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 海風は潮の匂いがしたが、磯臭さよりはどちらかといえば爽やかな印象を受ける。天候が良く、ぬるんだ温度がそう感じさせるのだろう。陽の光が強く、日焼け止めだと言われた少しべたつくクリームを塗ってからでなければ、外には出られなかった。

 二か月前、罪人のようにひきずられ、涙目でくぐった南城門を、クッションをこれでもかと並べた白い馬車で再びくぐる。今度は町へ向かって。


「二か月! 二か月もかかるかしら、普通!」

「君の退屈を紛らわせるために、私は最大限、努力をした。どうかそれを認めて欲しいね」


 警棒をつきつけられた首も、転んでつけた膝の傷も、すっかり治ってしまうほどの時間だった。町へ降りる許可が出るまでの二か月の間、マツリがしたことと言えば、サリウェンに問われるがまま向こうの話をし、聞き取り調査官のルイーダという女性に同じ話をし、片方に話したことをもう一度話せと懇願され、結局爆発して、二人同時でなければ話をしないとへそを曲げたことくらい。

 ストレスをためるマツリに、エルは困ったようで、その度に、一番喜ぶと分かっている魔術を惜しげもなく見せてくれた。


 その過程でマツリが知ったのは、やはり、魔術はこの国の言葉で綴られている、ということだ。

 言葉は国ごとに違う。それはこの世界でも共通だった。だが、マツリは界渡りをした初日から聞き取りもできたし、話も出来ていた。正確に言えば、翻訳されていた。

 映画のようだ、と思う。彼らの口は、彼らの国の言葉の通りに動いている。しかし、マツリの耳には、彼らの声のまま、日本語に翻訳されて届いた。聞こえる言葉と口の動きが違うことで、当初は画面の向こうに人がいるような乖離感があったが、いまではすっかり慣れた。

ただ、文字は読めない。どんな力が働いているのかは分からないが、変化はマツリの精神に作用しているように思う。内部にある翻訳の力は、外部の紙媒体には及ばない、ということだろう。


 その中で、魔術だけが異なっている。エルやサリウェンが唱える呪文は、マツリの知る言葉ではなかったし、何より、言葉と口の動きがぴったり合っている。

 一度、同じ音を唱えようとした。が、出来なかった。口から出る言葉は、全て日本語に変換されてしまったのだ。双方向の翻訳機能が、異界人が魔術を使えない理由なのかもしれない。

 ならば日本語で同じ意味の呪文を唱えればどうかと思ったが、発動はしなかった。魔力と彼らが呼ぶものが元からないのか、言葉と声が一致しなければ発動しないのか、そもそも翻訳のニュアンスが違うのか、考えてみる価値はあるように思う。


 が、今のところはその暇はない。

 なにしろ、広いとはいえ軟禁も同然だった城の敷地から外へ出るのだ。エルの魔法は物珍しかったが、電化製品の代わりだと思えばすぐに飽きる。飽きて飽きて、いっそ逃げ出そうとも思ったが、気配を敏感に察知したサリウェンに諭され諦めた。ああいうのを何というのだったか。映画や本の中から探しあてたのは、食えないジジイ、という一生口に出すことはないだろう表現だったが、物語なら楽しい障害も、現実ではやっかいなだけだった。




「ところでエル様。なぜ、特別警護団のリーダーが、あの方なのですか」


 マツリ達の乗った馬車のすぐ横を、馬に乗った鉄仮面が並走している。その頭には、派手な羽根飾りがついてた。忘れたくても忘れられない、マツリを捕えた男が、警護の先頭に立っているのだ。


「優秀だからだよ」

「下手を打った、とおっしゃったではありませんか」

「そうだねぇ。あの時の彼は、不用意が過ぎた。だが普段は本当に優秀なんだ。だから私も、異界人来訪の報を受けてすぐ、彼が適任とみて迎えにやらせた。

 汚名を(すす)ぎたいらしい。もう同じ轍は踏まないに違いないよ」


 分かったものではない、とマツリは思う。彼はあの会議室までずっと、マツリに敵意のようなものを抱いていた。恐れからくる過剰な抑え込みと見ることもできるが、それだけとも思えない。

 だが、エルがマツリを危険にさらすはずがない、というのもまた事実だった。ならば、鉄仮面も仕事はきっちりしてくれるだろう。心のうちがどうであれ、守ってさえくれるならばそれでいいと割り切ることにした。


 マツリは、馬車の小窓から顔を突き出し、ぎょっとして身を引く鉄仮面に話しかけた。

んまあ姫様はしたない、という、付き添いの侍女の言葉を聞こえなかったふりで、


「あなた、私を守る気があるの?」


と尋ねる。鉄仮面は2秒ほどをおいて、


「勿論です、マツリ様。命に代えても」

「私の膝に怪我をさせたあなたなのに、随分と変わったのね」

「……任務を把握できていなかった私の落ち度です。誠心誠意の謝罪を。そして、今度こそ、任務を完全に遂行させていただきます。どうぞ安心して街歩きを」

「なんだか、本当に変わったのね。雰囲気というか……あんなに偉そうだったのに」

「お恥ずかしい限りです」

「名前は?」

「サニウェレ家が次男、セルジュメーラ」


 苛めるのはその辺にしておいておあげ、というエルに、そう言うつもりではないと一応こたえつつ、馬車に引っ込んだ。

 少し、浮かれている。

 マツリの手元には小さな装飾用バッグがあり、その中にはエルに貰ったこの国の貨幣が入っていた。故郷ですらしたことのなかったショッピングに、期待は膨らむばかりだ。

 自分は今、きっと、楽しい。マツリはわずかに残った冷静さでそう感じる。言葉にしてみれば、はっきりと腑に落ちた。言葉にしなければ、自分の気持ちさえうまく感じられない。痛いとか、悲しいとか、涙で誘発されるそんな感情とは違って、ポジティブな思いはいままでずっと抑えてきたものだ。きちんとしないさいね、という母の言葉から、少しずつ解放される。

 侍女にはしたないと評されて、それを感じた。



 浮かれ過ぎていた、と知るまでには、まだあと数刻。









 街路樹と街灯が交互に美しく配された道の両側には、煉瓦で組み上げられた統一された雰囲気の建物が並んでいる。思ったよりも、建築物の技術は高い。城は塔を含めなければ4階建てだが、城下町のそれは高くても3階までのようだ。石像なのかコンクリート様の塑造なのか、見事な装飾品を屋根に戴いた店もある。


「鬼がわらみたいなものかしら」


 思わず呟いて、はっと口をおさえるが、おにがわらとはなんですかな?と尋ねるはずのサリウェンは幸いにして城に置いてきた。思ったことを自由に口にしていいなんて、素晴らしい。


「さて、何からご覧に?」


 馬車を降り、エルが右、甲冑羽根男――あらためセルジュに左を固められて、さらに背後に幾人かの騎士を従えマツリは左右を見回した。そこここに、目立たぬようにではあるが、やはり騎士の姿がある。

 きっと、この通りの店にとっては、迷惑極まりない事態だろう。事実、天気の非常に良い昼時だというのに、人通りは少ない。


「気にすることはない。この日のために、きちんと彼らに言い含めて、補償もしている」

「私におっしゃっているのなら、気にしていません。気にするのは皆様の仕事でしょう?」

「そう」


 エルは面白そうに笑う。彼もまた、立場上そうそう町へ降りることもないのかもしれない。いつもよりずっと、表情が豊かだった。


「で、どこから回る?」

「片っ端から」


 とうとうエルが声をあげて笑った。周りの騎士達が驚きと戸惑いでそれを眺めているのが分かる。


 マツリがあちこちの店を出たり入ったり、小さな髪留めを購ったり、それから砂糖たっぷりの揚げ菓子を買い馬車で食べたり、また戻ってそれをまとめて包ませたり、さすがのマツリも目をむくような値段のイヤリングをエルが買ってくれたり、そんな風にしているうちにあっという間に夕刻になった。

 しかし、サリウェンに土産を買い忘れたと気付いたマツリが、あと一軒だけ、と雑貨屋へ向かう道すがら――それは起こった。


「椿、って分かるかしら。柘植、とかでもいいわ。分かる? そういう木で出来た……」

「マツリ!」


 買いたいものを具体的に説明してたマツリは、突然、エルに遮られ、腰を抱えられ横に吹っ飛ぶ。石畳に打ちつけられる、と思った瞬間に、体がくるりと入れ換えられて、エルの左腕の上に落ちる格好になった。キンッ、と、どこかで金属のぶつかる音がする。

 下敷きにしたエルの皮膚が石に擦れる感触をリアルに感じ、悲鳴をあげそうになったが、反転した視界の中では背を向けたセルジュが剣を抜いていた。声が止まる。

 セルジュの前には、麻色の分厚いローブの、フードを目深にかぶった男がいた。顔の分からないその男が、すり足で前に出て、なぎ払うように素早く剣を振る。セルジュがそれを受けると、再びさきほどと同じ金属音がして、つまり、襲われているのだとようやく気付く。

 鉄仮面は的確に相手の剣を弾いていたが、防戦に徹しているようにも見えた。


「マツリ様!」


 騎士の一人が、呆然と座り込むマツリの前に立ちはだかると、エルはすぐにセルジュのやや後ろに飛び出した。危ない、と言おうとした。しかし、エルが掌を上に向けたのを見て、それをやめる。

 あれは、何度も見た。魔術を発動する時の手だ。

 予想に違わず、そこに青白い光が浮かぶ。

 そうしてマツリは知った。

 魔術は、電化製品の代わりなのではない。あれは、あれ自体が、武器なのだ。

 エルの手から溢れる光は、術者の体をこえるほどに巨大に膨らみ、すぐに収縮した。エネルギーが凝縮していることがわかる、青色だった強い光は、次第に乳白色にさえ見える色に変わった。背を覆う、濃紺のマントがふわりと舞う。エルの口からは、短く言いきるようなこの国の言葉が放たれ、それに応えるように光は一直線に襲撃者に尾を引いて弓なりにぶつかっていく。

 そのものすごい威力とスピードに、爆風にも似た風を感じた。その風に乗って、焦げるような臭いがする。熱をはらんだ光球なのだと分かる。


「捕縛!」


 吹っ飛ばされて仰向けに落ち、動かなくなった襲撃者に、騎士たちが駆け寄り縄をかけた。焦げくささはどうやら、ローブの腹部の燃え残ったような布の奥からしているようだ。

 ようやく体が細かく震えてきたマツリの視界を遮るように、エルが跪いた。


「どこか痛いところは?」

「驚いたわ」

「そうだろうね。立ってごらん」

「ええ。そうね……ちょっと無理かもしれない」


 次第に大きくなる震えに、膝が萎えて立てなかった。エルは肯くと、マツリを軽々と抱き上げた。そのまま、馬車へと運ばれる。揺れに驚いて、その首にしがみついた。背中とひざ裏に当たる腕のぬくもりに、少しずつ落ち着きを取り戻すと、多少の恥ずかしさも感じたが、まだ歩けそうになかったので黙ってされるがままだ。


「ああ、怪我を……」


 突然、セルジュが呟いた。いつからそこにいたのか、エルの左に控えていたようだ。


「え?」

「ふくらはぎを、やけどなさっている」


 言われて初めて気付いた。今日のマツリは、青いすとんとしたくるぶし丈のワンピースの中に、ひざ下までのドロワーズをはいていたが、さきほど石畳に座り込んだ時、保護されていなかったふくらはぎは直接地面に触れていた。ちりちりとした痛みがある。強い太陽の光に熱せられた地面が、素肌を焼いたのだろう。


「気付くと痛いと感じるわ。命に代えても守ってくださるのではなかった?」

「面目もない」


 そう言うと、セルジュは籠手をはめた掌を上向け、何かを呟く。

 ふわり、と輝くグリーンの渦が、彼の掌から放たれ、柔らかくふくらはぎにまとわりつくと、急に痛みが消えた。見えはしないが、治癒したのだろう。


「……ちょっと待って。魔術で治せるのなら、初日の怪我をどうして治してくれなかったの? あの膝、お風呂に入るたびにとても痛かったのよ?」


 礼を言う前に、なじるような言葉が口から出た。セルジュは引き続いてエルの腕の怪我を検分していて、答えたのはその腕の主だ。


「治癒の魔術はかなりの魔力を消費する。攻撃系に比べると、ずっと力をもっていかれる。

 それだけじゃなく、繰り返しかけると、怪我の程度に比例して、かけられたほうの自己治癒能力が落ちることも分かっている。

 ほんとに軽いものなら影響ないようだが、軽いならば魔術を使う必要もない。だから、この国ではよほどでなければ魔術で怪我を治したりはしないんだ。

 うっ、セルジュ、もう少し丁寧にだな……」


 その腕にはマツリを抱えているというのに、エルの説明通り魔術を使わないらしいセルジュは、どこから出したものやら分からない布で怪我から滲む血をごしごし拭っている。


「ちょっと、落ちる!」

「まさか」


 揺れる腕の中で抗議すれば、あっさりいなされる。

 馬車に着くと、セルジュが先に中を改め、そしてようやく、クッションにもたれるように座らせられた。


「あの人、死んだの?」

「いいや、身元と目的を確認しなければならないからね」

「そう」

「ほっとしているのか?」

「言ったでしょう。私の国で、人は理不尽には死なないの。同様に、理由があっても殺されない。人の命を奪うことは重罪よ。しみついたその感覚は、あなた達には分からないようだけど」


 外では、帰るルートの安全を確認している最中らしい。馬車はまだ出発しない。


「命はいらない、と、おっしゃった。自分の命はいらないのに、罪人の命は救おうとなさるのか」


 唐突にセルジュがそう聞いてきた。世間話にしては随分と踏み込んでくる。確かにマツリは、あの会議室でそう言った。欲しいならあげる、と。


「そうね。でも、自分で決めたいから」

「と申されますと」

「命は奪われていいものじゃない。処遇は自分で決めます。私があげてもいいと思ったらあげる。でも、力づくで取られるのはごめんよ。

 だから、お二人とも、ありがとう」

「は……」

「助けて下さってありがとう。感謝いたします」


 どういたしまして、と穏やかに応えるエルの手で馬車の扉が閉められ、どうやら帰還のようだった。












 全てが去った後――遠目でも目立つ、金で装飾された白い馬車を、一対の黒い瞳がじっと見つめていた。










あ、サリウェンのお土産買い忘れた……。

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