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わたしとあなたの七十五日  作者: ばち公
第二章 ベアトリーチェ 上
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二十五日目 刺繍、大人と子ども

 その日、私は頭が痛くなるくらい真剣に悩んでいた。


「刺繍のモチーフ、どうしよう……」


 また熱が出そうだった。もちろん知恵熱である。


 私が悩んでいるのは、以前アルマくんに願い出た、帯の裏側に忍ばせる刺繍についてだった。

 請け負った(というより半ば無理矢理申し出た)のはいいが、私にはかなりの難問だった。アルマくんから帯はすでに受け取った。針や糸などの裁縫道具も借り、おまけに時間もたっぷりある。

 しかし肝心の、何を縫うか、がなかなか決まらなかった。私には、この世界の文化についての知識も教養も経験も、なにもかもが足りないのだった。


 少し勉強したところによると、刺繍はそのモチーフによって意味が異なり、さらにそれを形作る糸の色によって細分化される。例えば、『赤い太陽』は未来、行く先、夏、情熱、あなたは燃えるような人、などだが、『黄色の太陽』は幸運、切れ間に掴むチャンス、見えぬけれどもあるモノ、などである。

 どれがいいか。まさか適当に選ぶわけにはいかない。どうせなら、アルマくんには、とっておきを贈りたかった。見えるものも見えないものも含めて、彼が今まで私にくれた全てのように。


「でもなー……」


 それに辿り着くきっかけすら私にはない。

 例えば――そう、安直な発想だが、アルマくんの好きな色だとか、そういうものが分かったら良かったのに……。

 なんて私が頭を抱えていると、


「どうした?」


 と、アルマくんが現れた。彼はこういう時に現れる。タイミングがいいのか悪いのか。

 しかしまさか贈り物の内容について、本人に直接聞くわけにもいかない。私は適当に誤魔化して、逃げるようにその場を後にした。

 恐らくめちゃくちゃ怪しかったのだろう、アルマくんは訝しげに形の良い眉を顰めていた。

 離れた後も、背中にビシビシと視線を感じるほどだった。



 眠そうな猫背を探すと、エディはあっという間に見つかった。丸テーブルに頬杖をつき、四白眼に瞼が閉じかかっている。明らかに今起きました、という風体。


「……おぉ。どうした、変な顔して」

「ね、アルマくんの好きなものって何?」

「なんだよ急に。俺が知るわけないだろうが」


 ちくちくとした不精髭の生えた顎を掻いて、どうでも良さげな声だった。


「それよりリリーちゃんの好きなものを教えてくれよ。ガードが固くってさぁ」


 エディの言う『リリーちゃん』とは、この砦に通う給仕の女性だ。二十代半ばらしいから、アルマくんよりも少し年上だろうか。はっきりとした物言いとその働きっぷりで、皆から一目置かれている、かっこいい女性だ。

 エディもよく「そういうとこに惚れ込んだ」と語っては、当のリリーちゃん本人や周囲から鬱陶しがられていた。


「んー。とりあえず兵士は嫌いだってさ。死んじゃうからって」


 この砦や、付近の村には、蛮族との戦いで旦那や息子を失くした女性が多いと聞く。詳しい事情は知らないが、彼女にも以前何かあったのではないだろうか。


「ああ、そういうところもまたカワイイねぇ」

「ほんっと、すぐ惚気るよね」

「いやいやお前に言われたくねぇよ」

「えっ、どういう意味?」


 エディは私の顔を見てなぜか口籠った。


「まあ、ガキは気にしなくていいんじゃねぇかな」

「ガキって。都合のいい時ばっか大人ぶってさぁ」

「そうじゃねぇよ。ただ俺らみたいなのには、お前らみたいのは、少し……いや、なんでもねぇよ」


 エディの笑顔はなんだか見たことのない、変に距離を感じるもので、私はそれにどう答えたらよいのか分からず、ただ「なにそれ」と呟いた。


「そんなことよりリリーちゃんの話をしようぜ。彼女の本名はウリララっていうんだ」

「うるりら?」

「ウ・リ・ラ・ラ! この名前を知らないなんて、さては異邦人だな」

「そうだよ、知ってるくせに。『ウリララ』ってそんなに有名なの?」

「ああ。『五人の仲間』っていう、この国の英雄達の名前の一つだな。それにあやかった名前の奴がめちゃくちゃ多いから、混ざらないようにあだ名で呼び合うんだ。……あだ名も被ったら終わりだが」


 ウリララでリリーというのはずいぶん無理矢理だと思ったが、なるほど、他の人と被らないように考えられた名なら納得だ。

 そんな話を聞いて、私の頭にぱっと浮かんだのはもちろん彼――アルマくんこと、アルマ・アルマットのことだった。


「じゃあアルマくんは?」

「アルマ? アルマって名前はこの国で一番有名だぜ。当たり前だろ? だからあいつはアルマ・アルマットなんて呼ばれてるんだ」


 なるほど。あまりにもよくある名前だから、あだ名みたいにアルマ・アルマット、なんて長ったらしく呼ばれてるのだ。他の人と区別するために。


「へー……」

「なんだ、興味無さそうだな」


 実際、私にはあまり関係の無い話だった。

 私にとっての『アルマ』は、アルマくんしかいない。今さら呼び方を変えるつもりも、注意すべきこともない。

 それに本人を前にして、「ずっとアルマくんて呼ぶ」、なんて宣言までしているし。

(……まあ、アルマくんがまだこんなことを覚えてるかは分かんないけど)

 あれこれ考え込む私を見て、エディは鼻で笑った。


「――そーゆーとこだよ、ガキ」

「な、なにいきなり……」

「ほら、迎えが来たぞ」


 言われて振り返ると、アルマくんが立っていた。少しだけ気まずそうな、ちょっとだけ機嫌の悪そうな、あまり見たことのない表情をしていた。子どもっぽく見えた。

 エディはそそくさと退散してしまった。結局アルマくんから距離を置いたところで、私はなんの成果も得られなかったのだった。


「なにを話してたんだ?」

「エーット……」


 まさかあなたの為に悩んでいるなんて、言えるはずもなかった。


「あっ、ちょっとエディの、相談に乗ってて」

「相談?」

「そうそう。あの、リリーさんの好きなものは何かなーって。あ、ほら、好きな色とか!」

「懲りないな、あいつも」


 とぼやくアルマくんの様子を見るに、なんとか誤魔化せたみたいだった。

 そこでふと私は思った。――寧ろこれはチャンスなのでは? この流れなら、私が刺繍について悩んでいるなんて、まさか思われないだろう。ピンチはチャンス!


「そっ、そういえばさ、アルマくんの」

「俺の?」


 そう言って子どもみたいに首を傾げる、その仕草に何故だか一瞬言葉が詰まった。胸がいっぱいになって、まるで時が止まったかのように声が出なくなったのだ。

 本当に一瞬だけ、だったけれど。


「……アルマくんの、好きな色ってなに? やっぱり青とか? 私は大体なんでも好きなんだよねー」

「――色、は、特に思いつかないが。……青か。青は嫌いだな」

「き、らいなんだ」

「まあ。この国の象徴みたいな色だから、あまり褒められた発言ではないかもしれないが」


 国の色。確かにそうなのかもしれないけれど。

 私は眉根を寄せる。

 私にとって青は、目の前にいるアルマくんの色だった。


「どうした、変な顔して」


 こうしていると、改めて思い知らされる。

 私は、アルマくんのことを何も知らない。


「……なんでもない。それさっきエディにも言われたんだけど、私ってそんなに変な顔してるかなぁ。納得いかないんだけど」

「変、というか、そうだな。……たまに、よく分からない顔をしている」

「よく分からないって、」


 文句を言いかけて、彼の表情に口を噤む。

 憂いを帯びた大人のような、途方に暮れた迷子のような、そんな顔。


「そういうとき、俺はお前のことを何も知らないんだなと思う」


 その言葉は奇妙なくらいストンと私の胸に落ちた。真っすぐに、なんの躊躇もなく。ぴたりと嵌るパズルのピースみたいに。


「……あのね、アルマくん」

「ん?」

「私ね、アルマくんの帯の刺繍で悩んでたの。どんな柄がいいかなって」

「――そうか」

「うん」


 私たちはしばらく話し合って、帯の模様について意見を出し合った。なんの色がいいか。どのような形にするか。アルマくんは私と同じくらい、刺繍についての知識がなかった。知識のないもの同士だから、やはり結論は出なかった。

 それでも私たちは、他愛のないことを長々と喋っていた。まるで確かめるみたいに、飽きもせずに。ずっと。


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