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メモ帳  作者: 如月 隆
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人とは価値観が一部違います

唐突な話になるのだが、俺は身体障害者に対して何の感情を抱く事はない。

基本的に、身体の一部が機能不全なんだ?で何が何処まで出来るの?

俺はそこにしか観点が向かない。


健常者が当たり前に出来る事を10として、その障害を持つ人が出来る事は4なのかそれとも7なのか?そこを重要視する。


健常者のサポートがあって障害者が努力して6が出来るなら俺は4までしか手伝わない。

慣れてきて7位まで出来るようなら3に変えて努力を促す。

俺は10出来る様になれとは言わないが、障害者が努力して現状を少しでも改善出来る出来事を増やす事の方が重要だと考えている。


これを読んで批判する人はいると思うので反論させて貰うが、障害を持った人達はそうなりたくてなった訳じゃないし、健常者に可哀想と思って貰いたいとは大半の人達は考えていない。

自分達がやりたいと思っても出来ない事そのサポートをしてくれるだけで良いと考えている人は少なからずいる筈。


俺自身は健常者であるが、故人である父親が身体障害者であったからというのが根本にある。

俺の父親は俺が物心ついた時には既に片腕(肘から先が欠損)であったし、よく父親の手伝い(日曜大工等)をさせられていた事にも起因する。

父親は自身が出来る事は自身でやるという事を実践していた人で、出来ない事を俺(含む子供)に手伝わせる事を日常的にしていた。

子供頃にそんな事が日常茶飯事だった俺は障害者に対して、可哀想等の感情を抱く事は無い訳である。


個人的な考えを言わせて貰えば、可哀想とかいう前にその障害を持つ人が何処まで出来るのか?何が出来ないのか?それに健常者のサポートが何処まで必要なのか?それを健常者は考えるべきだと俺は考える。


もっとも、障害者であることを主張して現状をを打破する努力をしない一部の人達には何かをいう積もりは全く無い。


ただ、努力しようとしても全てにおいて健常者のサポートが必要な人達には同情はするし、サポート技術が発展しないだろうか?とやきもきしているのも事実。

障害があっても働きたいと思い努力する人達は応援するしサポートもする。

障害を理由に努力しない人達は俺に取ってサポートも応援する価値も感じない。


これは、俺個人の価値観であり考え方なので他の人達からすれば「偽善」であったり「横暴」と受け取られるだろう。

それは、貴方の考え方を此方に一方的に押し付けてくる事では?

障害を抱えている人達の意見を自ら聴いた上で、俺の言い分を「偽善」「横暴」と判断しました?

障害を抱えている人達の想いや健常者にしてほしい事を直に本当に聴きましたか?


俺にとって貴方は障害を抱えているけど、何処まで何が出来るの?何処までサポートが必要?

出来る事を増やしたい?

俺が出来る事は微力でしかないし、出来る事もそう多くはない。

でも、俺にとっては障害が有ろうが無かろうが同じ人である。





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