせた詫びに、どんな要求にも従うと誓うんだ」


 いきなりやたらと極端だった。やはり彦坂は少しおかしくなっている感じだ。

 そしてユリアはどこまでもユリアだった。

「下郎、貴様の魂は汚れている。私が滅却してやるから神妙にしろ」


「頼むからユリアはちょっと黙って。先生も落ち着いてください。まずは話し合いましょう。鷹司さんのこともありますし」

「確かに。彦坂先生にユリアちゃんを責める資格はありませんね」

 鷹司が冷然と口を挟んだ。彦坂は気色ばむ。


「何を言う。凛子は僕が何をされたか見てなかったのか? お前の大事な恋人が怪我をさせられたんだぞ?」

「あいにく私には今おつき合いしてる人はいません。無理やり交際を迫る先生に乱暴されそうになっていたところをユリアちゃんに助けてもらった。もし警察の人が来たら私はそう証言します。掛け値なしの事実ですから」


 彦坂の瞳にひときわ暗い影が落ちた。頬の肉が醜く歪み、口端が不吉に吊り上がる。

 笑っている?

 竜仁は背筋が寒くなった。今の彦坂は全く尋常ではない。まるで悪霊にでも取り憑かれているかのようだ。


「ふははっ……疎まれたものだな。自分から誘惑しておいて、いざ相手をしてやろうしたら途端に犯罪者扱いか。性悪な女狐め、この僕を蔑ろにしたことを糞を洩らすほど後悔させてやる」

 彦坂はひどい悪態をつくと、さらに頭のおかしい台詞を高らかに唱えた。


「黒き騎士よ、汝と結んだ契約によりて我が望みを果たせ!」

“御意”

 どこからともなく錆びた鉄の軋むような声が響き渡った。それに続いて黒い霧のようなものが湧き上がり、渦を巻き形を成す。


「なんだ、あれ……」

 竜仁は呆然と呟いた。

 そこに現れ出でたのはまさしく黒い騎士だった。

 中世風の甲冑を纏い、腰には幅広の剣を佩いている。

 剣を抜き放ち、切っ先を鷹司へと向ける。彦坂はここぞとばかりに脅しをかけた。


「凛子、死にたくなければ言うことを聞け。僕のものになるんだ」

 鷹司は金縛りにあったように立ち竦んでいた。しかしなおも首を縦には振らない。彦坂に向けた視線には、はっきりと拒絶の意思が表れている。


「……驚いたな。君は思った以上に愚かな女らしい。仕方ない。聞き分けをよくするための愛の鞭だ。黒騎士、やれ」

 毒々しいまでに苛立った表情の召喚主の命を受け、黒騎士は小さく剣を振るった。鷹司の頬から一筋の血が流れ出る。瞬間、竜仁の頭の中は沸騰した。


「くそだらぁーっ!」

 意味不明の雄叫びを上げて、黒甲冑の怪人に渾身の力でぶち当たる。

「うらぁーっ、あがっ、いっ」

 硬い。そして重い。


 幻覚でもハリボテでもあり得ない。本物の金属の鎧の質感だった。ならば素手の人間が太刀打ちできようはずもなく、竜仁はあっさりと跳ね返された。

 それでもやってみた価値はあった。わずかに生じた隙をついて、鷹司が素早く身を退かせる。彦坂は激昂した。


「クズが、邪魔をするな! 消え失せろ!」

 黒騎士がゆっくりと竜仁の方を向いた。そして影のように滑らかな動きで黒い剣身を振り上げる。

 やばい。これ喰らったら死ぬやつだ。

 思考はぼんやりと鈍く、体は粘土の人形みたいに役立たずだった。哀れでみじめな命を刈り取らんと肉厚の刃が落ちかかる。


「我が君っ!!」

 突然の衝撃に足が浮いた。急速に移り変わる視界の中で紅が散りしぶき、白金の髪を斑に染める。

「……え?」


 竜仁は地面に投げ出されていた。自分の上に覆い被さっているものを反射的に抱き締める。これはなんだ。こんなにも華奢で細いのに、どうしてこんなにもぐったりと重いのだろう。

「ユリアさん!? 彦坂先生、あなたはなんてことを!」

 驚きと怒りに満ちた叫びが、どこか遠く耳朶を打つ。


「ぼ、僕は知らないからな! 何もやってないし何も悪くない! 全部そいつのやったことだ!」

 彦坂が裏返った声で喚き立てる。最前までの禍々しい雰囲気は霧散して、すっかり怖じ気づいているようだった。背中を向けると、すぐにネズミのように逃げ去っていった。


 黒騎士は召喚主の後を追わなかった。しかしこの場にとどまることもしない。

「……消えた?」

 ほとんど憤然としたふうに、鷹司がひとりごちる。


「どういうことなの。いったい何がどうなって……ううん、考えるのはあとだわ。ユリアちゃん、大丈夫だからね。すぐに救急車を呼ぶわ。気を確かに持って!」

 携帯を操作しながら力強く呼び掛ける。


「え、これってユリア……? 何がどうなったんだっけ……?」

 ぼんやりとした意識に、吐息のような声が落ちかかる。

「……ああ、我が君、タツヒト様……よかった。ご無事だったのですね……」

 ユリアだ。だけどなんだかいつもと様子が違う。


「僕は別に……なんともないけど。ユリアの方こそ辛そうだよ。どこか痛いの? 大丈夫?」

「なんの、ご心配には及びません……私はタツヒト様のしもべ、ですから」

 夜に咲く花のようにひっそりとユリアは笑う。


「これでいいのです。これでようやく、あなたのお傍へ……」

「え、聞こえない、ユリア、ねえ、ユリ……」

 ふいに温かさが失われ、気付けば竜仁は虚空を抱いていた。ユリアはいなくなっていた。

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