ジョン・ディクスン・カーを呼んだ男
アラン・ゴールドは十二歳のとき自宅の書斎で祖父の幽霊に出会った。そのときには気づかなかったが、このとき初めて彼の生涯が意味を持ち、その方向が決められたのだった。夜、夕食がすむと彼はもう一度書斎に行って祖父の幽霊に会い、床につく時刻までいろいろな話をした。
次の日、彼は図書館で別の幽霊に出会った。その図書館があったところは昔は結婚式場であり、そこで一生涯を過ごした人間の幽霊と出会ったのだ。彼とは二日間話をした。その後、一週間もたたないうちに彼は自分の家の近くにいるすべての幽霊と会った。彼の周りには他に幽霊がいないと知った時にはがっかりしたが、間もなく自分が霊媒師で、いろいろな幽霊を呼び寄せることができると知って有頂天になった。
それから十年の間に、彼は古今東西の幽霊と会い彼らとさまざまな話をした。彼はこの間にある決意をかためるに至った。
そう、彼、アラン・ゴールドは自分が霊媒師であることを隠し、こっそりと幽霊の助けを受けながら人生を過ごすことにしたのだ。
アランは田舎にある小さな家で家族といっしょに住んでいた。この家は世のミステリ作家たちが好むような屋敷ではなかったが、彼の友人のマイケル・ドーンの家はただっぴろく、その上に素晴らしい別館があり、そこに彼は叔父のダニエルと二人きりで住んでいた。
そして雪の降り積もった冬の日、友人数人でマイケルの家に泊まった夜に事件は起こった。ダニエル・ドーンが別館で殺されたのだ。
その夜、アランは夜中にダニエルに呼び出され別館へと向かった。皆が寝ている本館とダニエルの寝室のある別館の間にも雪は積もっており、そこには三つの足跡がついていた。一つはダニエルのもので、あとの二つは誰のものか分からなかったが、本館と別館を往復していた。
別館にたどり着いたアランはドアをノックしたが、まったく反応がない。不思議に思ってすぐ近くの窓から中を覗くと、頭から血を流し、床に倒れているダニエルの姿が目に入った。
アランは別館のドアを開けようとしたがドアには鍵がかかっていた。そこで彼はすぐ近くの納屋で斧を見つけ、それでドアを壊し、中に入った。
ダニエルは既に死んでいた。アランはそれを確かめ、そばに転がっているダニエルの灰皿に血がついているのを見た。次に彼は別館のドアと窓を調べた。どの窓にも鍵がかかっていて、窓の外にも足跡はなく、彼が壊した別館の唯一のドアは掛け金が下りていた。
これだけ言っておけば、今、アランがダニエル・ドーンの死体を前にして幽霊の力を借りようとしている理由の見当がつくだろう。
もちろんアランは不可能犯罪の巨匠、ジョン・ディクスン・カーの幽霊を呼び出して密室の謎を解決させるつもりなのだ。
ジョン・ディクスン・カーは穏やかな笑顔を浮かべてアランに話しかけた。
「私と話がしたいというのはきみかね?」
アランはそうだと答え、ダニエル・ドーンが密室で殺されたこと、本館と別館を往復している足跡の持ち主が犯人だと考えていることを話し、そしてこの密室の謎を解き明かして欲しいと頼んだ。
カーは嬉しそうに頷いて言った。
「なるほど、その密室の謎を解き明かすために私を呼んだわけだね。たいへん結構。ただ、一つ頼みがあるんだが、いいかね?」
アランはカーの言葉を聞いても驚かなかった。というのも、今まで呼び出した幽霊の中には、自分の書いた劇が見たいと言った劇作家や、学術論文を記念にもらった科学者などがいたからだ。
しかし、カーの頼みは少し風変わりだった。
「犯人が残したものを、一つだけ私に譲ってくれないかね?」とカーは言った。
アランは一瞬あっけにとられたが、すぐにこう言った。
「構いませんよ。でも密室トリックに使われた道具と犯行に使った灰皿を持っていくのは止めてください。重要な証拠ですから」
カーはにやっと笑った。そうするとメフィストフェレスじみた顔になる。
「もちろん。私だってそれくらいのことは心得ているさ。じゃあ、調査を始めようか」
カーはまずアランが壊した別館のドアを調べた。
「ドアが枠から外れているから確かなことは言えないが、ドアの隙間から鍵を中に入れたとか、ドアの隙間から糸を通して掛け金を掛けた、ということはないようだ」
「どうして分かるんです?」とアランは尋ねた。
「もしそうなら、犯人の足跡がドアの手前でもっと乱れているはずだからね」というのがカーの答えだった。
次に、カーは窓を一つ一つ調べた。しばらくして彼は言った。
「窓にはまったく隙間がない。鍵もしっかり掛かっているし、窓の外の雪はまったく乱れていないから、犯人が窓を利用したということはまずないだろうね。
それから彼は部屋の中央に向かい、死体を調べ始めた。しばらくあちこちから死体を眺めていたが、しばらくしてこう断言した。
「彼がこの灰皿で殴られたのは間違いない。この灰皿はこの別館に置いてあったものだね? とすると犯行はここで行なわれたのだ」
アランはここまでのカーの言葉を考えていた。どうやら犯人はここで犯行を行なった後、部屋の内部になんらかの仕掛けをして鍵をかけたらしい。しかしドアには何の痕跡もない。アランにはその方法の見当がつかなかった。
アランはふと、カーがベッドのそばにある小さなテーブルに向かっていることに気付いた。見ていると、カーはテーブルの上にある箱の中身を覗き込み、じっとしていたが、やがてアランに向かってこう言った。
「トリックが分かったよ」
カーはアランを呼んで、箱の中身を見せた。
「見たまえ。これはドライアイスだ。ドライアイスについては知ってるね?」
もちろんアランは知っていた。ドライアイスは二酸化炭素が凝固したものである。二酸化炭素は珍しい物体で、大気圧のもとでは液体になることはなく、固体から気体に、またはその逆に変化する。この現象は「昇華」と呼ばれる。
「その通り、そして体内に入ると体内のヘモグロビンと結合し、全身に酸素が行き渡らなくなる、恐ろしい物質だ」
「それは一酸化炭素ではありませんか? 二酸化炭素にそんな性質はありませんよ」
アランがそう言うと、カーはしばらく言葉に詰まっていたが、やがて説明を再開した。
「細かいことはいい。私が言いたいのは、犯人はこのドライアイスを使ったのだということだ。」
カーは苛立たしげにそう言った。どうやら化学の知識はあまりないようだ。
カーは説明を続けた。
「ドアには細工された痕跡がなかったが、それはドライアイスを使ったからだ。これを掛け金とドア枠の間に挟んで固定する。時間が経ってドライアイスが溶ければ掛け金は受金に落ちる、とこういうわけだね。」
「なるほど、ドライアイスは気化するから、氷と違ってあとに何も残らないんですね。」
「そういうことだ。」
カーはアランの方に向き直った。
「これで私の仕事は終わりだね。失礼させてもらおう。なかなか楽しかったよ。」
「ちょっと待ってください。犯人の残したものが欲しいと言っていませんでしたか?」とアランは尋ねた。
「それはもう貰ったよ。」
そう言ってカーは笑った。またあのメフィストフェレスじみた顔が現れた。
「では、犯人が捕まるのを楽しみにしているよ」
そう言ってカーは消えた。
「何をしたんだ、アラン!」
突然の叫びに振り返ると、戸口にマイケル・ドーンが立っていた。
「君の叔父さんが死んでる。殺されたんだ。」とアランは答えた。
マイケルは激高した。
「何言ってやがる! 殺したのはお前だろう! 斧でドアを破って、眠っていた叔父さんを殺したんだ! 畜生! 絶対に罪を償わせてやる!」
そう言ってマイケルは本館の方に駆けていった。
アランは不思議に思った。なぜマイケルは自分がダニエルを殺したと思っているのだろう。本館と別館を往復している犯人の足跡に気づかなかったのだろうか? それともショックで混乱しているのだろうか?
だが別館の戸口に立った瞬間、彼は事情を悟った。そして一瞬、自分が霊媒師であると明かしたらどうだろうと思った。だが誰も霊媒師の存在など認めてくれないだろう。
こんなことになってしまってフェル博士は自分のことをどう思うだろう。ヘンリイ・メリヴェール卿や、幽霊として出てきてくれたジョン・ディクスン・カー自身はどう思うだろう。
いや、幽霊に密室殺人を解決させた霊媒師が、その幽霊に犯人の足跡を持ち去られたせいで殺人犯にされてしまった、なんていう間抜けな話を聞いたら、誰でもいったいどう思うだろう。
さすがにこれを推理ジャンルに投稿する勇気はなかった。
参考文献
ウイリアム・ブリテン「ジョン・ディクスン・カーを読んだ男」[1965]