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わたしとあなたの七十五日  作者: ばち公
第四章 アルマ・アルマット
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四十四日目 ティー

 私が彼女に出会ったのは全くの偶然だった。本当に奇跡が積み重なって生まれた、ほんの一瞬に私達は出会った。


 彼女の名はティー。

 『東の蛮族』の娘だった。



 私たちが会うのは決まって、砦の西端の入口。そこは主に荷物の搬入口で、搬入が始まるより早く、ほんの一時だけ沢山の箱や商人が並んでごった返す時間がある。その時に、どこからともなく彼女はひょっこり現れる。今だけ荷卸しのバイトをしているらしい。

 それから私たちはその辺の木箱に腰かけて、他愛も無いことをあれこれ喋る。


「――だからイブキ、私と来たらいい。こんな閉鎖的で古臭い場所は、この地に生まれた人なら馴染めるだろうけど、イブキの居場所ではないよ」

「ティー、前も言ったけど私は……」

「またか。分からないな。生物が住みやすい場所に移って何が悪い?」


 鮮やかな橙色をした大きな瞳が、訝しげに歪む。どっかりと椅子に座り込む大胆な仕草が、男の子みたいに襟足を刈り上げた、ベリーショートの髪によく似合っていた。

 ティーは私を気に入ってくれているし、私も彼女をとても尊敬しているが、私達は全然違う。


「あのさ、なんでティーは私なんかをそんなに誘ってくれるの? 言っとくけど私、なんにも出来ないからね?」

「私はイブキが気に入ったんだ。平等で、先進的な価値観で、とにかく一緒にいたら楽しいだろうと思った」


 ティーのまっすぐな言葉に、私は嬉しいのか恥ずかしいのか、とにかく顔が熱くなった。どこか浮かれたような心地で、そわそわとして落ち着かない。


「ありがとう。やっぱりあの時、ティーを見捨てなくてよかったかも。正直悩んだんだよねー」

「嘘をつけ。あの時、あんなにすぐ私へと手を差し伸ばしたくせに」


 そうして楽しげに微笑む彼女に、私は苦笑しか返せない。



 彼女が言う『あの時』。私がふと足を止めたのは、荒っぽい男性数人に、難癖つけられている旅人がいたからだった。

 深く被ったボロのフードに、マントで覆った身軽な旅装。背はすらりと高いが、そのよく通る声は女性のものだった。

 何故かは分からないが、私は一瞬で彼女に目を奪われた。

 劣勢にあってもなお堂々とした話し振りのせいかもしれないし、その立姿がとても綺麗だったからかもしれない。それこそ絡んだ側がたじろぐくらいに、彼女には強い存在感があった。

 やがて、


「余所者がうろついてんじゃねぇよ!」


 男達は女性をつきとばし、逃げるように去っていった。周りの野次馬も、飽きたようにどこかへと散っていった。


 私がカノック砦で暮らし始めてから、すでに二ヶ月弱が経過していた。

 帝国をめぐる情勢はさらに不安定になった。『東の蛮族』との争いは激化し、物価が急激に上がった。人々からは余裕が失われ、皆どこか緊張した面持ちで通りを歩いている。

 だから本当なら、余所者の私は、早くアルマくんと合流するべきなのだ。ここ数日、刺繍に熱中していた(……というより、どうしたらいいか分からないアルマくんへの想いをぶつけていた)私の気晴らしのため、外に連れ出してくれたアルマくん。そんな優しい彼と、うっかり逸れてしまったほんの一瞬に、偶然、その旅人が絡まれていたというだけのこと。


 なのに、彼女から目が離せなかった。尻餅をついた、余所者(・・・)の彼女から。


 放っておこう、という考えが一瞬よぎったのは嘘ではない。

 しかしあの時、当たり前のように私へと差し伸べられた手のひら――その光景が、脳裏をよぎった。アルマくんのあたたかな手。文字通り私を救い上げてくれた、彼との出逢い。

 多くの人が暮らす街で、ただ独り座り込む彼女から目が離せなかった。


 気付けば私は、彼女に手を差し伸べていた。

 フードの下から覗く、燃える夕焼けのような鮮烈な瞳が、あまりにも印象的だった。



 ティーはさっぱりとしていて話しやすい人だった。私達は不思議と、あっという間に打ち解けた。


「私はイブキたちの言う、『東の蛮族』の一人だ。とある部族の一員だった」


 会って数分。思いがけない突然の告白に、私は息を飲んだが、その過去形の部分に首を傾げた。


「ああ。信じられないかもしれないが、私は一族を出たんだ。馬に乗らなければ生きていけないと思っていたが、案外歩くだけでもなんとかなるもんだな」

「エーット。それ、私が聞いても大丈夫な話?」

「バレたら連行されるだろうけど、その前に逃げるさ」


 ティーは笑いながら、皮製のブーツを見せびらかした。

 彼女の旅装はシンプルだ。動きやすそうなズボンに、皮製のブーツ。この地域の女性はだいたいがスカートを履いて、髪を編んでいるため、ティーの姿はなかなか新鮮だった。


「ティーの服装って、なんだかすごく旅の人! って感じ」

「まあその通りだからな」


 ティーは男装の麗人みたいだな、と私は内心思っていた。女性に好かれそうな女性だ。

 凛々しい顔立ちに、力強い夕焼け色の瞳。男性的な衣装の下、布地で押さえつけられてもなお分かるほど豊満な胸。しかし、すらりと長い手足と引き締まった筋肉のお陰で、見た目にはとてもスマートだ。


「イブキの服装は変わっているな。とてもはっきりとした印象を受ける」


 対して、私はどうだ。

 皆何かしらの役割を持つ砦のなか、何か出来るわけでもない穀潰しで、この世界で起きる事柄一つにちっとも対応できていない。人々からは違和感を抱かれる、厄介事を持ちこむだろう人間。


「イブキ?」

「……やっぱり変だよね、これ。分かってるんだけどさ。こんな服の人誰もいないし、変な私が着たら浮いちゃうにきまってるのに、つい着ちゃうんだよね」

「なあイブキ」


 ふと顔を上げると、ティーの瞳がまっすぐに私を見つめていた。しかしその眉は、どこか困惑したように下がっている。


「私はイブキが心配だ。なんでそんなに弱々しい物言いをする? なにをそんなに遠慮しているんだ。心が疲れているんじゃないか?」

「そんなこと、」

「食事はちゃんと摂っているか? 寝ているか? 適度な運動もたまには必要だ。本当に大丈夫か?」


 私は心配性だね、と軽く笑い飛ばそうとした。できなかった。

 なぜか目が熱くなって涙がにじんだ。咽喉が震えて声が出せなかった。泣いていると自覚したのは、涙が零れてから少し経ってからだった。

 こんな、これだけのことで。

 混乱し、嗚咽を堪えながら涙を拭う私に、ティーは優しく声をかけた。


「なあイブキ、私と東に行かないか?」


「――え?」


 尋ね返すまでずいぶんの間があった。思わず顔を上げた先、ティーの顔はあくまでも真剣だった。


「……でも、ティーは、」

「ああ、出たよ。どうにも族長と意見が合わなくてな。だからそこから出て、気の合う奴らと別の群れを作ろうとしたんだが、当然厄介がられて命を狙われて。じゃあ平原にいる必要もないかと、とっとと飛び出てきたんだ」


 わりと勢い任せの行動だったが、なかなかに上手くいった、とティーは笑う。

 それからは気の合うかつての仲間とも離れ、自由気ままな一人旅を楽しんでいたらしい。


「それが、最近偶然に、そのかつての仲間の一人と再会してな。――どうやら私のいた族は、その後すぐ、別の部族に喧嘩を売って負けたらしい」


 さらりと告げられたが、それは、かなり深刻な話なのでは……?

 しかしティーはなんてこと無さげに続ける。


「再会したソイツは、勝った部族に混ざって色々と動き回っていた。で、平原に戻って来ないかと勧誘されてな。迷ったが、故郷の馬にも乗りたくなったし帰ることにしたんだ。……そんな顔するな。戦には加わらない」

「そうなの?」

「ああ。私は、この国の人にとっては外敵なんだろうけど。……私はこの国を少し、好きになってしまった」


 面映げな彼女に、私は思わず微笑む。


「じゃあ、また『東』に戻るんだね」

「そうだな。この国風に言うとそうなる。でも知っているか? この国の帝都は、かつてはもっと北方にあったんだ。それが、今では南に移っている」


 はっとした私に、ティーはにやっと笑った。


「『東の蛮族』を恐れてだよ。はは、北東の蛮族とでも呼び直せばいいのにな?」




 ティーに砦まで連れて行ってもらってすぐ、私はアルマくんに発見された。

 あまり無闇に動くな、と叱られたが、きちんと戻って来れたのは偉いと褒められた。ティーのことは話さなかった。彼女は私に口止めもしなかったが、話さない方がいいのだろうということくらい、私にでも分かった。

 代わりにアルマくんに、『東の蛮族』について聞いてみた。彼は少し不思議そうな顔をしながらも、すらすら答えてくれた。


「遊牧騎馬民族だ。現在はある盟主のもと、いくつもの部族が連なり平原を支配している。……まあ、完全に統一された、というわけではないようだが、それも時間の問題だろう。俺の知る限り、勢いはすでに盟主にある」

「へえ、すごいんだ」

「ああ。……まあ、統一や支配といっても、彼らの価値観のもとで成されるものだから、俺たちが想像しているそれとは少し異なるのかもしれない。しかし、偉業であることは確かだ」


 アルマくんの流れるような説明に、私はふんふんと感心した。

 『東の蛮族』。これまで何度も耳にしてきたこの単語。その詳しい事情一つ、今まで知ろうとすらしなかった自分が、なんだか恥ずかしいような、情けないような……。


「なぜ急にそんなことを?」

「今さらだけど、気になっちゃって。詳しいね、アルマくん。先生みたい」


 彼の話し方は、私に刺繍を教えてくれたときのベアトリーチェととても似ていた。

 そのことを伝えると、アルマくんは渋い顔をして口を噤んだ。照れてるんだなと察してにやにやすると、軽く額に手刀を当てられた。

 その照れ隠しのせいで余計に笑ってしまい、本気で睨まれた私は、慌ててアルマくんに謝るのだった。

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