四十八日目 『東の蛮族』
「女なのに馬を乗り回すって。野蛮じゃない?」
「武器を振り回して、自分で育てたわけでもない食糧を奪っていくらしいぞ」
「男も女も肉ばかり食べているから体がむくんでるらしい」
「よく知らないけど、どうせまともな教養もない動物みたいな野蛮人でしょうね」
以上。私が数日間、砦の人に『東の蛮族』について聞いて回った結果である。皆だいたい、似通ったことを述べていた。
ちなみにエディはというと、めちゃくちゃどうでも良さげに
「酒は美味いって昔聞いたなぁ。馬乳酒ってのがあって、家ごとに味が違うらしい」
とのことだった。彼は以前行商人の護衛をしていたため、そういった商品価値のある物について詳しい(とアルマくんが言っていた)。
あれからティーは、たまに私を『東』に勧誘してくる。一度「本気?」と聞いたら、「私が冗談でこんなことを言うとでも?」とカッコよく笑われた。
複雑な気持ちだった。
文化的で教養豊かだとされている帝国の人達の言葉と、野蛮で動物のようだとされている『東の蛮族』のティーの言葉。
私にとって前者の言葉は、とても狭苦しく、馴染みの無い価値観であるように聞こえてしまった。そして、そんな私は本来なら、帝国の人達にとっては、後者に分類されるような人間なのだろう。
事情も話されず、異国の姫だと思い込まれているからよかったけど。そうでなかったら、余所者の私はきっと……。
そんな私の内側の変化は、砦にいる誰にも気付かれなかった。ただ一人、いつも一緒に居るアルマくんを除いて。
「イブ。『東の蛮族』の女と会ってるだろう」
当たり前のようにそう切り出され、私は言葉を失くした。
「隠しているつもりだったのか?」と目を丸くしているアルマくんの表情も、声音も、いつも通りだった。怒っているわけでも、嘆いているわけでもない。平常通りのアルマくんだった。
「ご、めん」
「謝る必要はない。誰にもバレていないようだから、気にする必要もないだろう。彼女は遠くから来る行商人に、よくある顔立ちをしているから」
と、世間話のように淡々と続けるアルマくんに、寧ろ私の方が疑問に思った。
「えっと。いいの?」
「何が?」
「ここで保護されている私が、その、敵の『東の蛮族』の人と会ってて――」
いいはずがない、と徐々に小さくなっていく語尾に、アルマくんはきっぱり断定した。
「問題ない」
「ないんだ!?」
「――イブ。お前がされているのは保護じゃなく軟禁だ。対象にそうと自覚されない程度の、真綿で首を絞めるような」
軟禁、という物々しい単語は、私にはピンとこなかった。大袈裟なんじゃないかとすら思った。優しいアルマくんだから、そういう風に捉えてしまっているんじゃないか、と。
監視役を付けられながらも衣食住を保証され、外に出ることも出来ている生活が、軟禁。やはり、納得いかない。
「それは、」と言い募ろうとした私の言葉を黙殺し、アルマくんは微笑んだ。
「おかしな人物でなく、君が楽しいならいいだろう。友人なのか?」
「……うん。でも、もしかしたら私、自分を重ねてるだけかもしれない。」
「それは悪いのか?」
きょとんとするアルマくんに、少し言葉がつまった。
首を振ると、彼は不思議そうにしていた。
「そういえば、ベアトリーチェからまた手紙がきている。時間が出来たら読むといい」
「え、あ、うん。そっか、筆まめな人なんだね」
「筆……というより、彼女には酷く根気強いところがある」
「なんか含みのある物言い」
「……」
彼女から送られてきた手紙は二通目だ。帰り際の宿泊所で書いた(らしい)のが一通、私がそれに返事を書いている途中の、今回の一通。郵便が届くまでかなり日数がかかるらしいから、すごく速く書いて送ってくれているんだと思う。
はじめてベアトリーチェの手紙を受け取ったとき感動した。葉書ではない、こういった封筒と便箋の手紙は初めてだった。
思わず、「こんなの受け取ったの、初めて」と言うと、「俺もだ」とアルマくんは困惑した顔をしていた。見ると、彼も似たような封筒を手にしていた。
ベアトリーチェと手紙を交わしたことはあるが、もっと事務的なものだったという。
今回のベアトリーチェの手紙はあっさりした挨拶から始まっていた。異国の人間である、という設定の私を気遣ってか、平易な文章だった。とても読みやすかったことと、私を友達、と書いてあったのを覚えている。
「もうアルマくんは読んだの?」
「ああ。お前のものと、恐らく内容は似通っているだろう。二人で一緒に、こっちに来ないかとのことだった」
「うん。また会いたいし、いつか遊びに行けたらいいな」
「そうじゃない」
「え?」
「此処を離れて来いと――つまり、引っ越してこないか、ということだ」
ただ、アルマくんと私の立場上難しいことや、とにかくすぐには無理だということを、彼は淡々と説明した。
「ただあの人からこういう誘いがあったことを、覚えておいてほしい」
一瞬、私がティーから誘われていることを知ってるのだろうか、と思った。違った。
「……ここだけじゃない――この場所以外にもまだ、イブには居場所があるのだということを、覚えておいてほしい。この世界には、お前が受け容れられる場所が、まだあるのだということを」
部屋に戻って、ベッドに寝転んでベアトリーチェの手紙を読んだ。アルマくんが言ったようなことが簡潔に書いてあった。提案というか、冗談っぽい願望、という感じの文脈――だと思うけど、分からない単語もあったので、また確認しないと。
私はベッドの脇机の引き出しから、以前受け取ったベアトリーチェの手紙を取り出した。こっちの文章は、もっと長い。
月吉 伊吹様
お元気でしょうか。名前の綴りは間違っていないでしょうか。
友人(と呼んでも構いませんか)に手紙を出すことは初めてで、少し緊張しています。
貴女には伝えたいことがたくさんあるのですが、うまくまとめられません。長文になってしまうのを許してください。
少し、私の話をさせてください。
私は小さな生家を出てから、たくさんのことを学びました。様々な人々と出会い、知らない世界を知ることで、私の小さな世界は広がってゆきました。私は大人になり、新たな価値観を手にいれました。自分や家族のことを、少し離れた視点から見ることができるようになりました。
私は特に、言葉について学びました。いわゆる、国語の文法の類型などはもちろんですが、それだけでなく、言葉を効果的に人に伝える方法、とある単語がどのように人の心理に影響するか、などを特に熱心に学びました。私は、言葉による意思の伝達に興味がありました。
もしもの話になりますが、あの空間に閉じこもっていた私達家族三人にも、こういったことを学ぶ手段があれば――というのは、感傷的に考え過ぎでしょうか。
とにかく、私が現在見据えている目的は、教育にあります。
ここからは、私の秘密の話です。私の野望は、『全ての人々に開かれた学院』です。誰でもそこを訪れれば、貧富の差無く、勉学に励むことができる。そういう場所です。そこは人々にとって、学びの場であり、新しい世界であり、他者と出会う場であり、もう一つの居場所となることでしょう。
ただ、そこまではきっと、私もが生きている間には、辿りつけないと思っています。だけどいつか出来上がるだろうその場所の礎に、私はなりたいのです。
こうしたことを手紙に書くということは初めてで、ここまで書いてしまっていることに、今、自分でも戸惑っています。
先日の貴女との邂逅のお陰で、私は自分の望みを、改めて確認することができました。言葉は、会話は、人を知るための支えになる。少なくとも、私はそう信じています。
もちろんこれは、アルマ・アルマットのお陰でもありますが、貴女のお陰でもあります。改めて、ありがとうございます。伊吹。
私があの頃、エマの花が好きだったのは、それ以外を知らなかったから。嫌になったのも、あの小さな世界に、全ての価値観を見ていたから。
しかし今なら言える。私は純粋に、あの美しい花を愛している。清らかで、白い、私の母の愛した、あの花を。
あの子にも手紙でお礼は伝えましたが、素直に受け取るとは思えません。だから、伊吹からもまた伝えてあげてくれないでしょうか? 私達が皆、自分の世界しか見れていなかったせいで、あの子はとても、頑なな子に育ってしまいました。だけど、あなたなら、もしかすると――。
いえ、これ以上はきっと語り過ぎですね。私はあれほど言葉について学んだというのに、友人にかける言葉に、まだ少し慣れていないようです。
また会いに行きます。今度は三人で、たくさんのことを話しましょう。
追記 父母の墓参りに、次は貴女も来てくれると嬉しいです。
ベアトリーチェ
真っ直ぐな言葉だった。
くすぐったいような、温かいような、手応えのあるような、不思議な感覚。
こういう言葉を交わして、掬って、取り零して、でもまた掬って。――そうしていけば、分かりあえていくのかもしれない、という感覚。
(お礼を言うのは私の方だよ)
彼女がここに来てくれたお陰で、こうして手紙を出して彼女の言葉を伝えてくれたお陰で、色んなことが分かった。気がする。
ベアトリーチェに、ティー。私がちゃんと向き合ったら、それに応えてくれる人達がいる。逃げたり、誤魔化したりせず話し合ったら、少しずつ、その人達のことが分かっていく。やっと、そんなことに気付いた。
私はベアトリーチェの手紙を丁寧に畳んでから、まだ書きかけの彼女への返事について考えた。
早めに出さないと、とは思うけど。今回のことでまた伝えたいことが増えたし、まだまだ遅れるかもしれない。
やっぱりまた会いたいな、ということを考えながら、私は彼女の手紙を引き出しにしまった。




