見方が変われば意味合いも替わる
ぶっちゃけていうと「正義」ってやつです。
正義ってのは耳に聞こえは良いのですが、この「正義」ってのは非常に曖昧模糊な代物。
有り体に言えば、個人の生まれ育った環境や価値観、宗教観に左右されます。
決してテロに賛成している訳ではありませんが、かの「イスラム国」を名乗っている連中にも彼等独自の正義で動いている訳です。
何故なら、「イスラム国」の賛同者は、異教徒を自らの手で殺害する事で自分達が信じる「神の身許」へと逝けると信じそれが「正義の行い」と信じてるから、昨今の様な「自爆テロ」を平気で行う事が可能なんですわ
話がズレましたが、「正義」を標榜するにしても、価値観や宗教観、環境で「正義」という価値が変わるというのは理解できたでしょうか?
また、世の中には「数が多い方が正しい。数が多い方が正義」と放言する御仁も多い。
ですが、
数が多いから正しく絶対的な正義だ。
という考え方は非常に危険極まりない話です。
例えばの話
「北朝鮮が危険極まりないから、戦って潰し韓国に統一させよう」という話が国会で出たとします。
それに多数の人間が賛成したとしましょう。
「数が多いから正義だ」
その決議を元に北朝鮮と戦争をして、北朝鮮政府を倒し韓国に併合させて戦争を終結しました。
尚、北朝鮮の人民に被害者が多数出ました。
これは「正義の行い」と言えるでしょうか?
個人的な考え方ですが、
「多の正義が個の正義と言えない。その逆もまた然り」
多数の人が叫ぶ正義と一個人の正義は一致しているでしょうか?
また
一個人が叫ぶ正義が多数の人の正義になり得るでしょうか?
数の正義は「数の暴力」へと簡単になり得る事を忘れるべきでは無いでしょう
まぁ、俺は善人ではないので押し付けは一切しません。
ただ、自分の意見を書いただけです。
受け取る人がどう思うか俺には分からない事ですから
善人と己を標榜する人は、意見を押し付けますからね?
それも善人がいう「正義」なんですから
俺は善人ではないので言うだけです。
意味合いを考えるのは読んだかもしれない
貴方(貴女)なんですから