敗北魔王は異世界にて生活する
「慣れたものね」
「そうか?」
「えぇ。まるで、最初からこの世界の住人だったかのようよ」
そういって笑うのは、長い黒髪を三つ編みにした魔女だった。黒い目を細めて笑う魔女は、儚げな外見とは裏腹に腰に手を当てて豪快にカップの中身を飲み干した。
「どうせなら、いっそのことこの世界にいたらどう?私たちは歓迎するわよ」
「貴重な魔力持ちだからか」
「あら、それだけじゃないわ。パトロンとの関係も良好だからパイプ役を交代してもらいたいだけ」
「そちらが本命か」
魔女がパトロンと呼ぶ若い男は、今やっと人間でいうところの十八才くらいの体形に戻った魔王よりも年嵩の青年で、金と権力は有り余るほどあるものの、嫌われているとわかっておりながらも魔女に特攻を掛けては毎回ボロ雑巾のようにされている残念な性格の持ち主である。魔族である魔王は神を信じていなかったが、その青年の存在は余計に信仰心を遠のかせる原因になっていた。…つまり、天は二物を与えない。
「お前の願いはわかったが、そういうわけにはいかない。向こうには、俺の残った友人が、同胞たちがいる。彼らを守らなくてはならない」
「時の流れがあちらとこちらは違うわ。いま、急いだところでどうにもならない」
「わかっている」
「でも、焦っているのね」
「………」
「ねぇ、焦っているのは晶ちゃんのせいでしょ?今の晶ちゃんがあのときの、あなたの世界で無残に殺されたときの姿と同じになってきたから」
「…っ!」
息を呑んだ魔王が魔女を睨むが、焼きメレンゲを摘まむ娘は臆した様子もない。
「いっておきますけど、今のあなたよりも私の父様がムダな仕事を押し付けられて苛立っているときの方がよっぽどコワいのよ?…苛立ってても、完璧な仕事をしてしまうのが父様のいいところで、悪いところだけども」
ゴホンと咳払いをした魔女は、気を取り直して指についたメレンゲの滓を払い落としてから、魔王に角度によって深い蒼色に見える瞳を向けた。
「あなたは勇者も聖女も聖獣使いも、探し出して殺せなかった。召喚を止める要素はなにもなく、そう遠くない未来に三人の子どもたちが異世界へと魔王討伐のために召喚されるでしょう。一人の関係ない女の子を巻き込んで」
「お前が…、お前が止めたのだろう!」
「それはそうよ。あなたがいた世界では合法でも、この世界ではただの殺人よ。だいたい、本調子じゃなくてろくにここから出られなかったのでしょう。知ってる?この国は義務教育というものがあってね。まあ、病弱で家庭教師でも着けてたってことにして、あなたの頭があれば大検をとって進学することも可能だけども」
「そんなことはどうでもいい!」
「よくないわよ。どういいわけするつもり?いいわけしたところで、晶ちゃんが悲しむことには違いがないでしょう」
「ぐっ」
「こんなことで詰まるぐらいなら、最初からいわないでちょうだい。もうずっと晶ちゃんと一緒にいるのだから、わかっているでしょう。彼女は普通の感性しか持っていない人間なの。それが大切な幼馴染が、ちょっとしか知らないとはいえ同じクラスのいけ好かない男女を惨殺したとなったら、悲しむでしょ…なんで顔を赤くするのよ」
「『大切なおさな』…い、いや、続けてくれ」
「とにかく、野蛮な方法で奴らを屠殺するのは晶ちゃんの将来のためにやめて」
「…さりげなく、ひどいことをいっているな」
『屠殺』は家畜を殺すときのことを指すのであって…それはともかく。
「あなたがいなければ、晶ちゃんが悲しむのよ」
魔王の脳裏に、あの決戦のときに見た『増幅器』と呼ばれた娘の最期の笑顔が浮かび、それから幼馴染として過ごした『晶』という娘の笑顔が次々に浮かび上がった。
転移魔術が世界を越え、時間すらも遡って重症の魔王をこの世界に運んだのは彼自身のスキルのおかげだ。長い年月を掛け、足りなかった魔力の代わりに奪われた身体の時間を取り戻し、更に魔力も蓄えるための安全かつ長い時間を得ることが出来たのそのおかげだろう。魔女率いる異界の面倒ごとを引き受ける機関との伝手が出来たのもそうだ。
それは全て、あのときに『増幅器』が救ってくれたことがはじまりだった。
「だが…オレには守らなければならない同胞たちもいる」
「だ―――!!!まどろっこしい!!」
「…っ!?」
「そんな建前はいいのよ!あなたがいいたいのは、主張したいのはそれだけじゃないでしょう!!話しを戻さないでちょうだい!!」
「す、すまん」
「はぁ。で?」
「あ、あぁ……」
息を吸い込み、ゆっくりと吐き出した魔王はひどく緊張した面持ちで、しかし一切魔女から目を逸らさずに口を開いた。
「オレの大切な晶を、晶を救うために力を貸してほしい、異界の魔女殿。頼む」
「この可憐にして苛烈たる漆黒に咲く華、黒華の魔女が承りましょう。…成功報酬は弾んでね、異界の魔王」
「心しておく」
「……ねぇ、終わった?」
「「!!??」」
「あ、晶!?」
「晶ちゃん!いつからそこに!?」
「うーん?『異界の魔女殿』からかな」
「よ、よかった。…よかったのか?」
「私はまるまるあの恥ずかし過ぎる口上を聞かれたってことよね。ねぇ、嘘だといって!?」
「ううん…しゅみはひとそれぞれだよ?」
「片言!!」
「逸らした目が死んでいる!!」
「リューにぃちゃんのリアル血糊付きコスプレも、ひていしないよ?」
「ぐはっ!だ、だからあれはコスプレではなくてだな!」
「フフフっ、コスプレだって。馴染み過ぎよー」
「ヤバい、魔女殿が壊れた」
「今ここで魔女って呼ばないでちょうだい!!」
「…二人共。前からいおうと思っていたんだけどね」
「な、なんだ?」
「どうしたの、改まって」
魔王と魔女が、急に佇まい正す娘につられてヘタレていたの背筋を伸ばす。何をいわれるのか、もしやすでに召喚の兆候でも表れていたのだろうかと緊張の面持ちになる二人だったが。
「高校生にもなって中二病というのはちょっと…」
「ちが!!」
「違うから、晶ちゃん!!」
「えぇ~、コスプレとゲーム好きなのはいいけどねぇ。二人ともすごく美人でハイスペックなのに残念だなぁと」
「あれはコスプレじゃないといっているだろう!!」
「あぁ、うん。すごく良い生地で細かい仕事だよね、あの衣装。まさに悪の大魔王という感じで。あっ、あのときの小道具の角ってまだ持ってる?」
「角は自前だ!!」
「そうなんだ、自作なんだね。すごい器用だよねリューにぃちゃんは。そんなコスプレ衣装作るスペックすら持ってるなんて」
「晶ちゃん、あのね私は本当はこのせか」
「マイスイート、あーちゃん!!会えなくてさみしかったかい!ボクはさみしくて」
「だあぁぁぁっ!面倒なのが乱入して来た!!」
「ま、魔女殿落ち着いてくれ!!ここでオレひとりだと、晶の暴走が妄想する!!」
「リューにぃちゃん、たぶん妄想が暴走するだと思うけど。それに私、リューにぃちゃんの魔王様好きだよ。そもそも、どんな人よりもカッコいいと思ってる!!」
「晶……」
「二人だけの世界に行かないで!!この変態を変態の星に帰すの手伝って!!」
「ハハハっ、マイスイートは恥ずかしがり屋さんだね☆星に帰るならキミも一緒だよ」
「土に還れ」
「魔女殿、彼はオレの庇護者でパトロンなんだが」