1.回想 その1
「一体ここはどこなのよ――――――!!! 」
そう叫んでみたものの状況は変わるはずもなく、ただ目の前に広がる森とその側の村には相変わらず見覚えはなかった。
マリオンの焦る気持ちとは裏腹に、頬を撫でていく風がひどく優しいことにどこかほっとする。
知らない場所でも風はいつもと同じなんだな…なんて冷静に考えることが出来た。
「落ち着け私…、うん。まずは整理してみよう 」
自分に言い聞かせるように呟くと、意識を失う前にいたはずの自分の村を頭に思い浮かべた。
――――――
マリオン・オペル(十七歳)はリードガルフ王国の西方アルギス領の中でも、その西端であるクレド村を治める準男爵令嬢である。
それも―― お世辞にも貴族とはいえないような、むしろ ――平民と然程変わらない生活レベルであったが、父であるエイベル・オペル準男爵は村の民から尊敬された立派な領主であり、その家族もまた同じような扱いだ。
そんなオペル準男爵令嬢のマリオンは十七年前に長女として生を受けてから、一人娘ということもあり剣術や馬術を教え込まれてきた。
母親であるケアリー・オペルはあまりいい顔をしなかったが、世嗣だから仕方ないと目を瞑っていたようだ。
そう、十年前にかわいい弟レナードが生まれるまでは。
弟が生まれ数年たった頃、レナードが正式に世嗣ということになったある日、母親から馬術については何も言われなかったのに、剣術の修行だけは『女なんだから』しなくても良いと言われた。
もちろん今までの修行を無駄にしたくなかったマリオンは断固反対したが、如何せん母親の圧力はすさまじく屈してしまった。表面上は。
それ以来、父親と弟は母親に見つかりさえしなければマリオンの修行に快く付き合ってくれるし、村の自警団である男達もマリオンを可愛がってくれている。もちろん領主の妻に見つかるまではだが。
そんなある日、幾度も邪魔をされ修行進まないと感じたマリオンは、母親の目を掻い潜る為には犠牲も必要であると悟った。
逃げ回っていた花嫁修業を一通り頑張ることにしたのだ。
表面上は剣術の修行はやめ、刺繍や家事全般、―― いるかどうかもわからない ――マナーや立ち居振る舞を厳しく仕込まれた。
母親のあまりの鬼具合に半泣きになったことも多々あったが、全般的にみて割りと優秀だったせいか自由時間もそこそこ融通がきき、その時間をこっそりと剣術に充てていることはばれてはいない。
その日も貧乏領にしては何故かしっかりとした造りの馬小屋の二階…、飼い葉置き場の隅に隠しておいた男物の服に着替え、背中に流れる長い髪を手早く三つ編みにすると後ろに払った。
「よし…、今日も母上はいないみたいね 」
いつものように馬小屋の裏側から頭だけを出して辺りを見回し、これまたいつものように誰もいないことを確認すると素早く村の外へと走り出した。
剣術の修行場である自警団の詰め所へと向かうには、馬小屋と―― 小さいけど一応領主館である ――母屋の前を通って行くのが一番早いのだが、それで母親に見つかるのは必至だ。
そこで馬小屋の裏側から一旦村の外へ出て、村の外塀に沿って反対側の村の入り口へと向かってから詰め所に行くのが一番安全確実なのである。
足取りも軽やかに詰め所に到着すると、父親と弟は既に剣を合わせていた。
最近弟とは修行の時間がずれていた為気づかなかったが、少し見ない間にその腕前は随分上達しているようだ。
七歳にしてはなかなかだと言っても良い。それに触発され、相手を探す為に辺りを見回すが今日に限って誰もいない。
家から走って来たので体は十分に温まっていたのだが相手がいないのでは諦める他なかった。
その時、一際大きい打ち合い音が聞こえたかと思うと、レナードの剣は弾き飛ばされ地面に転がっていた。
「よし、一旦休憩だよ。レナード 」
「…は、はい、父上。……あ! 姉上! 」
マリオンに気づいたレナードが紫色の瞳を輝かせながら嬉しそうに近づいてくる。
愛くるしい顔につい笑みが零れてしまう。
「この間までは父上に手も足も出なくて、すぐに打ち負けてたのに。一体どうしたの? 」
「ひどいです姉上。これでも私は姉上を越すべく毎日努力しているんですよ。それに十回に一回は父上に勝てるようになったんですよ 」
「フフフ。そうね~、そう考えるとやっぱり上達してるわよね。流石、私のかわいい弟ね 」
笑顔でそう答えると、レナードは一瞬眉を顰めて頬を膨らませたが『かわいい弟』というのが効いたのかすぐに笑顔になった。
「ありがとうございます姉上 」
嬉しそうな笑顔に目を細め、弟の金茶色の髪を撫でながら詰め所を見回し、思い出したように口を開いた。
「それにしても、どうして今日はこんなに人がいないの? 何かあったの? 」
「ああ。今日は森に大きな猪が出てな、これでは薬草が採れないと苦情がきてね。それを皆で駆除に行ってるんだよ 」
レナードの後ろに立っていた父親がそう答えると、マリオンは頷いた。
「ああ…だからなんですね。じゃあ、今日は修行は諦めます 」
「そうだな、私もこれから別件があってね。これだけは拒否できないからね~ 」
口に手をあてて苦笑する父親に子供達は顔を見合わせると頷き合った。
「「母上の用事なんですね… 」」
こんな田舎で拒否できない用といえば、大抵の場合母親からの頼まれ事であることは予想が付いた。
「ははは。ケアリーの頼みは断れないからね~ 」
などと、嬉しそうに破顔した父親のデレっぷりといったら子供からみてもうんざりするほどだ。
((この万年ノロケ夫婦め… ))
「………では私は汗を流してから家に帰ります。姉上はどうされますか? 」
「うん、私も家に帰るよ。ちょっと村に寄って、それからいつものように帰るから母上に何か言われたらよろしくね 」
「わかりました 」
父親は放置することにし、二人はさっさとその場を離れた。
残された父親は子供の様子に首を傾げ、思い出したように息子の後を追っていった。
亀更新、亀進み具合ですみません。
3/21 サブタイトルに文字を追加しました。