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 竜の魔力を得たのは、古く、若い記憶だ。

 メルディーニにとって、家とは領地、領地とは家族だった。両親の教育がそのように施されたから、ということもあろうし、あるいは、小さな集落で庶民の子らに混じって生活してきたからかもしれない。


 いずれにしろ、メルディーニには責任があった。領主は世襲制であり、いずれ自分はこの地を背に背負わねばならない。長ずるにつれ、その事実は重みを増していき、潰されそうになることもたびたびだった。

 他領と交流をもてない地形、痩せた土地、荒れ狂う海。経済は先細りし、近しい人間の多い地域で子孫を増やすことも難しい。何かいままでにない打開策が必要だと悩み、しかしそもそもの資源が少ない領地は浮かぶ考えを次々と却下する。

 そんな折。まもなく父が逝こうという頃。


 世界の意思である、という声がした。

 シュヴァルツと名乗った『彼』は、竜の魔力をくれると言う。それを使って領地を豊かにせよ、と。

 なぜ『彼』がそんなことを言うのか、なぜそのための力をくれるのか、理屈を長々と説明してはいたが、メルディーニはそれを半分がた聞いていなかった。理由などどうでもいい。ただ、自分が自分の責任を全うできる力を得るのだと言う事実だけが、大事だった。


 そうして得た力で、異世界からの召喚を果たした。現れたヴィオレットは、皆が想定したような人間ではなかったが、結果的に領地を救うことになった。


 家というものがどれほど大切か、メルディーニは良く知っている。長子として家に帰らねばならないというヴィオレットの気持ちを、当然だと思った。それが、自分の死と引き換えであっても。

 最期の最期に、彼女を包み込むように放った魔術は、カイコのイメージだ。メルディーニは、向こうに落ちたヴィオレットを守らんと意図したものだったが、気付かぬうちにその身の内に育っていた命が、それを吸い取るように根こそぎもっていってしまった。



 思えば、それが僅かにメルディーニの存在を繋いだ。竜の魔力が急激に失われたことで、精神と身体の定着が外れてしまったのだ。身体が死を迎える瞬間に、メルディーニの思念はそこを抜けだし、大気に溶けた。

 竜の魔力は消えたが、力の使い方に馴染んでいた思念は、溶け込んだ大気から魔力を少しずつ少しずつ取り込むことが出来た。そうして十数年ばかり経った頃、ぼんやりとしていた感覚が、メルディーニとしての認識を取り戻した。

 いくつかの記憶は失われていた。残っているもののうち、最も意識を捕えていたのは、ヴィオレットの存在だった。


 彼女に会いたい。あれからどれほど経っただろう。もういいはずだ。もう。我々は背負ったものから解き放たれた。ただのメルとヴィオになって、二人。生きることは可能だろうか。

















「天変の気配を感じたよ。感じ取ったんだ。ヴィオレットの血族がここに来る、と。だから返してもらおうと思って」


 透けるような白金の髪と、気高い青の瞳。姿かたちはエルのままなのに、マツリの目には急に、その笑顔が作られたように映る。


「止まれ」


 タカユキの声に、彼は素直に足を止めた。


「王太子殿、ご存じないのか。魔力の引き継ぎは、肉体の衰えを待たねばならない。精神と肉体のバランスが失われつつある状態こそが、引き継ぎの呼び声になる。今の茉莉はその限りではない」

「分かっているとも。そんなことは。

 だからね、本当は、君たちの意思なんか聞いていないんだ。魔力は返してもらう。私にはその権利があり、また、方法もある」


 じりじりとタカユキの手が腰の剣にかかるのを、エルは見逃さなかった。


「やめた方がいい。何か勘違いしてはいないか?

 私は正真正銘の、エルサンビリア国皇太子、エルアンベールだ。産まれたときからね。意思をもって……皇后の胎内に宿ったのだから。君の剣の切っ先は、私個人ではなく、私の背後にあるこの国へ向けられることになる。

 そうだろう、イレニウス? お前の主は誰だ。思い出すがいい」


 は、と息を吐いた辺境伯は、迷うように微かに目を伏せた。タカユキもまた、動けずにいる。

 マツリが我慢ならなくなって、そんな二人を押しのけて前に出た。


「竜の魔力が欲しいなんて、思ったことはないわ」

「おや。知らないからだよ、マツリ。それがどれだけ素晴らしいものか」

「くだらないわ、エル。そんなことのために、私と貴之さんを危険にさらしたの?

 私が覚醒して、魔力が表に現れるように?」

「そうそう、タカユキ・サニウェレ。セルジュメーラとの入れ替わりで、王族の側につくとは、重大な罪を犯したものだ。

 だが許そう。そこで黙って見ているがいい。それだけでお前は無罪放免だ」


 さも今気付いたように言うが、タカユキの身元を知っていたことを思えば、全てを承知だったとしか考えられない。おそらくそれも、マツリの覚醒を促すだろうと踏んでの沈黙だったのだ。


「痛くないようにしてあげる。マツリ、眠るように、ただ、いなくなるだけだ。代わりに何が起こると思う?」


 楽しげに、声だけは優しく、エルが言う。


「ヴィオレットを呼ぶんだ。竜の魔力を再び得た私なら、彼女の気配をたどってそれが出来る。君の身体に、ヴィオレットの精神を呼びこむ。

 そうしてね、私たちは、家族になるんだ」


 うっとりと彼は頬笑む。

 そして、マツリは絶望していた。命の危機に、ではない。死ぬことを一度は選んだのだから。それでも。


「みんな、嘘ばっかり」


 ぽつりと呟く。空虚に響く声に、エルがわざとらしい笑みを消した。


「お母様は私を大事に育てたわ。でもそれはお姉さまのためだった。

 おばあさまは、私を決して怒らなかった。でもそれはお姉さまを守るためだった。

 婚約者は私を大事に扱ったわ。でもそれはおばあさまの意向だった。

 エル。あなたは初めて、私を守ると言ってくれた人だった。でもそれも、自分のためだったのね」


 僅かに、エルの顔がゆがむ。家族思いで、正しいことを好むメルディーニの記憶が、微かに良心を刺すのだろう。

 だが彼はそれを振り払うように、唇を曲げて笑った。


「マツリ。うちに帰りたいかい?」

「……え?」


 唐突な問いに、ぼんやりと応える。何もかもを放棄したいと言う絶望のなか、現実味を増したエルの言葉が無意識に思考を促す。

 うちに帰る?

 帰るところなど、ない。故郷はすでに心の内でも遠くなり、母も、姉も、今となってはまともに顔を見ることなどできそうもなかった。


「君にはもう、帰るべきところはない。誰も君を待ってなんかいない。

 だったらいいじゃないか。私だけがその身体を欲している。私とヴィオレットのために死んでくれ。君は――生きる権利を二度も放棄したではないか!」


 叫び声に、強く、打たれたような気がした。その通りだ。自分は二度、命を捨てようとした。理由は様々あれど、事実は変わらない。

 マツリは口を開き、息を吸った。

 是、と。


 声が出る直前、背後から吹きあがるような魔力の気配がして、声を失った。立ちつくすマツリの脇を、鋭い攻撃魔力が駆け抜け、エルに襲いかかる。

 素早く唱えられた防御の陣に阻まれはしたが、それは明確な攻撃の意思だった。

 魔力を放った本人は、その手でマツリの肩を背後からぐいと掴み、振り向けない耳元で言う。



「お前は馬鹿か」



「……っ、なんですって!?」


 髪が乱れるほどの勢いで横を向けば、タカユキが再び魔力を溜めながら、怒ったような顔をしている。


「いや、馬鹿だな。ヴィオレット様の意向だけで、俺がわざわざここまで来たと、本気で思っているのか?」

「馬鹿って言わないで!」

「お前の記憶はどうなっている。塔で俺が何と言ったか覚えていないのか」


 反射的に記憶をさらう。


「……だから、病院の屋上の、あれを。見ていたって。だから今度は、一緒に、死のうって……」

「馬鹿じゃないなら、阿呆だな」

「あ、あほう……!」


 顔を真っ赤にして怒るマツリを、もっと怒った顔で彼は睨んだ。


「俺が死を選ぶわけがなかろう。もちろん一緒に助かるつもりだったのだ。俺は、お前とともに生きることしか考えていない。

 今度のこれは召喚ではない。天変だ。すなわちそもそも、家に帰る術などない。俺は引き寄せを拒まなかった。お前と一緒だからだ。

 本ばかり見て人を見ないからそうなる。茉莉、目の前を見ろ。誰かの書いた本の物語など忘れて、俺を見るんだ」


 怒りが徐々に、消えていく。

 マツリはぎゅっと目を閉じた。



「見えないか? お前に惚れている男の顔が」






 





ようやく恋愛ものになった。

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