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17話とエピローグを同時投稿します。


 園城が慌てたようにヴィオレットを訪ねて来た時、娘の桜子(さくらこ)はどうやらそれを拒絶したようだった。だからだろう、珍しく争うようなやり取りをしながら、(すみれ)と桜子が部屋にやって来た後ろで、園城は申し訳なさそうな顔をしていた。


「こんな時間に非常識でしょう!」

「お母様、おばあさまはお会いになるとおっしゃってるの。それを阻むことこそ、非常識ではなくて?」

「母親に向かって何を言っているのか、分かっているの、菫。しかも、勝手にここへお客様をお通しするなんて」


 厳しい声を出す桜子の顔は、自分にそっくりだ、とヴィオレットは思う。メルの面影のないその素質は、いつだって誇り高さを失わない。

娘と孫のやり取りを押さえて、


「さきほど、私からあれ(・・)が消えました。茉莉は向こうへ行ったのね?」


 園城に尋ねる。彼が肯いたのを見て、やはりか、と落胆した。いや――あるいはこの気持ちは。


「何をおっしゃっているのです? 茉莉がどこへ行ったというのですか」

「桜子。茉莉はもう、帰りません。私の伝手をたどって、遠くへやりました」

「な……っ!」


 僅かな嘘を混ぜて伝えると、ボルテージが上がるのを必死で抑えているように、娘は歯を食いしばりながら目を閉じた。その隙間から、吐き出すような声が漏れる。


「ヴィオレット様は……いつもそう。私の邪魔ばかりなさる」

「おばあさまがどんな邪魔をしたの。むやみなことはおっしゃらないで」

「菫、あなたもそろそろ知っておくがいいわ。隠し通せたと思ってらっしゃるようだけれど、人の口に戸は立てられない。古い女中が話してくれましたわ。

 ヴィオレット様は、駆け落ちで子を授かり、しかもその方を捨ててお父様と結婚なさったのよ。何が巫女……汚れた過去を持ちながら、よくも」


 やはり知っていたか、と覚悟の中で思う。素直で可愛い娘だった。だが、ある時期からまるで憎んででもいるようにヴィオレットを避けるようになった。それから決して、自分を母とは呼ばない。


 菫の容姿は、榊家には珍しく色素が薄かった。桜子にとってそれは、血のつながらない自分の父に似た、そしてヴィオレットの父から受け継いだ遺伝子として映ったのだろう。正真正銘の榊家の跡取りとして、長女をそれはそれは大事にした。

 そうして生まれた第二子は、桜子に――ひいてはヴィオレットに生き写しだった。裏切りもので汚らわしい母への憎しみは、巫女たる本人には向けられない。全てが茉莉に向けられたのだ。


 決して粗略にせず、それどころか囲い込んで大事に大事に育てた。外から見れば、茉莉は過保護に慈しまれている末っ子だ。だが、家人は皆、知っていた。それらが全て、茉莉の喜びを奪い、楽しみを禁じ、自我を押しつぶす優しい虐待だということを。


 菫は、


「お母様はいつも、決して揺るがない物差しをもっているわね。家柄、それは重要な資質だと思います。でもね、私には私の物差しがあります。

 おばあさまのしたことは、私にとって汚らわしくはありません。むしろ、この家に戻って来たことこそが、誠実さだと思っています」

「誠実ですって? あなたの物差しとやらは、狂っているわ。そんなことでは、この家は任せられない。まだまだ教育が必要なようですね」


 母の、母たる立場で出す強い物言いにも、菫は動じない。彼女もまた、ある意味では抑えつけられた人生だった。血を分けた妹が、母によって物言うだけの人形になっていく様を、小さなころから見せられてきたのだ。優しく接すれば、ますます妹が締め付けられる。声をかければ、やんわりと遠ざけられる。そうしていつしか、菫は妹から距離をとるようになった。それが一番、妹のためになると思った。


 ヴィオレットはそんな孫の様子に気づき、いつか本当に茉莉が向こうへ連れ去られる時があったのなら、それはもしかして、神の恩情なのではないかと思っていた。茉莉は誰にも知らされず入院させられていたようで、菫の病気と考え合わせれば、桜子が何をしようとしていたのかも分かる。その直前で界渡りが起こったことは、きっと意味がある。

 あの、自由な世界へ。

 羨む気持ちを見ないふりで、ヴィオレットは娘に声をかけた。


「桜子」

「ヴィオレット様は黙っていらして!」

「今ここで、あなたの当主を解き、菫をその座に任じます」

「……はっ! 何を……」


 静かな部屋に、激昂する桜子の放つぴりぴりした空気だけが満ちる。菫も、園城も、ただ黙っている。


「忘れたの? 長子直系が3人以上いる時、その過半数をもって当主の変更は可能です。あなたの意見で覆ることではない、ずっと、長い間受け継がれ言い伝えられた規則です。こんな日のために。どんな家にも、ふさわしい者とそうでない者はいる。神はよく御存じよ」

「私の何が……!」


 声を荒げる桜子を、菫の静かな声が、しかしきっぱりと遮った。


「お母様。気持ちは分かります。事情も汲みましょう。言い分も聞きます。

 それでもね、やはり取り返しのつかないことはあるのです。

 おばあさまへの気持ちは、おばあさまとの間で解決しなければならないことでした。それを、茉莉にぶつけて心の安定をはかろうとしたこと……どんな理由があっても、許されないことなのです」


 不意に、部屋の空気が変わった。桜子の怒りを吹き飛ばすような、静謐な空気が満ちる。


――あらたなる巫女を歓迎する


 男とも女ともつかないそんな声と同時に、桜子が崩れ落ちるように泣き始めた。


「どうして……菫、私はあなたのことを思って全てをしたのに。茉莉を、茉莉を返して下さい。早くしないと、菫の身体が……」

「問題ありません。私の肝臓を使いなさい」

「え?」

「私はまもなく、神の御許に参ります。最後の天啓が下りました」

「え?」


 桜子が呆然としている横で、菫は毅然と立ってそれを見下ろしている。


「すでに必要な手続きはとってあります。おばあさまが逝かれてすぐ、私は一緒に病院に行って参りますわ。お母様は葬儀の準備を」

「待ちなさい! 何もかもそんなに勝手に決めて……!

 勝手すぎます! 死ぬなんて許さない! 汚れた異物を菫に移植するなんて許さない!」


 菫の目に、悲しみとも憐れみともつかない色が浮かんだ。座りこむ母の横に膝をつき、優しく肩に触れる。


「残念だけれど、お母様はもう、何かを許すことは出来ません。出来るのはただ、許しを請うことだけ。だってお母様。あなたは、間違ったのですもの」















 マツリの人生はいつも、諦めがついて回った。あれも禁止、これも禁止、母の意向に沿わないものは全て取り上げられた。唯一、こっそりと続けた読書の中で人付き合いを覚えたようなものだ。

 だから、目の前にいる人になんと答えたものか、何が正しいのか、分からない。

 両親にとっても家にとっても、二番目の子というのはそういう位置だった。


 強く閉じた目をそっと開く。

 エルを牽制するように真っすぐ前を向いたタカユキの横顔は、戦う意思に溢れている。マツリのために、ぼろぼろの身体と尽きかけた魔力で立ち向かおうとしている。


 右手を上向けて、呼吸を整えた。エルが何度も見せてくれたように、そこに意識を集中してみる。ふわり、と陣が浮かぶ。


「シュヴァルツ、この力、お返ししたいのだけれど」

『一度与えたものは我には戻らぬ』

「そう。では……おばあさまからの贈り物として、私がいただきます。エル、先ほどのお話、お断りしますね」

「君こそ嘘つきだね。一番最初に、その命、私にくれると言っただろう?」


 垢じみた身体とべたついた髪、薄汚れた服を着たマツリの手を、エルはあの時、迷わずとってくれた。嘘だったのかもしれない。嘘でもなんでも、今だってありありとぬくもりは思い出せる。

 我儘を言うマツリに魔術を見せてくれた顔も、怪我をしかけたところを下敷きになって助けてくれた顔も、マツリを通してヴィオレットに向けられたものだったのかもしれない。

 かもしれないし。

 そうじゃないかもしれない。

 何が嘘かなんて、きっともう、エルにも分からないに違いない。彼の中には、正しさがある。今こそ隠れているが、消えてはいない。メルディーニが持っていたもの。それは、エル自身でもあるのだから。


「ええ。でもその後撤回し、誰にどうさしあげるかは、私が決めるとも言ったはずです。

 短い時間でこうも言い分を変えるのは心苦しいけれど、その言葉さえ撤回させていただきます。

 生きよう、と言ってくれる人がいるから」


 マツリは、左手でタカユキの手をとった。

 先ほどの問いへの答えと分かったのか、彼は、それでいい、というように肯き、握り返してくる。


「それに……残念だけれど、おばあさまをここに呼ぶ計画はもう叶いません」

「その魔力を返してくれれば、すぐにでも可能だよ。最初こそ戸惑うかもしれないけど、でも」

「いいえ。そういうことではありません」


 自分の中で、覚醒した力がずっと膨らみ続けているのを感じていた。どこまで広がるのか怖ろしくも思うが、体内を巡るその力は、様々なことをマツリに教えてくれる。

 界渡りを成功させたと言う力。神の声を聞く家系の血。その二つが、身体の中で混じりあってさらに力を与えあうようだった。


 いつの間にか、マツリは泣いていた。感じ取った事実に、自分でも思いがけない悲しみを感じたからだ。


「おばあさまは、天寿を全うされました」


 エルが息をのみ、同時に、爆発するように魔力を放出する。


「馬鹿を言うな! まだその時には早いはずだ!」

「はい。本来ならば。おばあさまは知ってらしたのよ。エル……いいえ、メルディーニ様。ヴィオレットは自ら神の御許に参ったのです」


 声もなく、エルは連続で光球を放つ。振り絞るようなタカユキの魔力が、盾となってその全てを弾き返した。庭の芝生がえぐれ、焦げる匂いがする。


「ヴィオがそんなことをするはずがない。シュヴァルツ、言ってやれ、彼女の気配はまだあると。生きていると。言え!」


『かの巫女は死んだ。マツリの言葉は真実である』

「嘘だ! 嘘だ嘘だ嘘だ!」


 やみくもに飛んでくる攻撃魔力を、マツリはすくいあげるように自分の魔力で包み、そのまま打ち消した。美しい庭をこれ以上壊してしまうことをしたくなかったからだ。


「なぜ……なぜだ、どうして……シュヴァルツ、頼む、嘘だと……」

『我は嘘はつけぬ。だが、なぜと我に聞くならば教えてやろう。お前がそう望むなら』

「分かるのか……?」

『分かる? いや、知っているのだ。かの巫女が死んだのは、お前のためだ』


 魔力を使い果たしたのか、苦しげなエルは呆然としたように竜を見た。


『お前、巫女の孫を殺し、その身体に巫女を入れ、それで彼女が心安く生きていけるとでも思っているのか?』


 事実のみを告げる竜が、実に珍しく、じっとエルを見つめて問いを発する。問われた方は、ゆっくりと顔を歪め、視線を受け止めきれないように地面をにらんだ。


「二番目だ。跡継ぎは残してある、そうだろう?」

『二番目だからどうしたというのだ。マツリの名前が、お前の考えの全てを否定している。お前もそれを知っているはずだ』


 マツリは思わずぴくりと反応した。マツリは『祀り』からきていると考えていたことで、竜の言い分がおかしなものに聞こえた。

 思わず、どういうことかしら、と呟く。その声が聞こえたのか、竜がぐいと頭をもたげて、呆れたように鼻息を吹いた。


『呆れた人間どもめ。茉莉花(まつりか)は、どちらの世界にもある花。その花の茶を飲んだだろう』

「あ、ええ……、エルが私の名前の花だと」

『どちらにもあるから通じたのだ。茉莉花とはジャスミン。その語源は、ヤースミーンだ』

「どういう意味?」


『古い言葉で――神の贈り物』


 じわりと言葉の意味が沁みる。マツリの目に、祖母の死を悼むのとは違う涙が溢れた。まぶたが熱くなる。

 マツリの名は父がつけた。だが、その時の当主に相談して決めるのが習わしだ。愛されていたのかもしれない。今となっては、もう二度と会うことのかなわない家族。遠くこんな場所でそのことに気づいても、もう遅い。だが、この先いつかまた、自分のよすがを失ったような気持ちになったら――このことを思い出そう。自分の誕生を喜んでくれた家族のことを。


 竜の言葉が届いたのか、エルは立ち尽くし、手をだらりと下げた。


「私は……また遺されたのか。誰もいない。ヴィオレットだけだったのに」


『お前はエルサンビリアの行先を背負っている。小さな領地でさえ泣き言を言っていたくせに、わざわざ国母の腹を選んで宿ったのはお前ではないか。

 働くのだ。民のために。それがお前の未来だ』


 エルは天を仰ぐ。そこにヴィオレットがいるはずもないが、まるで見送るように目を閉じて祈った。


「それが罰、とは言わん。ドゥーガを途中で投げ出した私には、それこそが過ぎた償いの機会なのだろう。

馬鹿な私を、これからも助けてくれるか、シュヴァルツ」


 竜は鼻を鳴らし、その場で一度羽ばたきをした。風が起こり、エルの身体に砂や草がぱらぱらとあたる。


『言っただろう。お前の頼みを聞くのは吝かではない。

 メルディーニ。生まれ変われ。エルアンベールとしての生を全うするのだ。

 我は今まで通り全てを見ている。必要ならば呼ぶがいい――我が友よ』


 何かを思い出すようにエルは頬笑み、そして、一筋涙をこぼした。











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