三十七日目 自覚する
「ねえエディ」
「どうした真剣な顔して」
「私アルマくんのことが好きなのかもしれない」
「うわっ……」
エディに酷い目で見られた。聞けば、「いまさら?」とのことらしい。どういう意味だ。
「どんくせー。やばいぞお前。傭兵だったら何か告げる前に死んでる。死ぬ間際に俺あいつのこと好きだったんだって思い出すタイプ。傭兵向いてないぞ」
「ならないからいいよ、別に……」
「ベアへの嫉妬とかなんのつもりだったんだよ」
「いや、なんか分かんないけど、落ち込むときは落ち込むじゃん」
「お前……」
「ヒエーッ」とムカつくくらい間抜けな悲鳴をあげられた。が、エディにだけは言われたくない。
エディは気づいてないが、リリーさんは恐らくエディのことが好きだ。たまに顔をあげるとリリーさんと目があうのは、彼女がこっち、というかエディを見ているからだ。
というかそうじゃなかったら、私だってエディのよく分からんアピールに付き合ったりしない。
「なんか俺の悪口考えた?」
「……あっリリーさんがこっち見てる」
「リリーちゃん!! 俺が死ぬ前に結婚して!!」
「死ね」
エディの惨たらしいくらい残念な口説き文句を聞きながら、私は席を立った。
(あの調子じゃ、本当に死ぬまで結婚できないんじゃないかな……)
「あれじゃ死ぬまで結婚できそうにないな」
「……アルマくん?」
「おまたせ」
と、微笑むアルマくん。薄い唇がちょっとだけにこっとして、宝石みたいな目が細まって、優しく山なりになる。エディに言うと「そこまで笑ってる?」とか言われるが、すごく笑ってる。
そしてすごく顔がいい。もちろん前からよく知っていたけど、なんでか改めてそんなことを思う。うん、顔がいい。私を見る瞳のまつ毛なんて、一本一本がくっきりしている。
「アルマくん、まつ毛触ってもいい?」
唐突かつとんでもない提案だけど、断られると分かっているからこそ、言えることもある。
アルマくんはちょっと目を見開いてから、ほほ笑んだ。
「どうぞ」
(嘘だろ……)
私の動揺もよそに、あっさりと寄せられた顔は綺麗だった。とにかく綺麗だった。肌に触ったら指の跡でもついちゃうんじゃないかとか、そんな夢みたいなことがふと頭に浮かんでしまうくらい綺麗で、とにかく、気を付けないとどうにかなっちゃうんじゃないかってくらい綺麗だった。
彫りの深いのに、涼しげな印象を受ける目鼻立ちもそうだが、透ける絹みたいな肌や、触らなくても分かるくらい艶とハリのある髪だとか、元々の素材が、自分と同じ人間だとは思えないほど綺麗なのだ。
凄い芸術を目にして衝撃を受けるみたいに、私はしばらく、半ば茫然とアルマくんを眺めていた。
(アルマくんのすごいところは……これで生きてるところ)
文字どおり、魂消た、ってやつかもしれない。
アルマくんは本当に、『触るな』の札が立てられた、眺めるだけの芸術品みたいに綺麗だ。
(まあ触るけどね!!!)
伏せられた瞼の縁、影が落ちるくらい長いまつ毛に指先を伸ばす。いや、目を伏せているとはいえまつ毛が本当に、肌に影を落としているのなんて初めて見ました。
「うわっすごい、まつ毛の感触が……弾力が強い。つやっとしてる」
付け睫毛なのでは? 違う? うわー。
独り言をぶつぶつ呟いていると、アルマくんの青い目がちらりと見上げてくる。
「楽しい?」
「楽し……うーん、綺麗かな。うん。綺麗だね、アルマくん。すごくきれい。女優さんとか俳優さんとかじゃなくて、なんかこう、なんだろうな。ほんと、もっと純粋に、存在が――彫刻とか、絵画みたい、も違うな。あ、雪原。雪原みたいに綺麗」
「そうか」
「うん」
私がまたウキウキしながらぺたぺた触り出すと、アルマくんはおとなしく目を閉じ、じっとしている。
なぜかエディとリリーさんが仲良くヒソヒソ喋っていたが、何を言っていたかまではよく聞こえなかった。
「あれでまだ婚約してねぇんだ」
「あれでまだ?」
「あれでだ……」
「うわ……」
(……アルマくんはまだ、私が元の世界に帰れるって信じてくれてるらしい)
寝る直前、私はそんなことを考えて体を起こした。
なんとなく、ベッドの脇机に飾られたエマの花びらをつついてみる。ベアトリーチェと別れた後、アルマくんに頼んで部屋に飾ってもらったものだ。匂いはしないし、暗くて花びらの色も見えないけれど、あることを確認するとなんだか安心する。
『――だけどお前だっていずれ元の世界に帰ってしまうくせに』
あのとき囁かれたアルマくんの言葉を思い出すと、胸が痛む。
当の私でさえ頭では諦め気味なのに(心はともかく)、アルマくんはいつか私が帰ってしまうと、まだ信じてくれている。私含めたこの世界の誰も、そんなこと本気で考えていないのに。
「……」
最初からそうだった。はじめから彼だけが、私のことを信じてくれた。
そして多分私は、アルマくんのそういうところが好き。
他にも、彼の温かな手だとか、それをすぐ差し伸べてくれた優しさ。実はリンゴが好きなところや、キリッとした顔で案外ぽやっとしてるところ、残念なくらい不器用なところとかは可愛いし、信心深くて、聖書のことを語るとき目を伏せるところや、刃物を扱うときは普段の不器用なのが嘘みたいで、そういうところを見るとドキッとする。彼がどうしようもなく独りぼっちな瞬間に気づくと、どうにかしてあげたいと思ってソワソワする。
あと顔がいい。髪も目も、宝石みたいな青色で綺麗。つまりとにかく顔がいい。にこっとすると大人っぽくて、バツが悪いときは子どもっぽい顔になる……。
今までのことを考えてるうちになんだか堪らなくなって、私は赤くなってる(に違いない)両頬を覆った。
冷静に振り返ってみると。
私めちゃくちゃアルマくんのこと好きだな……!?
(どうしよう)
完全に自覚した。自分でも驚くけど、案外落ち着いてる。いや動揺はあるけど、しっくりき過ぎて、慌てようがないというか。
というか。『好き』ってなったら、どうしたらいいんだろう?
理論とか過程とか、結論の出し方とか、筋道の立て方? とか。今まで興味も縁もなかったから、どうしたらいいのか分からない。
(……やっぱり告白かな?)
自分で考えて、いやいやと考え直す。
(早いかな……。他にもっとなんかこう、いい感じのなにか……なにか……?)
思いつかない。
思いつくためのきっかけ、みたいなものすら私の中にはない。
(やっぱ告白かな)
引き出しが少ないから、告白くらいしか出てこない。
今まで、慎重に慎重に、行動してきた。アルマくんに『慎重過ぎるくらい』って言われるくらい慎重にやってきた。面白みもないくらい、危険なことだって絶対しなかった。偉い人には口答え一つしなかったし、波風立てないようにアルマくんへ色々尋ねたいのも控えてきたし、ハプニングだって起こさないようにしてきた。
それで分かったことは、行動するべきときには行動しなければならない、ということだった。
口を噤んで波風立てないようにしたところで、黙ったままストレスをためて自分が駄目になったらどうしようもない。対話をしないといけないときには、対話をする必要がある。なにか言ってやりたいときは、相手に自分の意見をぶつけてもいい。誰かの傍にいたいときは、追いかけてでも傍にいてもいい。
『慎重』というのはあくまでも内面の、前提の話だ。結果として表に出るのは、『何かをした』か『何もしなかった』かのどちらかだ。どちらがいいとか悪いとかではない。ただこの場面で、『何もしなかった』という結果になったら、私は絶対に後悔する。それだけだ。
――なんて色々考えてるけど、結局、アルマくんのことを考えると頭の中がいっぱいになって、じっとしてられないだけだ。
正直、もう帰れるかなんて分からないし、アルマくんみたいな素敵な人がモテないはずないし、この世界だといつウッカリ殺されるかも分からないし、好きだと自覚した以上、何か行動しないと気が済まない。
善は急げというか、それ以外ない気がしてきた。やるしかない。
というわけで、いつも通りエディに恋愛相談(※主に告白という行動について)をしてみることにした。
私の質問に、彼は今までになく悲しそうな顔をした。大人がこんな表情するのかと驚くくらいだった。濡れた犬みたいな顔をしていた。
「なんで俺に聞くの……? 惨敗野郎に、なぜそんな残酷なことを……? なぜ……?」
「ごめん」
「許してやるよ……。あ、アイツそこまでモテねぇぞ」
「えっ、なんで? 分かんない……あんな世界一なのに?」
私の言葉に、一瞬でエディの目が死んだ。
そんな様子のおかしいエディを、リリィさんが心配そうにちらちら見ていて、こういうのに気付かないのがエディの惜しいとこなんだろうな、と私は内心思った。
「顔面が化物レベルでなんか全体的に変に青いのと、外見より精神年齢が低いからじゃないか」
「なんか雑な感想……」
「まあ前者はともかく、後者は的外れじゃない――はずだ。たぶん。あいつ、肉体年齢が確か……5歳だったか? それくらいで生まれて、まともな環境で育ってねえからな。外見は二十歳を超えてるが、中身はお前と同じか、それより低くてもおかしくない。ちぐはぐなんだよ」
「前もそんな話聞いたね。なるほどなー。うーん、同い年くらいなら結構希望あるんじゃないの、私」
「(つーかそもそも普通の人間じゃない――『代替品』だって知られてるから、簡単に寄ってくるような奴はいないんだよなあ……。こいつは気にしてないようだからいいけど……)」
「なに?」
「いや。別に」
エディにはそれから、「告白の前にせめて自分に勝機があるかくらい確認しろ」という至極真っ当なアドバイスをもらった。
ただ、彼オススメの愛の言葉の伝授は断った。そこは自分の言葉で伝えたいと思ったし、正直当てにならないと思った。
「ねえ、アルマくんって好きな人いる?」
「すき? 特にはいない」
「私は?」
「世界で一番大切に想っている。誰よりも、俺自身よりも大切に想っている」
淡々とした声と率直な内容。
私は両手で顔を覆った。
「どうした?」
「しんどい」
「疲れたなら寝た方がいい。……最近よくバランスを崩して転びそうになっているし、疲れているなら休むべきだ」
私は顔を隠したまま頷いた。
ふとバランスを崩して転びそうになったり、曲がり角で曲がりきれず、体をぶつけたりすることが、最近多い。疲れてるわけじゃないけど……アルマくんがすぐに庇ってくれるから、無意識に甘えているのかもしれない。
……いつも助けてくれる、彼の手のあたたかさを思い出して。そこからこの前抱きしめられたときのことまで思い出してしまって、私はうめき声をあげた。アルマくんは不思議そうに首を傾げている。
今日はもう部屋に籠もって刺繍を進めよう。これ以上、アルマくんの顔を見て話せる気がしない。




