三十一日目 ベアトリーチェ
美しい女性だった。はっと目の覚めるような、この辺りでは見たこともないくらいの。
黄金の稲穂のような髪は、風に靡いてもまとまりを見せる。さらりと出された額の白くなめらかな色。エメラルドのようにくっきりとした鮮やかな瞳が、雪のような白肌によく映えている。
頬も唇も柔らかな桃色に染まり、柔らかな微笑をほのかに彩っていた。
彼女は歓喜にきゅっと目を細めて、
「久しぶりですね。アルマ・アルマット」
と。何よりもまず、彼の名前を呼んだのだった。
彼女はベアトリーチェ。私は彼女こそがお姫様だろうと思った。
白を基調とした、格調高い紫で飾られた清楚な絹のドレスに身を包み、こちらを真っすぐ見つめる顔の、高い鼻梁の美しいことといったらなかった。清楚な雰囲気のイヤリングは、きらきらと輝いて揺れている。
そのたおやかな所作の節々からにじみ出るものは、ニセモノの私とは段違いである。
それでも周りの人達は、「あの人、あなたみたいにオーラが違うわね」などと私に囁いた。……これは異世界人で良かった、と安堵したらよいのか、情けなく思ったらよいのか。とりあえずラッキーだと思って、姿勢だけは整えて堂々としておいた。来るなら来いという気分でいた。
しかしその勇ましい心地も、徐々に萎んでいってしまった。
何に一番打ちのめされたかって、彼女の横にいるアルマくんの立姿があまりにも美しく、あるべきもののように収まっていたからだ。
本物の美男美女が並ぶと、こんなにも迫力が出るのか。内心こそこそ隠れて逃げ出したいと思いながら、私は溜息すら吐けず二人を見つめていた。
私は改めて、アルマくんの美しさを認識していた。
彼は綺麗な青年だった。宝玉の色をそのまま移してきたかのような深い青色の髪。涼しげな切れ長の目もまた、見つめていると吸い込まれそうな鮮やかな青色だ。なだらかな頬から形良く細まる顎は、どこか繊細ささえ窺わせる。
彼は綺麗だった。
私が今まで見たなかでは、どんな時よりも。
「……」
「ふわーあ」
私の複雑な心境も吹き飛ばすほどの、のんきな大あくび。
ぼさぼさの焦げ茶色の頭を掻きながら現れたのは、エディだった。
彼はベアトリーチェさんに気が付くと、目をぱちぱちさせた。
「なんだ、誰かと思ったらベアじゃねぇか。珍しいな」
「ベアって……。知ってるの?」
「まあな。あいつはベアトリーチェ。この国で一番有名な、サンドールって研究者の一人娘だよ。昔はこの地域に住んでたんだが、アルマ・アルマットのお陰で成金になってからはとんと……」
「では早速参りましょう!」
ぱあっと浮かべられた花のような笑み。
彼の腕を引いて行く彼女を、私はどんな目で見ていたのか。
「女の争いかい? ナックルでも貸そうか」
エディの、恐らく親切からくるだろう申し出を、私は丁重に断った。
――そんな会話を交わす二人を、アルマ・アルマットはきちんと目で確認していた。伊吹を一人にするのが不安だったが、エディがいるのなら問題は無いだろうと彼は考えた。
心ここにあらずな彼の様子に気付いたベアトリーチェは、その視線の先を追った。変わった服装の見知らぬ少女が、エディと親しげに喋っている。
「彼女は?」
「月吉 伊吹。この砦の客人です」
「後で挨拶に向かわないと。誰の客人かしら」
「私のです」
すらりと発せられた彼の言葉に、ベアトリーチェは一瞬その動きを止めた。
「……珍しいこともあるものですね。あとで、お話できるかしら」
「そうですね。時間があれば可能なのではないでしょうか」
他人事のような答えだった。ベアトリーチェは納得しがたい顔をしていたが、最後にその緑の目で伊吹を一瞥すると、アルマ・アルマットと連れ立って砦の外に出ていった。
「それで、あの二人ってどんな関係なの?」
「あいつら? あー……幼馴染、みたいなもんかな。小さい頃はこの近くで一緒に暮らしてた、ってお前に言っていいのかどうか」
「私にって、どういうこと?」
「ベアトリーチェは成金になってから、都で高等教育を修めてな。とびきり頭が良かったのもあって、今は政治家になるかどうかってとこまで来てる。そんな奴の情報を、余所者のお前に話していいのか。俺にとっちゃ昔から知ってるガキだし、どーでもいいんだが……煩いんだよな、上の奴ら」
ベアトリーチェさんのスペックが高過ぎる。美女で幼馴染で金持ちで天才でついでに良い声で、おまけに未来の政治家だ。美辞麗句のオンパレード、まさに非の打ちどころがないとはこのことだ。
私はテーブルに額をうちつけた。自分と比べる気も起きない。
アルマくんから貰った飴色の髪飾りも、折角つけてきたけれど、今の私にはとても重たく感じる。
長い溜息が零れた。
「――やっぱり、付き合ってんのかな」
「どうだろうな。無駄に理想的というか、お似合いだとは思うがね。皆があの二人の婚約を望んでるっつーのは、俺にも分かる」
「皆って誰? この世界の皆ってこと?」
(私以外の、この世界の――)
卑屈になって零した言葉は、「いやスケールでか過ぎるだろ」と呆れたようにあっさりと否定された。
「この世界じゃなくて、この国の一部の、だな。アルマ・アルマットとベアトリーチェ――幼馴染で美男美女、おまけにどっちも、物語に出てきそうな有名人。ここまできたら誰だって騒ぐさ。……それに、どっちもこの国に必要な存在だ。互いで互いを繋ぎとめられるのなら、それほど便利で都合のいい、理想的なことはない。だろ?」
いまいちぴんと来なかったが、なんだか壮大な話だった。二人がお似合いで、騒がれるのは分かるけど。
「……あの二人って、そんなに有名人なの?」
「そういった話は本人に聞けよ」
それ以上語る気は無いらしい。
エディの真っ当な言葉に、私は黙って項垂れた。
ベアトリーチェさんが有名なのは、まあ分かる。エディ曰く、国一番に有名な、サンドールという研究者の娘。おまけに賢くて美女で、未来の政治家だ。なにより、一度見たら忘れられないオーラが彼女にはあった。
だけど、アルマくんはどうなのだろう。砦の外に出た彼が騒がれている姿を、私は見たことがなかった。その容貌から人目は惹いていたけれど、それもそこまで大袈裟なものでもなかった。彼がかつて出たという、冒険が関係しているのだろうか?
――それに。ベアトリーチェさんが、アルマくんのお陰でお金持ちになったというのは、一体どういうことなのだろう。
あの二人の過去に、何があったというのだろう……。
改めて思う。
私は彼のことを、何も知らない。
私が聞いてこなかったから。彼も聞いてほしくない、という態度だったから。
……だって聞いてほしくない、という態度の人に、わざわざ尋ねるような真似、普通はしない。失礼だし、みっともないし、なにより私は、そんな面倒臭くなりそうなことはしない。普通だ。普通の選択だ。私は人として、正しいことをしてきた――。
――なのになんで、今さら、そんなことを後悔しているのだろう。
「うーん……」
「ま、俺ら外野があれこれ煩く言っても、それでもやっぱりあれだよな、当人同士に愛がないとな」
「愛って。十分、仲良しに見えるけど……」
「イヤ、そんなもん、俺らには分からんだろ。当人同士、何を抱えてるかなんてのはさ」
続けて聞こえる、「俺とリリーちゃんにも傍から見ただけでは分からない繋がりってもんがある」云々という、長い長いエディの語りを聞き流しながら、私はまた溜息を吐いた。
連れ立って出たアルマ・アルマットとベアトリーチェだが、彼らは普段よりも幾分早い時分にカノック砦へと帰還した。アルマ・アルマットの要望だった。
いつものように二人でかつての生家を訪れ、ベアトリーチェの父親と母親の眠る墓を参った後のこと。
アルマ・アルマットからベアトリーチェに、早めに帰ることを申し出たのだった。
「もう少しゆっくりは、できないのですか?」
「とある人物の監視を任されているので」
「それは、構いませんが。折角家に帰って来たというのに。……私達の故郷ですよ」
「……申し訳ございません」
彼がベアトリーチェに意見を述べるなんて、本当に珍しいことだったので、彼女が違和感を覚えるのも当然だった。
その後アルマ・アルマットの監視対象が、彼が出かける寸前まで気を配っていたあの見慣れぬ少女だと分かったとき、ベアトリーチェは彼女を呼び出すことに決めた。




