十九日目 誰かにとっての近未来
「治った」
ひらひらと見せびらかすように揺れるアルマくんの掌に、私は目を剥いた。治ってる。鷲掴みにし、ひっくり返してまじまじと観察するが、やっぱり治ってる。怪我をした痕だろうか、そこだけ少し皮膚の色が薄く見えるが、それだけだ。
いつも通りの、アルマくんのあの、とてもあったかい手のひらだった。
思わず肩から、力が抜けた。
アルマくんの手に穴が空いた、そのたった一日後の出来事だった。
「医者が優秀なんだ」
「まだ手品って方が納得できるよ」
「俺にそんな器用なことができるとでも?」
「うーん……」
アルマくんの不器用さを思い出して唸る私に、彼は微笑みを浮かべた。
「タネを見せてやろうか」
そうしてアルマくんが案内してくれたのは、医務室だった。
彼は筋骨隆々、というかムッキムキな医師の男性に何事か話すと、私を奥の部屋へと連れていってくれた。
そこの光景に、私は思わず絶句した。
「どうした?」
「……なに、これ」
「医務室」
「えっ、SF? ファンタジーは?」
近未来的な光景だった。
継ぎ目に当たる部分に、淡い緑の光を走らせた機械――私の知る医療機器にしては曲線的――がみっしりと、かつ整然と詰まっていた。人一人が入れそうなポッドがずらりと並び、様々な太さの管が半透明な床下を通る。読めないラベルの貼られたケースには、薬品だろう液体の詰まった沢山の小瓶。
明らかにここだけ、私の知るこの世界の文明とレベルが違う。違い過ぎる。
呆気に取られて固まる私に、アルマくんは機械から引き出しのようなケースを引っ張りだした。ほの白く光る青い液体(恐らく)を指差し、「ここに手をつけておくと傷が埋まる」とかなんとか言っているが、私が知りたいのはそんなことではない。
「どうなってるの? これどうなってるの? えっ、あの、え……?」
混乱のあまり私が倒れそうだと判断したらしく、アルマくんは慌てて私を外に連れ出した。
「つまりこの世界の文明は、原因は主に魔物だが、すでに何度か滅びていて、」
「はい」
「その遺産がいくつかあるんだ。それが今見たようなもので、」
「はい」
「そして特に解析が進んでいるのが医学で、俺には原理が分からないが全て――」
「はい」
「……イブ、大丈夫か?」
「……一応」
私はくらくらする頭を抱えながらアルマくんの説明を聞いていた。
荒野の砦で使われている、古代文明の遺産。うん。古代ならしかたない。うーん……?
しばらく受け容れるのに時間がかかった。
正直、いやこれ絶対おかしいだろ!!! と思った。
だけど、よく考えると、それを歪に感じているのは、私が『私の世界』を全ての基準に――正しいもの、真っ当な歴史を辿って進歩してきたものだと、考えているからだと気付いた。
この世界には、この世界が積み重ねてきた歴史や、流れがある。比較するのは悪いことじゃないかもしれないが、おかしい、という言葉はたぶん、相応しくない。
でもなんかこう、色々と割り切れない感がすごい。
――そういえばこの砦、トイレが水洗式だったっけ……。
もちろん私の部屋含む。そのへんも妙に発展してたな、なんて考えながら、私は気を取り直して、アルマくんの話に耳を傾けた。
「とにかく。遺産については分かっていないことも多いが、理解が進んでいるものもある。数百の凡百よりたった独りの天才の方がよほど理解を進め、発展を築く特殊な分野なんだ。つまり、」
アルマくんは一呼吸置いた。
「俺がこうもすぐに治ったのは、環境が途轍もなく優れているという、それだけのことだ。――だから、俺は人間だよ」
「いや知ってるよ……」
「そうなのか?」
驚いた顔をする。
「そうだよ。人間じゃなかったらなんなの?」
答えに窮する彼の姿に、私は妙に気分がざわざわするのを感じた。悲しみとか、寂しさとか、そういった気持ちからくる苛立ちだった。胸がいっぱいになって、締め付けられて、苦しくなるような。
「……ずっと俺に対して、納得も理解も出来ないような顔をしていたから」
「今も出来てないよ。説明されたことは分かった。アルマくんは怪我をしても、ここの遺産とかお医者様のおかげで、すぐ治るってことも分かった。安心できた。でも私が納得できなかったのは、理解したかったのは、そこじゃなくて。――あなたが、」
私は震えてしまった声を整えるように、深呼吸した。
「アルマくんが、あなた自身を大事にしてないってことだよ。なんで? なんでそうなっちゃうのかなぁ。自分の手に穴が空いてるのに、なんで私の足元なんて気にするの? さすがにどうなの? 優しいのは分かるけど、自分に無頓着過ぎるよ」
「でも治るんだよ、イブ。肉体の傷は治療を受ければすぐに治る。俺は特に治るのが早い。俺にとって痛みはただの痛みであって恐怖にはならないし、死に直結するものでもない」
アルマくんの瞳は静かで、言葉は説き伏せるみたいに落ち着いている。
「――そう難しく考えなくてもいい。俺にとって、普通に考えているだけだよ」
「……分からない。分からないよ、アルマくん。……私、あなたが分からないかもしれない」
説明しがたい罪悪感に押しつぶされそうな私をよそに、アルマくんは平然とした口調だった。
「理解できないのは当たり前だろ。俺がツキヨシ イブキという人間を理解できないように、お前も俺を理解できないのは」
――そもそも一度だって、互いに理解しあえたことなんてあったのか。
私の頭にそんな問いがぽんと浮かんで。
脳内で、アルマくんの何でもなさそうな声がそれを再生した。
以上のアルマくんとのやり取りを、偶然会ったエディに愚痴ると、彼はからから笑った。
「いいな、もっと怒ってやれ」
「……ふつう、あまり怒らないでやってくれ、とかじゃないの?」
「あんな奴、叱られるくらいがちょうどいい。お前より図体こそでかいが、中身はガキみたいなもんだ――なんて、さすがに分かってるか。お前もそこそこの付き合いだもんな」
私の知る限り、この砦で最もアルマくんと親しいのは彼だろう。彼と話すときのアルマくんは、他の人達とも会話するときよりも、どこか気を抜いている(……気がする)。
「エディは、アルマくんとは昔から知り合いなの?」
「ああ。あいつが産まれる前から、あいつの実家に出入りする業者の護衛をしててな」
「いいなあ」
「は? 何がだよ」
昔から知っているということは、その人のことを、その時間の分だけ知る機会があったということだ。
羨ましい。
「なんつーか、考え方が純粋というかなんというか……。やっぱお前もガキだよなぁ」
なにそれと怒ってみせると、はいはいと流される。
大人と子ども。こういうところにも、境界は表れる。
「……」
部屋に戻った私は、一人黄昏るみたいに考える。
これまで私は、たくさんの境界を見て、実感してきた。――この世界と、私の世界。帝国と、『東の蛮族』。大人と子ども。男性と女性。砦のなかの、上の階層と下の階層。エトセトラ、エトセトラ。
――理解しあえたことなんてないし、理解しあえない、というようなことをアルマくんに言われたのは、正直ショックだった。
私とアルマくんは、何もかもが違う。それは分かる。
私が分からないのは、アルマくんが自分を、いったいどこに置いているのか、ということだ。たくさんの境界線で区切られた、様々な区分の、どこに――。
考えるが、分からない。どこにも置いていない気がする。
分からない。アルマくんが見えてこない。
そもそも、アルマくん自身、他人に自分のことを分かってもらおうとしていないのかもしれない。そのことに自覚があるのか、ないのかは、ともかく。
「はー……」
虚しいのに、こぼれる溜息は重たい。
なんでだろう、私はアルマくんのことが知りたい。
綺麗な青色で、優しくて、静かで。なのにたまに子どもみたいで、びっくりするくらい不器用で。たぶんリンゴが好物で、そしていつもあの温かな手のひらで、私を救ってくれるアルマくん。
分からない彼のことを、私は知りたいのだ。
やっぱり、それには会って話すしかない。対話、お喋り、コミュニケーション!
あんなことがあって中断してしまっていたが、元々そうしようとしていたのだし、と椅子から立ちあがりかけて。
再度、静かに席についた。
(いや待て。待て待て待て)
冷静になれ。アルマくんに会って、なんて言うつもりなんだ。
――私はあなたのことが知りたい。理由は分からないけど、あなたのことをもっと知りたいの。
(告白か!!? バカか!!?)
いやアルマくんは結構鈍そうだから、告白と取られずに済む可能性もある。が、それはそれでちょっとなんかダメージが大きい気がする。
困った。何が困ったのか正直自分でもよく分からないが困った。
さっきまでは良かった。
――アルマくんが歩み寄ってくれたんだから、私ももっと歩み寄ってこ!
なんて、その程度の気持ちだったから、全然気にならなかった。
今は違う。……いややることは違わないけど、心構えが全然違う。
感謝したいから、ではなく。
ただ私が彼を知りたいから、会いたいし、喋りたい。
純粋にそれだけだ。いや、それだけになってしまった。
(うー……)
何も起こってなかったら、今ごろ普通にアルマくんと喋っていたかもしれないのに。彼と向き合うため、思いきって行動した瞬間からこれだ。タイミングが悪すぎる。
頭のなかがごちゃごちゃする。エディにガキなんて言われるのも、しょうがないくらい、どうしたらいいのか全然分からない。
(やっぱり、ちょっと色々と後にしよう……)
彼が武器を持った人に襲われていたことだとか、今の情勢のことだとか、あのSFな施設のことだとか。改めて話を聞きたいことはたくさんある。
だけど、今はちょっと、冷静に話せる気がしない。
少し、額が熱い気がした。
 




