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 イレニウス領、バルドア・イレニウス辺境伯の屋敷。

 竜とともに降り立ったというのに、人々はやけに冷静だった。

 聞けば、竜の住処はすぐそこにそびえる剣山の上だと言う。この辺りの住人は、竜の飛び回る姿をたびたび目撃することがあり、珍しくない者として受け入れているらしい。


 イレニウスもまた、身分に合わない身軽さで、自ら庭に出てマツリ達を出迎えた。遠目でも見えた竜の姿がやけに近く、降り立つつもりと見当をつけたとのことだった。勘が良い、というだけでは説明のつかないその洞察の理由は、タカユキにあった。


「セルジュ……いや、タカユキ、よくマツリ様を守った」

「はい、と言いたいところですが、ここまで来られたのは茉莉の魔力が覚醒したおかげです。俺こそ助けられた」


 竜の爪に引っ掛けられ長時間運ばれたマツリは、酔いでむかむかする胸を押さえながら、貴之を労わる伯になんとか淑女の礼を取る。笑顔はさすがに作れない。どちらかといえば、不機嫌さを丸出しにした顔で、二人の顔を交互に眺めた。


「説明していただけます?」







 園庭の東屋で、紅茶とともに、長い話を聞いた。

 剣山の向こうの小さな領地に、ほんの数十年前に祖母のヴィオレットが召喚されたこと。世界の均衡が働き、メルディーニの死とともに日本に引き戻されたこと。そして、その際に彼がヴィオレットの中に込めたのだろう魔力が、今回のマツリの界渡りを引き寄せたことだ。


「これもまた、均衡の力だろう。もともとこちらにあった魔力とヴィオレットの存在、さらには引き換えで飛ばされたはずの祖父とその魔力、全てが向こうの世界にあり、それは偏りというほかない。

 反動が起こる、と祖父は読んでいた。いずれ、こちらからの引き寄せがあるだろう、と。

 時期的に、界渡りのタイミングだった。そこで茉莉が選ばれることになることを予見し、祖父は俺をお前の側につけたんだ。

 ヴィオレットの身体は、異界で長く過ごしたせいか、それとも二度の界渡りをしたせいか、通常よりも早く消耗されていて、多分その時には間に合わないと」


 祖母のことを、嫌いではなかった。だが、マツリにとって祖母はかつて巫女だった人であり、それは姉の上の母、母の上の祖母、と考えると、随分と遠い。特に可愛がられた記憶もない。同じ家に住みながらも、交流はほとんどなかった。

 だから、婚約者を連れてきたのが母だと誤解した。本当は、どうやらヴィオレットの意向があったらしい。

 そう――結局は同じことだ。母が連れてこようが、祖母の考えだろうが、タカユキがマツリの相手をしていたのは、自分の意思ではない。

 胸が痛むその考えを、すぐに振り払う。


「予定されていた臨界点まで、もう少しだった。だが……」

「私が予定外の行動をしたのね」

「……あの瞬間、急激にエネルギーが増した。溜まり切っていなかった分を無理やりに押し上げる形で陣が発動したんだ。

 祖父はそれを知らない。魔力は、コントロールの方法を祖父から学ぶために、とうに俺が引き継いでいた。陣が魔力を溜め始めた気配を感じて、お前を探した。屋敷の辺りを中心に探ったからか、発見は遅れ、気付いた時にはもう……。

 落ちて行く気配をつぶさに感じていた。魔力を使って飛ぼうとしたが、俺自身も界渡りの陣に引きずり込まれてしまった」


 きっと祖父は慌てただろう、と彼は笑う。それでも、いつ界渡りが起こっても良いようにと常に身に着けていた、イレニウス領の紋章が入った腕輪が役に立ったらしい。


「多分、無理やりに天変を起こしたせいで、少し歪みが出た。お前と大分離れたところに飛ばされてしまったのだ。異界人だと申告し、共に王都に迎えられるという案もあったが……お前を探しきれなかったことを考え、イレニウス様に協力を頼むことにしたのだ。

 祖父に教え込まれた地図と、言葉を読み書きできる知識がそれを可能にした」

「セルジュメーラというのは?」

「実在する。祖父の兄の孫、だな」

「どこまでがセルジュで、どこからが貴之さんなの?」

「王都までお前を連行したのがセルジュ。それ以降が俺だ。

血縁だけに、体型も声も似ていて、しかもやつはいつも鉄仮面をかぶっていた。都合が良かったのだ」


 道理で、と思えば思える。彼が変わったと思ったのは、意識の問題ではなく、中身そのものが入れ替わっていたのだ。

 マツリは、純粋な疑問を感じて、素直にイレニウスにぶつけた。


「辺境伯様。なぜ貴之さんの話を信じたのです? ましてや、王の近くに正体を偽った人間を送り込むなど、反逆ととられてもおかしくない所業ですわ。

 なぜ、この方に協力なさったの?」


 しばらく黙って話を聞いていたせいか、イレニウスは咳払いとともに冷めきった紅茶を一口、飲む。


「……それはもちろん、竜に伺いを立てたからだ」

「まあ。黒竜はこの領地のものですの?」

「そんな畏れ多い話ではない。タカユキが現れると同時に、竜は突然ここにやって来た。そして……我の一部が還った、と」


 首を傾げるマツリの前で、男たちはマツリの右手に視線を流す。

 ごう、と音がした。少し離れたところで羽を休めていた黒竜が、まるで返事のように喉を鳴らしたのだ。


「マツリ様。あなたの中には、メルディーニの中にあった魔力が存在する。だがそれは、タカユキや他の者が持つ魔力とは、原理の異なるものだ。

 いや、この話そのものが、竜の受け売りで、本来ならばかの竜が説明すべきと思うが……」

『我は疲れた。お前がせよ』


 イレニウスは肩をすくめて、ため息をついた。


「人の持つ魔力は、その力を自然より得ております。土や水や空気、そういったものから取り込んだ魔力を自身のものとしている。

 しかし、マツリ様が持っておられるのは、竜の魔力です」

「え? 竜って、あの、あそこで地面に転がっている竜ですの?」

「はい。つまりさかのぼれば、メルディーニの持っていた魔力が、竜の与えたものであった、ということです」


 均衡である、と竜が唐突に言った。


『世界の均衡は常に保たれねばならぬ。ドゥーガは飛び地といってもいい場所で、あれははっきりと見捨てられていた。だから我の魔力を与えたのだ』


 竜の魔力を与えられてようやくこちら側とバランスが取れるというのは、環境としてかなり厳しいのだろうと想像がつく。マツリは、そこで二年も生活したという祖母に思いをはせると同時に、その恩恵を奪われた今のドゥーガが心配になった。

 だが、竜は首を振る。

 いまだ均衡は保たれている。それは、ヴィオレットがもたらした薬と、絹のおかげだった。特に絹の技法はこの世界にないもので、ドゥーガが唯一その製法を持つ。滑らかで美しい光沢と手触りをもつ絹は、貴族たちの間で爆発的に人気がでた。秘伝とされるその製法をもって、ドゥーガはかつては思いもしなかったほど栄えていた。


「そう……。では、今の私が警戒しなければならないのは、『源に回帰する会』だけね」


 お城はどうなったかしら、と呟くマツリの前で、タカユキはひどく難しい顔をしている。イレニウスもまた、何かを迷うように口を開けては閉じる。


「……なあに? なんですの?」

「『源に回帰する会』は確かに危険な考えを持っている。しかし、ああして実力行使に出ることは滅多にないのだ。ましてや、城に乗り込み攻撃魔術を使って人を傷つけるなど、ほとんどの信者は知らない計画であった可能性が高い」

「そう、なの? 確かに、人数は随分と少なかったけれど」

「扇動された、と見るべきだ」

「……誰に?」


 覚醒した魔力の影響か、マツリの身体はさっきから、タカユキの魔力のゆらぎを感じていた。そこに、別の魔力が割って入るのを感じる。

 顔をあげて辺りを見回すと同時に、少し離れた場所に青白い光が渦巻き始めるのが見えた。マツリの視線を追っていた男たちが、緊張感を走らせる。思わずつられて立ちあがったが、光が陣形を作り、発光の後にその中央に現れたのは、よく見慣れた人物だった。


「エル! わざわざ来て下さったの?」


 エルアンベール王太子殿下は、マツリの部屋で別れた時とは違う、マントをつけた軍服姿になっている。指揮をとる彼がここに来たということは、騒ぎは制圧されたのだろう。

 良かった、と彼に駆け寄ろうとした。

 だが、気付けば、タカユキとイレニウスはいつの間にか、マツリの前に立ちはだかるようにしてその動線を遮っている。大きな背中が二つ、その向こうに、いつもの笑顔を浮かべたエルがいる。

 まるでマツリを守るようなその位置に、戸惑った。


「ねぇ、邪魔ですわ。エルにお城の様子を聞きたいの」

「茉莉」

「アステルとサリウェンは無事かしら」

「茉莉、塔に逃げたのは正解だったと思うか?」


 ぽかん、としてしまう。塔。塔とは、城の塔か。半日ほど前に追い詰められて死にかけた、あの塔の話だろうか。

 二人の背中の隙間から、エルが泰然とした王家らしい仕草でこちらに近づいてくるのが見える。

 塔に逃げろ、と言ったのはエルだ。城の造りを熟知しているエルがそう言ったのだから、正解に決まっている。決まっている。


「敵を食い止められるならば、守りには向いている。だが、突破されれば逃げ場のない一本道だ。上れば上るほど追い詰められる。食い止められるだろう、という甘い予想で指示するには、相手が危険すぎた。

 事実、敵は強く、いくつも立てた兵の壁はあっさり突破され、我々はあの時、絶体絶命だっただろう?」

「何が言いたいの?」


「マツリ」


 呼ばれる。エルとの距離は、数メートル。


「エル……?」


 彼は笑っている。


「マツリ。その魔力、返してくれるね?」


 嬉しそうに笑っている。










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