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どんよりした曇り空のもと、体育の授業が行われていた。
日差しが無いせいもあり、空気はかなり肌寒い。
ここ数日、曇りや雨が多いため、涼しい日が多くなっていた。
もっともこの天候は、授業内容からすればありがたいと言えるのかもしれない。
なぜなら今日の授業がマラソンだからだ。
まだ六月初旬だとはいっても、晴れたら結構暑い。
曇り空は長距離を走る上で最高のコンディションと考えられる。
雨が降っていたほうが体育館での授業になって楽だ、との反論が来るかもしれないが、マラソンの授業を想定しているなら、結局は体育館の中を何周も走らされることになってしまう。
曇り空という条件下であれば、グラウンドを周回するだけでなく、学校の敷地から出て周辺の道などもコースに加えられる屋外でのマラソンのほうが、まだマシというものだ。
蜜愛とゆゆは今、正門を抜けて学校の敷地外へと出ていくところだった。
ただ、いくら天候条件がよかろうと、もとより走るのが苦手な蜜愛にはマラソンなど地獄でしかない。
ゆゆにとってもそれは同様だ。
むしろ、走るたびに大きな胸が揺れまくって、余計な力をかける必要が出てくる分、さらに大変そうにも見える。
蜜愛に言わせれば、そんなのは贅沢な悩みだ、ということになるのだが。
「あ~もう、はぁ、はぁ、どうしてマラソンなんて、やる必要が、あるのぉ~? はぁ、はぁ……」
蜜愛は息を荒げ、文句を吐き出し続ける。
喋る分の体力を走るほうに回すべきなのでは、と思わなくもないが、愚痴をこぼすことでどうにか気力を保っているのだから、黙って走れというのは酷だろう。
「それに関しては、あたしも激しく同意する! 胸が揺れまくってこすれると、痛みも結構あるし!」
「そ……それは同意しかねる~! っていうか、恨めしい~!」
「大丈夫! ブラをつけずに長距離を走れば、あんたくらいのサイズでも充分痛くなるはずだから!」
「ぜ……全然大丈夫じゃない~! っていうかそれって、完全に透けちゃうよね!? 汗で濡れるだろうし……」
気力を保たせるためという意味合いはあるにしても、ふたりはさっきから喋ってばかりだった。
これではスピードが出ないのも至極当前だ。
どうせゴールしたところで、疲れて休んでいるだけで授業時間は終わってしまうはずだし、ゆっくり走っていても問題ない。
それどころか、ゴールする前にチャイムが鳴ってくれれば走る距離が短くて済む、といったちょっとしたズルをしようという考えも頭をよぎっているに違いない。
その場合、休み時間には疲れきっていて、本当に休むために時間を費やしてしまう上、着替えが終わらず次の授業に遅れる、といった危険性もはらんでいるわけだが。
かなりゆっくりとしたペースで走っているふたり。
周囲にはすでに他の生徒の姿は見えない。
体操着姿のふたりの女子高生が、黄色い声で喋くりながら人気のない道をゆく。
学校周辺の大部分は畑で占められているのだが、それ以外にも民家がちらほらと並んでいる。
共働きの家庭が多い昨今、真っ昼間に人がいる可能性は低いかもしれないが、それにしたって少々騒がしくしすぎだ。
とはいえ、本人たちはまったく気にしていないどころか、お喋りこそがメインディッシュと言わんばかりにはしゃいだ声をまき散らし続けていた。
と、そんなふたりの前に、もっと騒がしい人物が立ち塞がる。
朝と一文字一句違わない表現で済むその人物は、言うまでもなくまーちゃんだった。
両手を腰に当て、まったく膨らんでいない胸をこれでもかと張りつつ、甲高い声を響かせてくる。
「待たせなた、貧乳!」
「待ってないけど……。っていうか、貧乳って言うな~! そこまで小さくない~!」
「ほんとにまた来たのか! 早すぎない?」
「うむっ、また来たのだ! べつに早くはないぞ、デカ乳! あと、貧乳は紛れもない事実だから、すっぱり諦めろ!」
蜜愛とゆゆのツッコミにも、まーちゃんは素直に答えを返す。
「あたしも、デカ乳って言うな! でも、ま、いっか。ミッツがへこむだけだろうし」
ゆゆが続けて文句を飛ばしかけたものの、その矛先は蜜愛へと方向転換していった。
「へこまないよ、これ以上! それと、私は絶対に諦めない~!」
対する蜜愛も悲痛な叫び声を上げていたが、それは空しく響くだけだった。
だいたい、これ以上へこまない、というのは、ツッコミ方自体がおかしい。
なにやらバカげた会話が展開されているが、本人たちは至って真面目だということを追記しておこう。
そんな中でも一番大真面目なのが、刺客として現れたまーちゃんだ。
朝にも蜜愛を連れ去ろうとしていたが、今回はどんな作戦に打って出るつもりなのか。
よもや朝に引き続いて、またしても考えなく突撃してきただけということは、いくらおバカっぽいまーちゃんではあっても、さすがにありえまい。
それが証拠に、まーちゃんの手にはムチのような武器らしきものが握られている。
いや、だがそれは、およそ武器とは呼べないシロモノだった。
「なんで、なわとび?」
蜜愛の言葉どおり、まーちゃんの手に握られていたのは、ビニール製の安っぽいなわとびだった。
それも、二本。
「そんなの、決まってるのだ!」
勢いよく、まーちゃんは二本のなわとびを投げた。
片方は蜜愛へ、もう片方はゆゆへと向かう。
空中で解けたなわとびは、不規則な回転を伴って飛んでいく。
そのままそれぞれのなわとびは、しっかりとふたりの体に絡みついていった。
「きゃっ! なによ、これ!?」
「なにって、なわとび以外のなにものでもないけど! でも、あうっ……!」
足首辺りから絡まり始めたなわとびは、太もも、おなか、胸へと上昇し、肩の辺りにまで見事に巻きついた。
ここまで長いなわとびだったとは。
そんな驚きもあるにはあるが、今はそれどころではない。
「あっ!」
「きゃうっ!」
ふたりとも、足首も絡め取られている状態。
当然ながら上手くバランスが取れなくなり、その場に倒れ込んでしまった。
さらには、体操着の上から絡まっているなわとびが、全身をきつく締めつける。
「んぐぐ……胸が、苦しい……!」
「私は意外と、胸は平気かも……って、小さいからじゃないよ!? きっと偶然私のほうだけ絡まり方が緩いだけだよ!?」
蜜愛はなんやかやと必死に言い訳をしていたが、それはともかく。
完全に動けなくなってしまったふたりに、まーちゃんがじりじりと近寄っていく。
なお、ゆっくりとにじり寄ってくる理由は、まーちゃんがなぜかリヤカーを引っ張っていることに起因している。
「ふっふっふ! そうやって、動けなくなった、貧乳を、このリヤカーに、乗せて、運ぶのだ! 我ながら、ナイスアイディア、なのだ! 入念な、下調べの、賜物なのだ!」
まーちゃんは、したり顔で笑い声を飛ばす。
意外にリヤカーが重くて引っ張るだけで顔が真っ赤になり、言葉は途切れ、汗もだらだらと流れているとか、ツッコミを入れたいところではある。
それに、リヤカーはあらかじめ民家の脇に置いておき、ふたりが通りかかるのを待っていたようなのだが。
もしふたり以外に別の生徒たちも一緒に走っていたらどうするつもりだったのか。
リヤカーが住民に見つかって動かされたりしていたらどうするつもりだったのか。
朝の状況を思い出すに、蜜愛が重くて押し潰されるくらいなら、そもそもリヤカーに乗せること自体が重労働になるのではないか。
仮にリヤカーに乗せることができたとしても、どこまで運ぶつもりかは知らないが、重い蜜愛を乗せた時点でまーちゃんの力ではまともに動かせなくなるのではないか。
なんというか、ツッコミどころ満載と言える。
だが、まーちゃんは余裕しゃくしゃくの表情。
「デスティニーダイアリーはアタイがいただく! 貧乳、お前のブログは危険なのだ!」
リヤカーをえっちらおっちらと引っ張りながらも、冥土の土産とばかりに語り続ける。
宇宙人たちがいるときにも捨てゼリフとして口走っていた、デスティニーダイアリー。
直訳すれば、運命の日記。
蜜愛のブログと関係がありそうではあるが、はたしてなにを意味しているのか。
その答えに至るまで冥土の土産を聞き続けることは、残念ながらできなかった。
「そこまでですわ!」
「どっせい!」
「ごめんね、邪魔させてもらうよ」
宇宙人三人組が、唐突に現れたからだ。
もちろん、ワープしてきた、といったことはない。
おそらくは、気づかれないように静かに近づいてきていただけなのだろう。
そして一気に間合いを詰めた。
というよりも、飛び込んだ。
いや、むしろ飛び乗った。
そう、飛び乗ったのだ。
まーちゃんが引っ張るリヤカーの上に。
しかも、三人同時に!
「ぐあっ!?」
三人が乗った場所は、リヤカーの後ろ側の端っこ。
リヤカーは一対のタイヤによってバランスが取られているのだから、そんな場所に三人分もの重さが加わればどうなるか。
当然ながら、後ろ側が下がる。反対に、前側は跳ね上がる。
それがごく短い時間で起こったのであれば、言うまでもなくかなりのパワーが生じることになる。
リヤカーを引っ張っていたまーちゃんは、小学生としか思えない小さな体をしている。
強大なパワーをまともに受ければ、思いっきり吹き飛んでしまうのも当たり前の結果だった。
「うぎゃあああああああっ!?」
なにが起こったのか、まーちゃんにはわからなかったに違いない。
わけがわからなくとも、作戦が失敗したことだけは感知したようだ。
「お……覚えてろ~~~~~~~っ!」
完全に悪役丸出しの捨てゼリフを残し、まーちゃんの体は畑の彼方へと消えていった。
いくらなんでも、飛びすぎだ……。
リヤカーのパワーを逆に利用し、途中から自ら宙を飛んで逃げたとか、そういった感じだったのだと考えておくべきか。
とにかく、危機は脱した。
なわとびが深く絡みつき、身動きの取れない状態となっていた蜜愛とゆゆを、宇宙人たち三人が助ける。
「ありがとうございました!」
「もう、なんだったのよ、あれは!」
助けてもらって素直に感謝の意を向ける蜜愛とは対照的に、ゆゆは怒り心頭といった様子だった。
「ごめんね、僕たちのせいで巻き込んでしまって……」
謝罪の意思を口にする沙羅双樹。
その横には、獅子春人と瑠璃月も神妙な面持ちで並んでいる。
まーちゃんはもともと、この宇宙人三人を狙っていた。
デスティニーダイアリーとやらのことを考慮すれば、蜜愛本人にも少なからず関わりがあるようだが……。
それでも、まーちゃんが蜜愛を狙っているのは、三人を倒すという最終目的を達成するエサにするためだと、沙羅双樹たちは考えている。
だからこそ、巻き込んでしまったと表現しているのだ。
「いえ、そんなこと……」
蜜愛は宇宙人たちを――沙羅双樹たちを信頼している。
沙羅双樹たちのせいだなんて、ましてや巻き込まれただなんて、思ってなどいない。
しかし……。
「ほんとよ! あんたたちがいるから、あたしやミッツがこんな目に遭うんだ!」
「ゆゆちー!?」
半狂乱になるゆゆの勢いに、蜜愛ですら名前を呼びかける以外になにもできない。
宇宙人たち三人は沈黙を保ったまま大きく頭を下げると、その場から去っていった。




