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わたしとあなたの七十五日  作者: ばち公
第二章 ベアトリーチェ 上
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三十日目 雪

 しんしんと寒さが募りだしたあくる日の朝。雪が積もった。北方にあるこの地域にしては、別段珍しいことでもないらしいが。

 私にとっては、この世界で初めての雪だった。


 手袋越しでも掌に掬う雪は冷たく、眩いばかりに白かった。私ははしゃぐような白い息を抑えながら、アルマくんを呼んだ。


「アルマくん! こっちこっち!」


 彼の青い髪は、雪景色の中でよく映えた。それこそ雲の切れ間から覗く青空みたいに。


「朝っぱらから何をしてるんだ……」

「雪だるまだよ!」


 私が自慢げに雪だるまの身体をぺちぺち叩くと、アルマくんはへぇ、とどうでも良さげな相槌。

 雪だるま。こんなに巨大なものを作ったのは初めてだ。球体を二つ重ねただけのシンプルなものだが、なかなかの傑作だと思う。

 ちなみに先ほど通りすがった親子に聞いたところ、どうやらこの世界では雪玉を三つ重ねた雪だるまが主流らしかった。やんちゃそうな男の子にそれはもう熱心に「三段重ね雪だるまのロマン」を語られたが、それでも私はこちらを選んだ。こっちの方が可愛い気がしたし、なによりも単純に懐かしかった。


「あとはカマクラ作って、雪合戦もしないとね!」


 活き活きと指折り数える私に、アルマくんは溜息を吐いた。


「そんなにはしゃぐものか?」

「私の住んでた所は、こんなに雪が降らなかったんだよね。いや、たまには積もってたけど、やっぱり珍しくて。アルマくんは?」

「見てのとおりだからな」


 私は彼につられて景色を見渡す。目に映るのはすでに雪の払われた武骨な砦と、あとは一面続く荒野ばかり。今でこそ雪で覆われているが、普段は荒れた色の大地が剥き出しになっていて、なんとも言えず殺風景だ。

 北方砦は『東の蛮族』達と戦うための最前線――というが、此処はいざという時の避難場所や司令塔を兼ねている。他の北方砦よりも比較的襲撃は少ない。そのため、兵士以外では『東の蛮族』を見たことすらない者も多い。私のように。


「アルマくんはずっとここに住んでるの?」

「ずっとではないが、長いな」

「そっか。生まれ故郷ってやつだね。静かで、いいところだよね」


 彼は何も言わず、静かな印象の微笑みを浮かべていた。私もなんとなく口を噤んだ。

 太陽が雪から照り返し、目の焼けるように眩しかった。雪だるまの輪郭に水滴が滲む。


 アルマくんは私を砦の陰になる場所へと連れていった。殺風景だが、ここなら確かに遊びやすい。

 本当は色付きのゴーグルがあるといいらしいが、そこまで本格的に遊び込むつもりもない。かまくらも雪合戦も全部、ふざけ半分の口だけだ。


「天気いいね。雪、とけるかな」

「そうだな。また暖かくなりそうだ。次は雪じゃなくて雨が降るんじゃないかな。……皆、嫌がるだろうな」

「どうして? 雪かきとかって大変なんでしょ?」

「雪が厚く積もれば、東の蛮族どもの手が緩む。彼らは馬に乗るから。まあ、それでも来るときは来るが」


 私は言葉を失くした。自分の無知っぷりが恥ずかしくなって、黙ったまましゃがみこんだ。

 銀色に輝くふかふかの雪に、私の黒い影が乗っかっていた。

――この世界で、私はあと何回、雪を見ることになるのだろう。

 ふと手を伸ばして、雪を握ってみた。きしきしと奇妙な感触がした。当然だが、私のいた世界と同じような手触りだった。


「手を冷やすぞ」


 呆れたように言って、アルマくんは私に立つよう促した。私は手についた雫を拭うと、彼の横に並んだ。


「ずいぶんと楽しそうだな」

「うん。スキー……じゃなくて、旅行に出かけたとき以外で、こんなに積もってるのは初めて見たからね」

「通りで」

「何が?」

「ずいぶんとはしゃぐ筈だ」

「ちょっと何その顔――うわっ、」


 喋るのに夢中で雪に足を取られた。間抜けにも転びかけた私を助けるのは、やはりアルマくんだった。

 彼の腕のなかは温かく、慎重に私を立たせるその手は優しかった。初めて会ったときみたいに。


「――いつもごめんね、ありがとう」

「具合でも悪いのか?」

「え、なんで?」

「いや、急にバランスを崩したように見えて。それに、頬も少し赤い」


 慌てて両頬を自分の手で覆った。サイズの大きな手袋は濡れて、外気のせいで氷のように冷たい。


「ひ、日焼けかな。ずっと外にいたし」

「また風邪を引くといけないし、そろそろ戻るか」


 そうやって、当たり前みたいにその手を差し伸べる。

 思わず私の身体は緊張に強張って、彼は不思議そうに首を傾げる。

 ただ、また転ばないようにという、それだけの気遣いだとは分かっているのだけれど。

 私はいつもよりそうっと、その手に手を重ねる。ダンスの誘いを受けるお姫様方はこんな気持ちなのだろうか、と思わなくもない。


 砦に帰る途中、遠くで馬の嘶きが聞こえた。アルマくんも気付いていたようで、訝しげに眉根を寄せている。


「こんな日に馬車かな」

「見に行く?」


 アルマくんは少し考えたが、私の顔を見て、首を振った。


「いい。どうせ客人は、上の人間に挨拶するだけだろう」

「じゃあこれから私と、あったかいお茶でもどう?」

「謹んでお受けしよう」


 なんて畏まった風に言いながら、アルマくんは恭しく礼をした。ふざけていても、彼の所作は優雅だった。

 気遣われたのかと思ったが、それでも私は単純に嬉しかった。気遣ってくれる事実も、傍にいてくれることも、おどけた顔を見せてくれるところも。


 それからゆっくりとお茶を楽しんだ私達が、その御客人について呼び出されたのは、その翌日のことだった。


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