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 メルディーニは、昼の会議を終えてすぐ、スミレの部屋に向かった。少し疲れ気味の彼女は、外に出ず過ごしているはずだ。

 果たして彼女は、自室で何やらを編んでいる。何でも出来ますの、と冗談のように笑った彼女だが、事実、身につけさせられたという様々なことを器用にこなしてみせるのだった。


「スミレ、王都にゆくぞ」

「あなた、ノックを知りませんの? 不調法な男は嫌いですわ」

「そうか? 本当に?」


 額に口づければ、スミレは怒って見せながらも、頬を染めた。強気ではあるが、滅多に本気で怒らないことを知っているので、メルディーニは編み物を取り上げて彼女をソファに導いた。

 並んで座り、召使いに茶を運ぶよう言いつけてから、


「かなり苦労したが、絹の反物が完成した。量は少ないが、今回は様子見と言うこともある、十分だ。質自体、スミレの着てきたものには及ばないものの、かなり近いとみている。

 スミレ、お前も行くぞ。いや、一緒に来てくれ」

「馬鹿ですの? あの山を、わたくしが越えられると思っているのかしら。言っておきますけど、体力も人並みで寒さに耐性のないわたくしを連れてゆけば、5分ではかなくなってしまうこと請け合いですわよ」


 スミレの肩を抱き、そこに流れる黒髪をさらさらと指で弄ぶ。くすぐったそうな彼女に構わず、言葉をつづけた。


「お前に王都を見せたい。この国は、お前が思うほど未発達でも寂れてもおらぬ。私の国を見てくれ、スミレ」

「見捨てられたとおっしゃる割に、祖国に誇りをお持ちなのね」

「皮肉か? なに、当たり前のことだ。自国に誇りを持たぬ領主などいない。置かれた現状を嘆くばかりの阿呆は、上に立つ資格すらないのだ」

「威勢の良いこと。構いませんわ、行ってらっしゃいませ」


 気のない風に言う彼女の耳に口を寄せる。


「案ずるな。山越えなど、させるわけがなかろう」

「まさか、敵国を通って山を迂回しますの?」

「むしろそっちのほうが危険だろう。面白い発想をする」

「では海を渡って?」

「潮目が難しく、沖はいつも荒れている。舟に乗り慣れぬお前では、二週間もかかる航海は耐えられまい。危険も敵国より多いかもしれんぞ」

「んもう、では、どうやってわたくしを連れてゆくのよ」

「竜だ」


 スミレは、珍しく年相応の顔で驚いている。それがやがて、疑わしそうな表情に変わっていった。


「信じられぬのも無理はない。この世で、竜を操れるのは俺だけだ。とっておきの切り札を、父の死の公表とともに、王都で大々的にお披露目する。見逃す手はないぞ」

「……見知らぬ土地にさらわれたとすれば、異界人などというあなたの話も妄想と片付けたけれど、もし本当に竜がいるのなら、全てを認めるべき時がきた、というところね」

「魔術を見せたではないか」


 呆れて言うと、


「そんなもの、科学と仕掛けでなんとでも見せようがありますわ。領民がみなグルになってわたくしを騙している、という可能性は若干残っておりましたの」

「往生際が悪いな、スミレ」

「全くですわね」


 メルディーニは、スミレに上着を着せかけ、


「見せてやろう。お前の価値観をひっくりかえす、偉大な存在を」

「いますぐですの?!」

「さっき珍しく、あいつから呼びかけがあった。お前を見せろ、と」

「見世物になさる気ね」

「そう言うな。竜とは、我々と感覚が違う。偉大でそして、おおざっぱだ」


 笑ってそのまま外へ連れ出すと、彼女は仕方なさそうにしつつも大人しくついてきた。興味があるのだろう。

 人里と山の境目、拓けた平地まで馬を駆る。今では、最初さえ乗せてもらえば自分で軍馬すら乗りこなすようになったスミレが、遅れず着いてきている。供はいない。『彼』に会うときはいつもそうだった。

 『彼』は、あまり人間が好きではないのではないか、と思うことがある。人払いをするのもそのせいだ。だから、スミレに感心を持ったことは異例だと言える。







「竜で王都へ、というのは、その背に乗るということですの?」


 『彼』の訪れを待つ間に、スミレが乱れた髪を直しながら聞いてきた。


「そうだ」

「乗れるほどの大きさですのね。上空は寒くて空気が薄くて風も強いのよ、わたくし、やっぱり無理ではないかしら」

「空を飛ぶことを良く知っているのだな」

「向こうはね、金属の塊が人を乗せて飛びますの」


 冗談を、と笑ったが、スミレは生真面目な顔をしている。


「心配はいらぬ。カイコと同じだ。繭のように魔術でお前を包み、あらゆるものから守ろう――来たぞ」


 皮膚に訴えかけるような、独特の重圧を感じる。『彼』が来た証拠だった。

 上空を仰ぎ見ると、剣山を背景にして、黒い点が見える。それはみるみるうちに大きくなり、雄々しい左右の翼がはっきりと分かるようになった。

 あれだ、と言おうとスミレを見ると、珍しく素の表情でぽっかり口を開けている。


 やがてその風圧を感じるようになり、メルディーニはさりげなく魔術で透明な壁を作りそれを遮った。下手をすればスミレなど、羽ばたきひとつで飛ばされてしまう。

 ばさり、と羽音がする。目の前の壁に、巻き上げられた土や草がぱらぱらと当たった。

 前傾姿勢から、足を突きだすような着陸の姿勢に変わり、風を巻き起こしながら『彼』は目の前に降り立つ。

 黒い身体、黒い瞳。黒竜だ。


『久しいな、メル』

「お互い忙しかったといことだろう。シュヴァルツよ、これがスミレだ、スミレ、これがシュヴァルツだ」

「……名前が黒?」


 スミレは不思議そうな顔で首を傾げる。


「黒? ああ、黒いな。名はシュヴァルツだ」

「黒いから黒?」


 なにやら話がかみ合わない。やや戸惑っていると、シュヴァルツから魔術の気配がした。スミレに向けて放たれたのは、メルディーニの知らない陣だった。

 それが額に吸い込まれた途端、ぱちり、と大きな目を瞬かせた彼女に、


『我の言葉をやろう、女よ。名はシュヴァルツ。この世界で、黒、という意味だ』

「……まあ、お話ができますのね。初めまして、シュヴァルツ」


 どうやら言語をつなげたらしい。

 ふと、異界人が言葉の通じる理由がここにあるのではないかと思い当る。竜の魔術がかかっているのだろうか。この世界に現れた時から?


「メルが、あなたに乗って王都へゆこうと言うのです。それはあなたにとって、普通のことですの?」

『ああ、造作ない。メルは人ならぬほどの魔力を持つ。我にとって良い生き物だ。頼みごとは聞いてやるに吝かではない』

「お友達ですのね」

『……女よ。我と人は友にはならぬ』

「照れてらっしゃるのね」

『言語は通じたのに、話が通じぬ。だが黒い女よ、お前の色は悪くない。我と同じ色だぞ』


 メルは大声で笑った。戸惑う竜など、初めて見た。


「シュヴァルツに好かれるなど、あの山を登れる人間よりもずっと珍しい存在だぞ、スミレ」


 ぱっ、と彼女が振り向く。その勢いに驚いていると、片眉をあげ、それからなにやら一人で肯いている。


「前々からおかしいと思っておりましたの。わたくしの名前が、おかしいな風に翻訳されています。メル、スミレではございませんわ、わたくしの名は、ヴィオレット(・・・・・・)

『ふむ。竜と通じたからか、微妙な訳も修正される部分が出てきたのだろう』

「耳にはヴィオレットと聞こえていたので、気にしなかったのです。口と動きがずれていることは気付いてたけれど……そういうものなのだと思っていたわ」

「……なんと、名前も変化するのか」

「何が変化して、どういうニュアンスで伝わっているのか、分かりませんわね。ヴィオレットは確かに、祖国でスミレという意味です。わたくしの父は、異国人ですの。ですから、すっかり日本人の見た目なのに、異国風の名前なのですわ。翻訳は住居に準じるのかしら……」


 ヴィオレット、とメルディーニは呟いた。スミレ、という柔らかな響きと違って、力強ささえ感じる。なるほど、彼女のイメージにぴったりだった。


「あらためまして、|榊『さかき』ヴィオレットと申しますわ、シュヴァルツ。実は少々、メルの頭を疑っていたのですが、実際にお会いしてしまえば、信じるしかございませんわね」

「気になる言い回しがあったような気もしないでもないが、これで決まりだ。出発は一週間後。王都へは海側を通して伝令の鳥を飛ばす。歓迎してもらわねばな」

『いいのか、メルディーニ? 異界人の召喚はそなたらの国では違法だ。ヴィオレットの存在は証拠そのものだ』

「黒髪黒目の女など、言うほど少ない存在ではない。多少珍しがられるだろうが、過去の異界人の子孫と思われるだけだろう」


 竜が人の子の心配をするとは、本当に珍しい、とメルディーニは思ったが、王都での襲名をどのようにするかですぐに頭が一杯になった。

 だから気付かなかった。

 スミレあらためヴィオレットが、じっと竜を見て何かを考えていたこと。酷く真剣で、そして、それは絶望の顔にも見えたこと。











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