十六日目 カードゲームと賭け
二日酔いで寝込んださらに翌日、アルマくんとカードゲームをすることになった。
珍しいことに、それを提案したのはアルマくんだった。恐らく、私に気を遣ってくれたのだろう。「ゲームは気晴らしにいいらしい」とかなんとか言っていたから。私は少し戸惑ったが、せっかく提案してくれたのだから受けることにした。
そういえば、二日酔いの頭痛と吐き気で寝込んでいた私を看病してくれた時も、アルマくんはとても気を遣ってくれていた。
その日私は、宴会で叫んだことを酔ってたから忘れた、というフリをして逃げた。自分が恥ずかしかったし、今まで唯一安心できたアルマくんとの関係が壊れるのが怖かった。
なのにアルマくんは、完全に私が覚えていること前提で動いていた。彼はそういうことに対して、真っ直ぐに行動のできる人だった。
「アルマくん」
「ん?」
「ごめんね」
「……何がだ」
「……ううん。ありがとう」
そんな優しい気遣いに、一瞬泣きそうになったけど。アルマくんの壊滅的なカードの扱い方のせいで、涙はすぐに引っ込んだ。彼のぎこちない指先の動作は、カードが折れたり破れたりしてないのが奇跡なほどだった。おまけにやたら真剣な顔のせいで、こちらも真顔になってしまう。
「わ、私もカード並べるのやってみたいなー。折角だし」
「俺がやるからお前は、……イブは、休んでいろ」
瞬間、カードが一枚弾けるように飛んでいった。
しばらく二人とも何も言わなかった、というより言えなかった。アルマくんは黙ったままその一枚を拾い、汚れを拭うと、無言でそっと私にカードの山を手渡した。
カードゲームは、普通に友達と遊んでるみたいに楽しかった。勉強の甲斐あってか、カードの数字(トランプと似ているが、こちらは数字が10までしかない)が普通に理解できるのもなんだか少し誇らしかった。
はじめはアルマくんが常に勝っていた(彼は初心者相手でも全く手を抜かなかった)のだが、私がルールを完全に理解してからは、勝率は五分五分といったところだった。
まあ、運の要素が強いゲームだから、だろうけど。
「ゲーム? 賭けをしなけりゃつまらんだろう」
横から口を挟んでくる猫背の男を、アルマくんは鬱陶しげに見やった。アルマくんの友達(と言うと、「ただの同僚だ」といつも二人揃って否定される)、エディである。
彼と私に、こうして積極的かつ友好的に話しかけてくるのは、彼くらいなものだった。
アルマくんは最初は冷たくあしらっていたのだが、それでもエディがめげずに居座るので、とうとう賭けをすることを了承した。私は正直どっちでもよかったので、アルマくんの判断に従うことにした。
「馬鹿真面目に考えなくてもよ、ただ負けたら奢れとか、何か買ってくれとか、その程度でいいんだよ」
「いいねー。まあ賭けるって言っても、私は何も持ってないんだけどね」
「体で払うしかねぇな」
アルマくんがエディをブン殴った。
二人はしばらく、私にはよく分からないスラングで罵り合っていたのだが、やがて給仕の女性が出入りを始めると、エディは別れの挨拶もそこそこにさっさと出ていってしまった。
どうやらエディは私達というよりも、お目当ての女性が来るのを待ち構えていて、その暇潰しとして私達に話しかけただけだったらしい。自由な人というか、適当な人というか……。
「じゃあな、姫さん!」
いそいそと去っていくエディに手を振り、私は肩を竦めて笑った。
「――こんな飾り一つ無い『姫』もないよねぇ」
いい加減聞き慣れた、と言いたいところだが、まだあの呼び方には違和感があった。
私は自分の黒色のセーラー服を見下ろした。着の身着のままこの世界に来て、今でもこの制服は大事に大事に手入れをしている。
最近では少しずつ、この世界の衣装を借りることも多くなってきたけれど、それらはやっぱり私の物ではない。所持金が無いのだから当たり前だけど、そういうことを考えるたび、やっぱり私はこのセーラー服から離れたくない、なんて思い直す。
「財産なんてゼロだよ、ゼロ」
やれやれ、と溜息を吐き首を振ってみせるが、アルマくんはそんな私に何も言わない。
ふざけたのにツッコまれないなんて、居心地が悪いだけだった。
「どうしたの、アルマくん」
「いや。お前の髪は、日に透けると茶色いなと思ったんだ」
ふと気付けば、彼の優しい瞳が私に向けられていた。空よりも深く、海よりも清々しい青色の眼。
こうして彼が私を知ってくれていることが、なぜか私には何よりも嬉しかった。
「アルマくん――」
「それで、どうする?」
「えっ、なにが」
「……賭けだ。何を賭ける?」
嫌そうにしていたくせに、一度口にしたことだから、律儀に応えようとしているらしい。エディもこの場にいないから止めたってバレようがないのに、本当に真面目な人だ、と改めて思い直す。
そんな彼の人柄に感心しながらも、私は喜んでその提案に飛びついた。
「私、アクセサリーが欲しいなー。この世界の、かわいいやつ。私に似合うやつね」
「分かった」
予想外の即断振りに、私は口を噤んだ。しばらく口の中で沈黙を弄んだ。
アルマくんの表情は、いつもと何一つ変わらない。無表情で、少し優しい。
「……アルマくんは?」
訊くと、何も要らないと返された。
それでは賭けが成立しない。言い返すと、彼は不承不承といった様子でしばらく黙っていた。
「刺繍」
「え?」
「刺繍をくれ。俺の制服の帯の裏地に。一つだけでいいから」
予想だにしない提案に、私はぽかんとした。
「制服って、たまーに着てるこの砦の服だよね? ……でも私、刺繍なんてできないよ。道具もないし」
「ならいい」
アルマくんはあっさり諦めた。そして淡々とカードを配り始める。
……いやそうじゃないだろ!!
「やるよ!!」
「どっちだよ」
結局、勝負には私が買った。
なかなかの激戦だったけど、もしかしてアルマくんはわざと負けてくれたのでは、と思わなくもなかった。まず運が重要なゲームを選んで私に教えてくれたのも、その一環な気がした。本人に言っても、絶対肯定はしないだろうけど。
後日、一緒に街に出かける約束を取り付けた。
後から聞いたところによると、帯の内側への刺繍は、身内が帯の持ち主への祈りを込めて行うものらしかった。植物、鳥獣、太陽など、伝統的な柄が多く存在し、それぞれに意味があるらしい。
モチーフは全て被らないように施されなければならないため、身内総出で構図を練り、長い時間をかけて一針一針縫われる。
「だから昔はよく言われたもんさ。針仕事ができなけりゃ、嫁の貰い手がないよってね」
「それってあなたも?」
「さあね」
とある給仕の女性はそう言ってからから笑った。
彼女が翌日持ってきてくれた、昔使っていたという裁縫道具は、丁寧に扱われていたのかとても綺麗だった。色とりどりの糸が目に眩しい。針と糸だけはいくらでもあるから、私が望むだけ貸してくれるという。押し付けられるみたいにして、私はその裁縫道具一式を受け取った。
「今となっちゃこんな大層なものは、もう必要ないからね」
彼女は未亡人だった。夫はかつて、このカノック砦の兵だったと言う。
『泣く子も帰れぬ北方砦』――。
私は改めて、いつか耳にしたそんな言葉を繰り返す。このカノック砦は比較的安全らしいけど、アルマくんもやがて、どこか別の砦に派遣されていくのだろうか。
そのとき私はどうなるのだろう。願うなら、アルマくんに付いて行くことを許されたい、が、やはりそれは難しい気がする。このカノック砦に残されるのか、それとも……。
私は一人、使い込まれた色合いの木製の裁縫箱を撫でる。
一つだけ、と刺繍を願った、アルマくんの静かな横顔を思い出す。
翌日、アルマくんの帯を、無理を言って受け取った。戸惑ったように断ろうとする彼に対して、半ば強奪したみたいになってしまった。
彼の帯の内側には何もない。まっさらな、新品みたいに綺麗なまま。
「賭けの意味がなかったな」
彼は気にした様子もなく、肩を竦めていた。
「刺繍はいつごろ終わる?」
「そのー。かなり長い時間がかかるって思ってもらった方がいいかも?」
「それまで帯が締められないのは困る」
全くの正論だった。毎日着るものではないとはいえ、帯は彼の制服の一部だからだ。しかも剣を差すのに用いるらしい。どう考えても、かなり重要なところだ。
結局、予備の帯を借りて刺繍をいれることになった。予備というが、つまり新品だ。
私がその責任の重さに顔を歪めると、アルマくんは珍しく、やたら楽しそうに微笑んでいた。そんな表情を見れただけでも、この提案をした価値はあったようなものだ。