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蜜愛は夢の中にいた。
ふわふわの雲の上に乗って、七色に輝く不思議な空を見上げる。
温かい。
まるで女神様が両手を広げ、そっと包み込んでくれているかのよう。
このままなにもかもを忘れて、眠り続けていられれば幸せなのに……。
そんな蜜愛の幸せは、少し離れた場所から響いてくる聞き覚えのある声によって途切れることになる。
「ん……」
騒がしさのせいか、布団にくるまっていたことによる暑さのせいか、はたまた窓の外から伝わってくる熱気のせいか。
ともかく、蜜愛は目を覚ました。
具合はかなりよくなってきている。
若干頭がぼやけているのは、まだ体調の悪さが残っている証拠か、単に寝ぼけているだけか、それとも長く寝すぎた影響か。
上半身を起こしながらも微妙にまどろみ続ける蜜愛の耳に届けられる、複数の人が発していると思われる声。
窓を閉めていても越えてくる音の振動が、蜜愛を眠りの世界から、そして閉じこもっていた殻の中から引き戻したのだ。
なにを言っているかは、ぼーっとした頭だからか、いまいち脳にまで伝わってきていない。
ただ、聞き覚えのある声だというのはわかった。
男性の怒鳴り声は、おそらく獅子春人。
そう思い至れば、沙羅双樹の爽やかな声や、瑠璃月の凛とした声もまざっているのが確認できる。
聞き覚えはあるものの、誰だかよくわからない男性の声も含まれているようだ。
やけに甲高い子供みたいな声は、まーちゃんに違いない。なぜ沙羅双樹たちとともにいるのか、その理由にまではたどり着けなかったが。
そんな中、ひときわ大きく響いてくる蜜愛の名を呼ぶ声が、頭のもやもやを徐々に晴らしていく。
大きく響いてきたように感じたのは、一番耳慣れた声だからかもしれない。
「あ……ゆゆちー……」
名前を口に出したことで、蜜愛の頭の中に親友の姿が鮮明に浮かび上がってくる。
なにも考えずに飛びついていきたい衝動に駆られる。
だが、眠りすぎた体はすぐに動いてくれなかった。
ベッドから足を出すところまでは進めたが、そこで急停止してしまう。
ケンカしている真っ最中。そのことが頭をよぎったのだろうか。
ふと、外から聞こえてくる声の中に、さらに聞き慣れた声が増えたことに気づく。
それは蜜愛の母親の声だった。
なにやら話し合っているのか、室内の蜜愛にまで届くほどの大声は聞こえてこなくなった。
「あれだけ騒がしくしていたら、そりゃあ、お母さんだって気づくよね。沙羅さんたちはさっきも来てたみたいだし、また同じように追い返してくれるかな……」
蜜愛はそう考えたのだが、一旦は収まっていた喧騒が再び襲いかかってくる。
「ミッツ~~! 聞こえてるんでしょ~~!? さっさと顔を出しなさいよ、こら!」
他の人が叫んでいるのもわかってはいたが、今の蜜愛の耳に最も強く飛び込んでくるのは、やはり親友であるゆゆの声だった。
「こらって、なによ……」
文句をこぼしながらも、蜜愛はのそのそと起き上がり、窓のほうへと歩み寄っていく。
母親が止めに入ったはずだが、それなのにやめなかった。
この感じだと、永遠に叫び続けそうだ。これ以上ひどくなれば、近所迷惑になってしまうだろう。
ゆっくりと、カーテンを開ける。
部屋にこもりっきりだった身には、いささかまぶしすぎる日差しが、蜜愛の全身に容赦なく照りつける。
カギを外して窓を開けると、生温かい風が吹き込んできた。
「あっ、出てきましたわよ!」
「言われるまでもねぇ!」
「ようやく起きたか、バカミッツ!」
より一層の大声が起き抜けの蜜愛の脳を揺さぶった。
二階の窓から見下ろすと、集まっている知り合いたちの姿が視界に飛び込んでくる。
ゆゆ、沙羅双樹、獅子春人、瑠璃月。
敵であるはずのまーちゃんも、その並びに加わっている。
他にも見慣れない男性がひとりいた。いや、見たことはある。
「あ……、宇宙王子さん……」
そのつぶやきは本人たちまでは届かなかったが、蜜愛は総勢六名となっている一団を、しっかりと自分の目で確認した。
母親は一団から少し離れた場所に立ち、黙って様子を見守っている。
どうしてこんなに大勢で来ているのか。
蜜愛には理解できなかったが、そんなことはお構いなしに、ゆゆを筆頭としたメンバーはそれぞれの熱い思いをぶつけ始めた。
「痛姫様! 二度とキミの前には姿を現さないって言ったのに、ごめんなさい! でもボク、どうしても心配で、休みを取ってここまで来たんです!」
最初は宇宙王子だった。
「ブログの更新が止まってるけど、楽しみにしてるんですよ! 小説も、日記のほうだって! ボクだけじゃない、見ている人がたくさんいるのは、痛姫様だってわかってますよね!? そりゃあ、気分の乗らない日があっても仕方がないとは思いますけど! でも、やめたりはしないで、絶対に続けてほしいんです!」
必死に叫ぶ様子を、蜜愛はただ黙って聞いていた。
「蜜愛さん、まずは謝らせてください!」
続いて瑠璃月が澄んだ美しい声を響かせた。
「親友であるゆゆさんを混乱させてしまって、蜜愛さんにも迷惑をかけてしまいました。本当にごめんなさい! ですが、わたくしたちにとってあなたの小説は未来なんです。どうか、ゆゆさんと仲直りして、以前と同じように更新をお願い致します!」
着物姿の瑠璃月を押しのけるように、今度は獅子春人が怒鳴りつける。
「おい、いつまでうじうじ悩んでやがるんだ!?」
怒りをも含んだ言葉は、凄まじい勢いで蜜愛の耳と、そして心に突き刺さる。
「お前には成すべきことがあるんだ! それを放り出して逃げるってのか!? 単なる自己満足なだけのブログだからいつやめてもいいだなんて、この期に及んで言うつもりじゃねぇよな!?」
沙羅双樹が獅子春人の肩をつかみ、黙って下がらせる。さすがに見かねたといったところか。
「ごめんね、べつに責めるつもりはないんだ。僕たちが悪かったんだから」
爽やかな声色で優しく諭すように、窓から顔を出している蜜愛に笑顔を向ける。
「僕からのお願いだよ。みんなのために、書いてくれないかな? 蜜愛さんだって、書きたいんでしょ? だからこそ、始めたんでしょ? だったら、絶対に続けるべきだよ」
その沙羅双樹の背中に飛び乗り、まーちゃんが言葉を引き継ぐ。
「そうだじょ! 続けるべきなのだ!」
一瞬、蜜愛が体をこわばらせたのは、以前ナイフを突きつけられたことがあったからだろう。
「お前を殺そうなんて考えたのは、完全に間違いだったのだ! アタイはもう、味方なのだ! 仲間なのだ! そんな仲間のために、小説の続きを書くのがお前の役目なんだじょ!」
他人の背中に乗っかっている状態なのに、まーちゃんは大きな身振り手振りをまじえて喋る。
沙羅双樹は落っことさないようバランスを取ることに躍起になっていた。
ブログのファンと宇宙人たちからの言葉を、しかと受け取った蜜愛。
しかし、その表情は曇ったままだった。
みんながみんな、ブログの更新を心待ちにしていることは、充分に伝わってきた。
どうしてそこまで自分のブログに固執するのか、蜜愛としては首をかしげるばかりではあったが、嫌な気分ではない。
楽しみにしてもらえていると改めて知り、素直に嬉しく思っていた。
とはいっても、それはあくまでブログのこと。
日記や小説のこと。
それらは蜜愛が書いているのだから、蜜愛の生み出した創造物ということにはなるが、決して蜜愛本人とイコールではない。
すなわち、蜜愛本人を心配してくれているわけではない。
そう考えてしまったのだ。
「ミッツ、聞いた!? みんな待ってるのよ!?」
ゆゆが全員を代表するように声を荒げる。その眉尻は完全につり上がっていた。
「それだけあんたの小説が魅力的だってことよ! だからこうして人が集まってるの!」
蜜愛は、ゆゆの言葉を耳にしながらも、ほとんど脳には届かず聞き流している状態だった。
結局、ゆゆも同じなのだ。
親友であるはずのゆゆも、蜜愛本人を心配してはいないのだ。
心の中で涙が流れ始める。
実際に雫が頬を流れ落ちていくのも、時間の問題かと思われた。
その次の瞬間だった。
「でも……あたしはそんなのどうでもいいわ! 書きたくないなら書かなくていいよ!」
宇宙王子が、沙羅双樹が、獅子春人が、瑠璃月が、まーちゃんが、驚きの目をゆゆに向ける。
窓から見下ろしている蜜愛だってそうだ。
呆然と、だらしなく口を開けたまま、親友の姿を凝視する。
「悩むくらいならやめちゃえ! そのせいで悲しむ人がいる? そんなの知ったこっちゃないわ! ミッツ自身が悲しい気持ちになってるのに、自分を偽ってまで続ける必要なんてない! あたしはあんたが心配なの!」
「だけど、ゆゆちーは怒ってるんでしょ……?」
だからケンカをした。だからお見舞いにも来てくれなかった。
蜜愛はそう思っていた。
そんな蜜愛に、ゆゆは勢いを緩めることなく、心のうちをさらけ出す。
「そりゃあ、怒ってるよ! でもね、それ以上に悲しいよ! あんたが悩んでるのに力になれないなんて!」
「ゆゆちー……」
蜜愛が悩んでいる原因の一端は、というよりも大部分は、ゆゆ本人にあったわけだが。
「ミッツはバカだから!」
「な……なによ!?」
突然のバカ呼ばわりに、反射的に不満を返す。
「ミッツはバカだから、あたしがいないとダメなのよね! ほんと、世話がやけるったらありゃしないわ!」
なによ、べつに頼んでなんかないでしょ!?
蜜愛が反論の叫び声を発する隙すら与えず、ゆゆは想いを綴り続ける。
「それは同時に、あたしにもミッツが必要だってことよ! お互いがお互いにとって必要なの! そういう存在なのよ! それが親友ってものでしょ!? あたしはあんたを、どんなことがあっても受け止めてやるからね!」
「ゆゆちー!」
蜜愛が望んでいた言葉。
騒ぎを聞きつけて集まってきた野次馬なんかもいる中だというのに。
自らの想いを惜しげもなく、恥ずかしげもなく、語ってくれたゆゆに。
どんなことがあっても受け止めてやる、とまで言ってくれたゆゆに。
蜜愛は今すぐにでも飛び込んでいきたい衝動に駆られた。
いや、本当に飛び込んでいった。
「えっ!? バ……バカッ!」
ゆゆの慌てる声が響く。
周囲の野次馬や知り合い数名も、大きく口を開けて驚いている。
蜜愛が二階の窓から、本当にゆゆのもとへと飛び込んでいったのだ!
別の言い方をすれば、飛び降りたのだ!
二階程度とはいえ、窓のすぐ下には塀もある。
勢いよく飛び出したおかげで、道路にまでは到達できたため、塀に直撃という事態は避けられたが。
ゆゆがとっさに反応して抱き止めたおかげで、怪我をすることからも免れたが。
宇宙人たちが重力やら時間やらを少々コントロールした、といったことも、もしかしたらあったのかもしれないが。
危険な行為だったのは間違いない。
危険どころか、文字どおりの自殺行為になっていた可能性すらある。
「なにやってんのよ、このスットコドッコイ!」
本気の怒りが、蜜愛を襲う。
「えへへっ!」
ゆゆの腕の中で、それでも蜜愛は笑顔だった。
「褒めてない! 反省しろ、このバカ娘!」
「えへへへっ!」
「ダメだ、こいつ……」
ため息まじりではあったものの。
ゆゆは安堵の息をつく。
その顔には、自然と笑みが浮かんでいた。




