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 与えられた自室のその奥、寝室の扉に鍵をかけ、マツリは閉じこもっていた。二日を過ぎ、文字通り篭城である。


「マツリ。そろそろお腹が空くだろう。せめて食事をとらないか」


 ドアの向こうから、エルの阿るような声が聞こえたが、徹底的に無視をした。

 ことの始まりは、二週間前の襲撃事件だ。詳しく聞きたくもない手とやらを弄したところ、男がとある教団の一員であることが自白から分かった。『源に回帰する会』というその宗教団体は、異界人による発展を拒み、我が国の我が国たる文化と技術を絶対のものとする信条をもっていた。

 入会している人数はさほど多くないとはいえ、異界よりの技術の価値を認めているこの世界ではどちらかといえば異端視されており、それゆえ、外部からの圧力に内側は逆に結束を強くする。狂信的と言ってもいいメンバーもいると囁かれ、規模の割には名の知られた団体だった。


 彼らが出てくることくらい、分かっていたはずだ、とマツリは思う。だからこその警備であり、そのための二か月だったはずだ。


「二度と出られない訳じゃなし、しばらく安全を確保させて欲しいという、これはお願いだよ。マツリ、君を思っての決定なんだ」

「そんなの分かっています」


 徹底無視を貫いていたマツリも、思わず反論をする。


「分かっているけど、イライラするの。私は来たくて来たんじゃないわ。けれど来てしまった限りは、ここで生活をしようと決めたの。

 分かる? 生活するって、生きることよ。生きることって、食べて寝ることじゃない。楽しいと感じることを禁止されて、それって生きてるって言える?」

「……大げさなことを言うけどさ、マツリ。君の生きるって、あの店の砂糖菓子を食べることなのかい……」

「うるさーい!」


 外出禁止令が出たのは、城に戻ってすぐだ。王命だという。それ自体はしかたがない、しばらく我慢もしよう。だが、外出の間に食べたあの菓子。禁断の甘さは、上品な餡や練り切りばかりを食べていたマツリを瞬時にして虜にした。

 自分で買いに行くとは言っていない。買ってきてほしいと言うだけなのに、駄目だと言う。外部から持ち込まれるものには、何かを入れる隙がありすぎるから、というのがその理由だ。


 ベッドの上で、バタバタと足を打ちつけ不満を発散させていると、ここしばらく聞くことのなかったおつき侍従のアステルの声がマツリを呼んだ。


「マツリ様。アステルはやりましたわ。あの店のフルエを完全再現いたしました」

「えっ。……に、似たようなものじゃ駄目よ、あれじゃなくちゃ」

「試行錯誤に大分時間はかかりましたが、ええ、このアステル、自信を持って同じであると断言できますわ!」


 その誇らしげな声につられて、マツリはそっと、寝室のドアを開けた。隙間から見えたのは、確かに見た目は完全に食べたかった菓子のようだった。


「料理長とともにあれこれ試しましたの。マツリ様が買ってきて下さったお土産を、二人とも食べていたのが幸いでしたわ。

 さあ、お茶を淹れましょうね」


 エルに手を引かれ、寝間着のままテーブルにつく。手早くお茶が準備され、銀皿に山盛りの菓子が各自に取り分けられた。

 フォークで切って口に運ぶ。


「……どうだい?」

「おいしい」


 ほっとしたような空気が室内に満ちた。マツリの気も緩み、つい、口にした。


「ドーナツに似ているのかしら」

「どーなつとはなんですかな?」


 マツリのショックを考えてしばらく聞き取りはお休みだったが、どうやら、フルエと言うの名のこの菓子の匂いにつられて、サリウェンが顔を覗かせたのだった。


「久しぶりね、サリウェン先生」

「わたくしめの土産を買うために襲われたと聞いて、爺は申し訳なさに謹慎しておりました」

「あなたのせいじゃないわよ」

「騙されるなマツリ、謹慎などしていない。マツリにやけどをさせたと聞いて、騎士団に毎日毎日文句を言いに行くのに忙しかっただけだ」


 サリウェンは、涼しい顔をして、セルジュメーラを杖でしばきましたのじゃ、と、エルの話が本当であると伝えた。


「治してくれたのもセルジュなのよ?」

「当たり前すぎて、埋め合わせにもなりませんな。してマツリ殿、どーなつとは?」

「柔らかい生地を揚げた菓子よ。あちらではとてもメジャーな食べ物だけれど、私、食べたことがないの」

「はて、気に入らなかったのかな?」

「気に入らないもなにも、一度も口に入れたことがないのよ。母が許さなかったから」


 エルとアステルが目を見合わせている。


「……マツリ様の家は、高名なおうちと聞き及んでおりますわ」

「ええ、陛下に問われた時は短くそう言っただけだけれど、簡単に言えば、とっても古い時代から続く、とってもお金持ちの家よ。家系図はさかのぼれるだけでも400年はあるわ」

「まあ。記録が残っていることそのものが、名家の証ですわね。マツリ様の口から、様々な生活のことはお聞きしましたが、家族のお話はあまりされませんでしたもの、聞かせていただけて嬉しいですね」


 マツリは俯き、しばらく沈黙した。その様子に、二人が再び目を合わせる気配を感じ、やはり不自然だったのだと気付く。確かに、家族のことにはあまり触れなかった。家族構成くらいで、各々の説明はしなかったといっていい。


「嘘が、ばれちゃうと思って」

「え?」


 マツリはエルの顔を見た。


「私、嘘をついたの。多分あなた達にはどうでもいいことだと思うのだけれど、陛下に嘘をついたのは確かよ。処罰されるかしら?」

「どんな?」

「本当にどうでもいいことよ。私、榊家の跡取りじゃないの。私には姉がいて、つまり長子である姉が跡取りであるっていうだけ」


 ぴくり、とエルの唇の端が動く。それは今までにない顔だった。


「やっぱりまずかった?」

「いや……姉君がいるのか。名は?」

榊菫(さかきすみれ)


 そう答えた瞬間だった。

 地を這うような地鳴りとともに、爆発音と、それから何か大きなものが崩れる音が突然に響き、全員が窓を振り向いた。


「な、なに?!」


 微かに煙が上がっている。

 窓辺に駆け寄ると、眼下に広がる中庭にばらばらと人が集まるのが見えた。見慣れたエルサンビリアの騎士の鎧と、そして、麻色のローブが数人。


「あれって、あの襲撃者の……!」


「王太子様!」


 音を聞きつけたのか、扉の前で警護をしていた騎士達も、窓から状況を確認しに来た。


「襲撃?! まさか、城門を破られたのか!」

「そんな馬鹿な、城を直接襲うなど一体……!」


 慌てる彼らを落ち着かせてから、エルは魔術とともにセルジュを呼んだ。どこにいるのか分からないが、声を届けたのだろう。数分もしないうちに、鉄仮面が駆けつけてきた。


「敵は何人だ」

「把握できているだけで8人にございます。先日捕えた男、あれを連れ帰りにきたのやもしれませんが」

「いや……ならば地下へと向かうはずだ。彼らは明らかに上を目指している。マツリ」

「え?」


 事態を把握しきれず、少しぼんやりしていたが、呼ばれて我に返る。


「狙いは君だ。今から君は、自分の身を守ることだけを考えなさい。いいね?」

「え、ええ、分かったわ」

「セルジュ、マツリを連れて塔へ。騎士を連れて行け。ゆく道々、順次騎士を配し、侵入を阻むのだ。ゆけ」


 はっ、と短く返事をしたセルジュに促されながら、マツリは、


「エルは? エルは来て下さらないの?」

「騎士の統率は私の管轄だ。手放すのは不安だが、君につける者たちは皆、実力のあるものばかり。安心して守られておあげ」


 振り返り振りかえり、自室を連れだされた。



 エルが小さく、スミレ、と呟いたことにはきづかないまま。









 廊下には、すでに隊列を組んだ騎士達が集まっている。


「警備隊長、ご指示を」

「最小部隊に分かれよ。三十歩ごとに第一部隊から離脱、その場にとどまり以後の侵入を何者であっても阻め。次があると思うな、自らが最後の砦と心得よ」


 全員がぴたりと力強く返事をすると同時に、マツリはセルジュに腕をとられ、強くひかれながら走ることになった。

 実感がわかない。マツリにとって、危険は事故と同じようなものだ。自分には起こり得ないとどこかで思っている。こんなにも、実用に耐える武器と鎧が自分を取り囲んでいながら、夢の中にいるようだ。


 深い絨毯に足を取られながら廊下を駆け抜け、階段をいくつか上り、塔へと入る。少しずつ隊列が減り、走れなくなったマツリをセルジュが抱える頃には、最後の隊がその場にとどまるところだった。

 最上階より一つ手前で、踊り場から部屋へと入り、簡素な鍵をかける。気休めの鍵は、しかしセルジュの呪文によって固くなったようだ。


 窓辺には寄らない。両開きの窓にはカーテンがかけられ、外の様子は分からなかった。

 やがて――音がした。戦闘の音だ。男たちの声、金属のぶつかり合う音。巨大な塔の内側は、煙突のように音を通す。次第次第に近づいてくるそれらの勢いは、ゆるまなかった。

 その頃になってようやく恐怖が実感されて、足元から小刻みな震えが這い上ってくる。


「セルジュ」

「しっ、窓際へ。カーテンには触れませんよう。外より気付かれます」


 日本で言えば六畳ほどの、小さなコンクリート敷きの部屋は、隠れる場所もない。


「強い……。おそらく魔術を使います。攻撃魔術を仕掛けてくるものはほとんどいないため、騎士達は対応に慣れていない。突破されます。マツリ様、決して離れませんよう」


 扉が、どんっ、と鳴った。

 どんっ、どんっ!

 木製のそれは、セルジュの魔術が反応しているのか、打ち鳴らされるたびに緑色に発光した。

 力では破れないと悟ったのか、すぐ外から複数の呪文の詠唱が聞こえる。緑の光がひときわ強く放たれ、直後、扉は音を立てて吹き飛んだ。


 素早く三人のローブ姿が飛び込んでくる。窓際でただただ震えるマツリを見つけると、彼らは唯一見えている口元を歪ませた。

 中央のリーダー格らしき男が、わざとらしくもゆったりと右手を上向ける。


「……異界人よ。そなたの存在は、この世界には不要である。粛清を受け入れよ」

「控えろ。貴様たちのような人間がみだりに話しかけて良いお方ではない」


 セルジュが低く応じると同時に、ばしゅんっ、と、何かが飛んできた。相対する三人のうち、左手の男が短い詠唱で水球のようなものを出したのだ。さらにそれは、セルジュが構えた剣の手前で割れるような音とともに凍りつき、激しい勢いで塊となってぶつかってきた。かろうじて跳ね返した剣が、反動でセルジュの鉄仮面に当たる。

 マツリの喉の奥で、悲鳴に成りきれない空気がひゅうと鳴る。

 鉄仮面は顔の下半分をもぎとるようにして飛ばされ、口元だけが露わになった。


「お主らに勝機はない。抵抗をやめれば、一瞬で神のみもとに送ってやろう」

「はっ、貴様らの崇める神とやら、俺には見えぬ。おそらく存在してはおるまいよ。貴様らの妄想の中以外にはな」


 激しい戦闘が始まった。セルジュは強かった。三人を相手にして、剣と魔術を織り交ぜてよく戦ったのだ。

 だが、劣勢は目に見えていた。

 階下ではまだ戦闘の音があり、先ほどとは逆に、上ろうとする騎士達を敵方が迎え撃っているのだろう。

 セルジュはマツリを背にし、決して傷つけまいと立ち回る。だから、避けられるものも避けられない。


「やめて、やめてもうやめて!」


 セルジュが、甲冑の歪むほどの勢いで壁に叩きつけられたのを見て、マツリは窓に飛びつき、カーテンを引き開けて両開きのガラス戸を開けた。


「私が死ねばいいの!? だったら今すぐ死にます、だからもうやめて!」

「マツリ様! 王太子の御言葉をお忘れか! 生きることだけ考えるようにとのご命令であろう!」

「知らない、私、この国の人間じゃないもの、命令なんてきいてやらない!」


 身を乗り出す。



 風が吹く。



 耳元でひゅうとなる。それは何かを思い出させた。あの時自分は絶望していて、全てを置いて逃げようとした。今も同じだ。自分の存在が誰かの命を奪うことを見ていられない。

 遠近感を失うほどの高さにも怯まず、窓枠を乗り越える。

 そして一気に飛び出そうとした―― 一瞬の浮遊感。


 が、その手を掴んでぶら下げるように命を繋いだのは、セルジュだった。


「離して、離しなさい!」

「出来ぬ!」


 彼の背後に、ローブの男が姿を現した。そして、セルジュの首の後ろ、確実に致命傷を当てられるだろう位置に掌を押し付ける。どんな種類の魔術でも、それは一瞬で命を奪うだろう。

 ゆらゆらと揺れる足元に、風が通る。下は見られないが、さっきちらりと見えた東屋の屋根は指先ほどに小さかった。落ちれば、顔かたちも残るまい。


「やめてよ、どうして、私が死ねば満足なんでしょう!?」

「話が通じる相手ではないのですよ、マツリ様」


 ふ、と。

 この状況で、マツリはひどい違和感を覚えた。

 なんだろう。

 いつもは顔全体を覆う鉄仮面が、口元だけ壊れているからか。

 口元。

 緊張感に視野が狭窄し、そこだけがはっきりと目に入る。


「手をお離しになるな」


 口元だ。


「……ねぇ、セルジュ。あなた、どうして―― 唇が言葉(・・・・)の通りに動いている(・・・・・・・・・)の?」


 呟くような疑問は、どうやらセルジュにしか届かない。

 彼は数秒動きをとめて、その間に、ローブの男がわずかに掌をずらして攻撃の軌道をセルジュの頭部にむけた。


「城内警備隊隊長、セルジュメーラ・サニウェレ。お主もまた、粛清の対象である。その黒い髪、黒い目。悪魔の所業である」


 発動した光球は、とうとう鉄仮面を全て弾き飛ばした。

 現れる黒髪と、そして。


「な……ぜ……」


 あえぐように呟くマツリの前で、セルジュは笑った。優しく。それから呼んだ。


「茉莉」


 婚約者の声で。

 婚約者の顔で。



「たかゆ……きさん……?」















 全てを見渡せる位置から、『彼』はマツリを見ていた。

 ゆっくりとした旋回の後、黒い瞳をひたと彼女に据えたまま真っすぐに、飛ぶ。











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