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わたしとあなたの七十五日  作者: ばち公
第三章 ベアトリーチェ 下
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 アルマくんは川縁で涼んでいた。カノック砦の外、なだらかな丘の一部が崖のようになっている、その真下である。

 日陰で、気軽には人目に付かないような所だった。そして此処からは、私が倒れていた場所もよく見えた。


 私をこうして外まで連れてきてくれたエディは、アルマくんに気が付くと、静かに砦内へと帰っていった。後で一回、リリーさんとの仲を取り持つ約束だ。


 私は複雑な心境でアルマくんの横に座った。彼は寝転がっていて、せせらぎに耳を澄ませるように目を閉じていた。

 何も言わずにじっとしていると、やがて彼は観念したように上体を起こした。


「……服が汚れる」

「私の服の心配してる場合じゃないでしょ、普通……」

「普通ってなんだよ」


 すっと彼の目の色が変わる。声のトーンはあくまでも静かだった。その下に覆い隠されているものはともかくとして。


「なんでこんなところに来たんだ、外に出たら殺されるかもしれないのに。エディはどうした? お前は自分の立場が分かってるのか」

「私は『監視役』の傍にいないといけないからね。ね、アルマくん」

「俺はアルマじゃない!」


 握り拳が、崖壁を殴りつけた。ぱらぱらと土が落ちるのを耳の横に感じながら、私は彼の瞳を見つめた。

 影の中でいつもより暗い、夜空みたいな、青と黒の瞳。


「お前には、」


 彼は私の視線を受け、苦しげに目を閉じ、俯く。堪えきれない感情に震える声で囁く。


「お前には分からないだろう」


 青色の髪が揺れる。まるで()()()()()()、ファンタジーの世界を代表する、美しい髪色。この国を表す色。

 そして、彼の最も嫌いな色。


「――造られたもの、それが国を護るということ。己を造った者の娘、それと結ばれるということが。お前には分からないだろう……ッ!」


 苦悩を吐露するアルマくんに、私は何も言えない。

 彼の肩に触れる。逞しい男性の肩は、怒りか或いは悲しみにか細く震えている。


「アルマ・アルマットを造ったこの国を、紛い物の俺が護らなければならない。俺が。この国の色を背負って。それで、俺を造ったあの男の子どもと結ばれる。それを望まれている? くそっ、ふざけるな……ふざけるなよ……!」


 アルマくんは泣いているようだった。咽喉から絞り出した声は、荒れ狂う感情のなかでよりいっそう苦しげに響く。

 彼の深い懊悩は病魔のように暗い。私にそれを照らす術は無い。


「アルマくん」


 だけど傍にいることはできる。いつかの聖書の言葉を思い出す。

 私達は暗闇の中、なにも見えなくとも、その手を握り、温かさを伝えることができる。

 出会ってから今まで。彼が私に、何度もそうしてくれたみたいに。


「私がいるよ。私も独りだけど、私にはアルマくんがいてくれた。だからアルマくんには、私がいる」


 アルマくん。独りなのに一人になりたくて、こんな所に隠れていたアルマくん。そして私を見つけたアルマくん。独りぼっちの私に、いつだって手を差し伸べてくれたアルマくん。私みたいなぽっと出の不審者に「アルマくん」と呼ばれただけなのに、あんなに柔らかく笑ったアルマくん。異世界から来た私に違和感を感じないほど、この世界でずっと独りぼっちだったアルマくん。アルマくん。アルマくん。


「アルマくん。私は『勇者アルマ』なんて知らない。アルマくんだけ、アルマくんだけが私の――」


 その先は言葉にならなかった。

 私はアルマくんの温かい腕のなかで静かに瞼を落とす。私を何度も庇ってくれた、彼の広く逞しい背中に、私のちっぽけな手を添えた。か細く震えるそれを宥めるように撫でながら、私は彼の名を囁いた。彼が縋るような声でそうするように。

 私が告げる『アルマ』の言葉、それは貴方だけに捧げられるものなのだ。




「――だけどお前だっていずれ元の世界に帰ってしまうくせに」


 やがてそれだけの囁きがひやりと鼓膜を打った。アルマんくんは私の髪を掬うように掌をすべらせる。その長い指先が、あの琥珀色の髪飾りに触れる。

 ややあって、アルマくんは私から身を離した。


「ごめん」


 アルマくんは目を伏せた。私は彼のその言葉に、何も答えることができなかった。



 そのあとすぐに、私達は砦へと帰還した。

 私はそのまま恩人であるエディとの約束を果たすため、彼が待っているだろうリリーさんの働く食堂へと向かった。リリーさんの短い休憩時間の内に、エディの長所をアピールしなければならなかったのだ。

 つまり、私はそこでアルマくんと別れてしまったから、アルマくんがその後どうしたのかは知らないのだ。




「どうしたのですか? 貴方が私を呼び出すなんて、珍しい」

「ベアトリーチェ。貴女との婚約を解消したい」


 アルマ・アルマットが歯に衣着せずそう切り出すと、ベアトリーチェはその美しい翠の瞳を見開いた。

 しばらくの沈黙があった。アルマ・アルマットは、かつて彼らが過ごしていた家での、よそよそしいまでの静寂を思い出していた。

 愕然とするベアトリーチェから、やっとの思いで絞り出された声は掠れていた。


「なぜ? あの子が原因なの? 貴方は……」

「いや、イブはきっかけに過ぎない。――本当は前から考えていたんだ。ずっと、ずっと。それこそ俺が生み出されたときから、ずっと。俺は――」

「今さら、何を考えることがあるというの。私と、貴方が結ばれる。それだけのことを、どれほどの人々が望んでいるか。それがどれほど理想的か、貴方には分かっているのですか? 私はそれについての覚悟があります。例え私達が互いを――、いえ。なんでもありません」


 言い過ぎたとばかりにベアトリーチェは口を閉じた。


「……ねえ、アルマ・アルマット。確かに私達は、愛の言葉を交わし合ったわけではありません。そんなつもりもありません。それでも貴方は、私は、人々に望まれるがままに、()()を受け容れてきたでしょう? なぜそれを、今さら変えようとするのですか?」

「貴女には、」


 アルマ・アルマットは、万感の思いを込めてその言葉を吐き出した。


「貴女には分からないよ」


 造り物の青と、異常なほどの治癒力を、誇らしげに見せつけなければならなかった子供時代。異常は異常ではなく、隠しても隠れてもいけなかった。

 俺は隠れたかった。人々の目に何一つ晒したくなかった。青い髪も目も、象徴としてあるだけの自分も。

 延々と詰め込まれた勇者の知識、彼の言葉、彼の記憶。剣技の鍛錬に傍目も触れず打ち込んだ。まるで勇者のように。それが正しかった。それだけが正しかった。

 『アルマ・アルマット』と呼ばれる名の意味。生まれた時から、俺はそれを知っていた。俺の役目を。俺の向かう先、そこに聳える神殿の門扉を。


――好きも嫌いも使命も定められていて、それを国に捧げることを喜んでみせなければならなかった、あの子どもの気持ちなんて。


「貴女には、分からない」


 唯一自分を見てくれた彼女を、それだけを永遠に手放したくないと祈った男の気持ちも。

 踏み込むことも踏み込まれることもできず、ただ傍にいたいと願った俺の気持ちも。

 貴女には、きっと永遠に分からない。


 そして。

 それだけを告げて去ろうとしたアルマ・アルマットの背に、震える声がかかった。


「なんで」


 アルマ・アルマットは咄嗟に振り返った。その声に聞き覚えがある気がした。


「なんで貴方がそれを言うの?」


 まるで、幼いアルマ・アルマットが発したかのような、弱々しい声だった。

 正面から見たベアトリーチェの眦には涙が滲んでいた。しかしその緑の双眸は、苛烈な輝きとともにアルマ・アルマットを見据えている。


「その言葉は、私の――」


 そうして戦慄いた形の良い唇は、その先を告げず。


「――失礼します」


 アルマ・アルマットは、背を向ける彼女を引き留めなかった。

 感情を押し殺した声。刹那見た彼女の表情は、平常時と変わらなかった。

 アルマ・アルマットは、そのとき初めて彼女を見た気がした。己を造った研究者の娘、共に育ってきた姉のような女性、ベアトリーチェ自身を。

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