三十一日目 『勇者アルマ』
私が対峙している相手、ベアトリーチェさんは本当に綺麗なひとだった。
うっとりと見惚れるには神々し過ぎて、手を合わせて拝むには、若々しく華やかだった。
「はじめまして、ベアトリーチェさん。私は月吉 伊吹。このカノック砦の客人です」
私は事前にアルマくんに習ったとおり、形式に沿った挨拶をした。内心、英語の例文みたいな挨拶だと思いながら、にっこり笑ってみせる。
なぜかいきなりベアトリーチェさんに呼び出され。
なぜか彼女と、一対一で話しあうことになってしまった。
一体どうしてこんな事態になってしまったのか。
私は私を呼びに来たアルマくんの――恐らくこの事態を引き起こした元凶であるだろう彼の――あののん気な姿を思い出す。
「ベアトリーチェがお前と二人で話したいらしい」
一瞬の間。突然過ぎて、なんの心構えもできてない。
思わず固まる私に、「客室はこっちだ」とアルマくんはさっさと背を向けてしまう。
いや、「こっちだ」じゃない。
なんで、どうして、と焦ってあれこれ尋ねる私だが、アルマくんはどうでも良さげに、
「さあ」
なんて言って、ちょっと肩を竦めてみせるだけだった。
「さあって、ちょっと」
「落ち着け。二人だけで話したい会話の内容が何かなんて、俺が知るわけないだろう」
寧ろ何をそんなに慌ててるのか、とでも言いたげな様子だった。
のん気だった。今まで私が誰か(だいたい嫌味なお偉いさん方である)に呼び出された時は、その目的や裏の意味などを全て把握し、伝えてくれていたアルマくんにしては珍しく、彼はのん気だった。
私はまたそれに少し複雑な気持ちになりながら、憂鬱な足取りでアルマくんの後をついていく。
彼は、今すぐ覚えられる程度に簡単な挨拶の形式を淡々と語る。私はそれを頭にいれながら、何度となく溜息を飲み込む。
叱られるために職員室に呼び出されるような気分、いや、それよりも遥かに憂鬱な心地だった。
「ただの客室だ。戦場に向かうわけでもないだろうに」
最後、アルマくんはそんなことを言った。私が、客室のドアノブに手をかけようとしたアルマくんを制し、呼吸を整え始めたからだった。
いやなに言っての、戦場に決まってるでしょ――なんて、まさか彼に言えるはずもない。
それにアルマくんは、呆れながらも、お願いすればちゃんとこちらの準備を待ってくれる人だと知っている。私は時間をかけて精神を落ち着かせ、気合をいれた。背筋に力を込めて、表情を整える。
私にとっては戦場だ。もしも相手にそんな気が無かったとしても、多分ここには、私が戦うべきものがあるのだ。たぶん。
「よしっ」
私が頷くと、アルマくんは静かにドアをノックしててから、私を部屋の中へとエスコートした。
足早にアルマくんが退室してすぐ。挨拶をして堂々と振る舞う私に、ベアトリーチェさんは少し小首を傾げながら、優雅に微笑んだ。余裕のある仕草だった。
「はじめまして、月吉伊吹さん。私はベアトリーチェ。アルマ・アルマットの婚約者です。彼がいつも世話になっております」
ベアトリーチェさんが今暮らしている帝都では、大袈裟なくらいの笑顔を浮かべて、自分には敵意が無いということを示すらしい。
だけど「婚約者」とはっきり告げられたとき、私は私が思っていたよりも遥かに動揺した。簡単に言うと、傷ついた。息苦しくなって、うっ、と顔が歪むのを堪えなければならなかった。
私は、うまくできているだろうか。笑えているだろうか。アルマくんがいないというだけで、私はこんなにも不安だ。
「……あはは、いつもお世話されているのは私の方ですよ」
ベアトリーチェさんはその目を丸くした。まずいことを言ったかな、と思った。
「そうですか。彼が……」
「あ、ああそういえば! さっきはお二人で何処に行ってらしたんですか? とても仲良く、出かけてたので……」
「私たちの生家に。私の父、サンドールの墓を参りに向かいました。二人で顔を合わせると、いつもそこへ向かうのです」
そうして彼女がふと視線を動かした先、そこにはエマの花が三輪ほど飾られていた。
相変わらず綺麗な花だ。派手ではないが、人目を惹く清純な美しさがある。
花言葉は『理想』、と、アルマくんは言っていたっけ。
「エマの花、ですよね。とても綺麗ですね」
「はい。私にとっては、一番思い出深い花なのです」
そう言って、ベアトリーチェさんはその唇に静かに笑みを浮かべる。
私は。
――アルマくんがエマの花にやたらと詳しいことだとか、彼があれ以外の花については碌に知識も興味もないことだとか。
そういった、嫌な気持ちとともに浮かび上がってくるいくつかの事実を、ぐっとお腹の底に押し込めた。
「仲が、良いんですね……。本当に、とても」
「そう見えているなら嬉しいけれど、どうして急にそんなことを?」
「アルマくんは、」
押し込めよう、としたのだ。本当に。
だけどそれらは結局全て激情となって、私の衝動を煽るだけだった。
「……エマの花について、すごく、詳しかったんですよ。他の花なんて全然興味ないみたいなのに、その花だけは、とても、花言葉だって知ってるくらい、すごく――」
口走りながら、私ははっとして目を伏せ、無意識に握っていた拳を解いた。
こういうとき自分は、自分の感情一つ操れないくらい未熟なんだと実感する。エディにガキだと言われるのもしかたない。
部屋の中はしんとしていた。外の音一つ聞こえないくらい静かだった。いつもの、傭兵の人達の喧騒も聞こえない。この部屋はずいぶん高くにあるからだ。
「それは――」
彼女の声に、私はそっと顔を上げる。
ベアトリーチェさんの目はもう笑っていなかった。口元は冷笑じみた弧を描き、そのよく通る声は、はっとさせられるくらい冷やかで、凛としている。
「それは、誰に教わったのかしら」




