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 ぶらぶらと揺れるマツリの足の、遥か下。遠く微かに、人々の騒ぐ声が聞こえる。

 腕一本でつながった二人を見つけたのだろう。

 強く握られた手は離れる気配もなかったが、ぎしりぎしりと甲冑は悲鳴をあげている。少しずつ下がってきていることを知ってか知らずか、ローブの男は口元に余裕の笑みを浮かべていた。

 魔術でとどめをさそうが、手を下さずただ待とうが、運命は決まっているとでも言いたげだ。そしてそれは全くその通りだった。

 しかし、男はどうやら、はっきりとした結末を選んだようだった。


 粛清を、と男が言う。背後から唱和する声があり、ローブ姿の三人はさらに声をそろえて(じゅ)を唱え始めた。


茉莉(まつり)。飛ぶぞ」

「え?」


 鉄仮面を通さない、クリアな声が耳に届く。


「決して手を離すな。王太子の命令ではない、俺の願いだ。あの時、お前を助けられなかったことを、俺は今でも夢に見る」


 あの時。それがいつのことを指しているのか、すぐに分かった。懐かしくも遠い、故郷の最期の瞬間のことだ。

 あの時。夜の病院は暗く、なぜか屋上への扉は鍵が掛かっていなかった。誰かに呼ばれたかのようにマツリは星を仰ぎ、照らす月がないことを嘆いた。誰も見ない。暗い夜だった。誰もマツリを見ない、だから、消えてもいいと思った。


「いたの……?」

「いや。だが見えていた。遠く、手の届かないところでお前は一人で飛んだ。

 今日は俺と一緒だ」


 もはや彼はセルジュではなかった。自分の良く知る――いや、知っていると思っていた、婚約者の園城貴之(えんじょうたかゆき)だった。

 混乱と当惑の中、危機はすぐそこに迫っている。彼がなぜここにいるのか、どうやら問う時間はないようだった。


 背後で光球が膨らみ、そして収縮を始める。見たことのあるその光景は、攻撃魔術が今すぐにでも放たれるのだと教えた。危険な気配を肌が感じる。まるで光球から風が押し寄せているのではないかと思うような、圧だった。

 来る、と察知した瞬間、ふわりと身体が浮いた。


「いくぞ」


 いや、違う、落ちている。


 一瞬を置いて、ぐんと体が下向きに引かれた。落ちている。風はもはや、ごうごうと地鳴りのように耳を打った。


「きゃぁぁぁぁぁぁ!」


 無意識に悲鳴があがる。しかし、キンとした空気の冷えとともに、さっきまで自分たちがいたところを魔術の光が駆け抜けるのが見えて、声が詰まる。ぞっとするような鋭い穂を持つ、氷の槍だった。辛くも当たらなかったようだ。

 しかし、攻撃を避けたとはいえ、彼らがどんどん遠ざかっている。ということは、マツリは上向きで貴之に抱かれながら落ちているということだ。

 その貴之は、早口で呪を唱えている。グリーンの光は、わずかに二人の身体を浮かせたかに見えたが、しかし、勢いが衰えただけでまた落ち始めた。


「くっ……」


 彼は額に汗を浮かべている。身体のどこか、あるいは体中を痛めているのだろう。呪術を交えながらの戦いで、疲弊もひどい。


 土台、無理だったのだ。高い高い塔のてっぺんから落ちて助かる術など、あるはずもない。マツリは悟った。一緒に死ぬのだと。


彼は自分とともに死のうと言ってくれたのだと。


「……いや」

「茉莉。泣くな」

「いや。いやよ。貴之さんがしんじゃう」


 ローブのフードがはるかかなたに見える。地面は近い。自分のせいで、人が死ぬ。


「いやぁぁぁぁぁぁ!」


 喉の奥から張り裂けんばかりの声をあげた、その時。

 右手に熱を感じる。熱い。熱くてたまらなくて、マツリは無意識に握っていたその手を天に差し出した。まるで助けを求めるようなその手から、吹き出すように光が溢れた。


「えっ!」

「な……」

「なに、これ……!」

「……茉莉、呪を唱えろ!」


 光に目を見開きながら、貴之が叫ぶ。


「……えっ? 何言ってるの、私……」

「何でもいい、すでに陣は発動し、お前の言葉を待っている! 地面が近い、落ちるぞ!」

「いや! 誰か助けて!」


 焦りとともに発したのは、またも他人頼りの言葉だった。絶望と後悔の中、母の顔がよぎる。自分は結局、あの人から逃れられなかったのか。あの人がかけた、自分自身を持たないようにという、それは呪いだった。家の中でマツリは言葉を持たなかった。自分の気持ちも、自分の希望も、全て母のものだった。母の言葉が、マツリの言葉。それは存在全てに絡みつき、マツリを離さない。


 ぐん、と身体が揺れた。視界が反転し、今まで見えていた空の代わりに、猛烈な勢いで近づく地面が見えるようになった。

 貴之が、自分が下になるように身体を入れ換えたのだ。襲撃の時にエルがしたように、激突の瞬間にせめてマツリと地面とのクッションになろうとしている。

 彼は笑んでいた。死を前にして。


 これは何だ、とマツリは呆然とする。なぜ自分を守るのだ。どうせ死ぬのに。死を前にして、この人はわずかな可能性に賭けようとしている。命を捨てて。


 音が消える。視界が冴える。マツリは、掌の熱が命じるままに言葉を紡いだ。


「飛べ……!」


 言葉が消えるとともに、掌が燃えんばかりに一段熱を上げた。吹きあがるのは光。眩しくて目が明けていられないほどの青い光が溢れ――やがて、はばたきをした。

 それは翼だった。左右に大きく広がる翼が魔術の光で形作られ、尾を引きながらゆっくりと上下に動く。優雅とさえいえるようなスピードだったが、マツリ達の身体はぐんぐんと空へ引き上げられていく。

 ちりちりとした感覚があり、見ると、塔の窓からローブの男たちが戸惑い慌てながらもこちらへ向けて次の魔術を放とうとしてるところだ。


「悪魔め!」

「あんなに大きな魔術を……!」

「やはり捨て置けぬ、ここで始末するのだ!」


 塔よりもやや上で、マツリは下を眺めた。地上にまだローブの男たちがいるのが見え、どこもまだ安全ではないと知る。


「守れ」


 攻撃に備えてそう唱えると、翼は羽ばたきをやめ、二人をくるむように形を変えた。羽根がほどけ、糸のようになって球のようにマツリ達を包む。温かく、安心する。塔から放たれた魔術がぶつかってきたが、少しの揺れもなく弾き飛ばしてしまった。

 次々と光の糸が生まれ、伸びていく。

 地上から見ると、それはまるで、十重二十重(とえはたえ)に紡がれた光の繭のようだった。









ようやく覚醒。

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