『お姉様、それちょうだい!』→『絶対に嫌よ!』
アーデルハイト侯爵家には、二人の令嬢がいる。
姉、クラリッサ・アーデルハイト。十八歳。
燃えるような赤毛に琥珀色の瞳を持つ、美しい侯爵令嬢である。
黙って座っていれば気品にあふれ、微笑めば花も恥じらう麗しき淑女。
王都の社交界でも評判は上々。
ただし。
あくまで、黙っていればの話である。
「誰があんたにあげるかあああああああああっ!!」
本日も侯爵邸に、クラリッサの怒声が響き渡った。
「いいじゃない! 一個! 一個でいいから!」
「嫌!」
「十二個も入ってるのよ!?」
「十二個全部私の!」
「一個くらい妹に分けてくれてもいいじゃない!」
「嫌!」
「ケチ!」
「強盗!」
クラリッサが抱えているのは、王都で人気の菓子店の焼き菓子。
そして箱の反対側を両手でつかみ、全力で引っ張っている金髪の少女こそ。
妹、ミレーユ・アーデルハイト。十六歳である。
ふわふわした金髪。
澄んだ青い瞳。
天使のように愛らしい顔立ち。
外見だけなら、である。
「お姉様ぁぁぁぁ!」
「離しなさい!」
「一個!」
「嫌!」
「半分!」
「嫌!」
「ひとかけら!」
「嫌!」
「じゃあ箱の底に落ちてる粉!」
「そこまで!?」
「お願い! 粉だけでいいから!」
潤んだ瞳で訴える妹。
クラリッサの眉がぴくりと動く。
「……仕方ないわね」
「お姉様!」
ミレーユの顔が輝いた。
「そこまで言うなら……」
「うん!」
「あなたの目の前で全部食べてあげる」
「悪魔ぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
ぱくっ。
「ああっ!」
「んー! 美味しい!」
「ああああああ!」
「外はサクサク、中はしっとり!」
「感想まで言わないでぇぇぇ!」
「バターの香りも素晴らしいわ!」
「鬼! 悪魔! 人でなし!」
「人の菓子を強奪しようとした女に言われたくないわよ!」
その光景を、執事長と侍女長が遠巻きに眺めていた。
「本日は焼き菓子ですか」
「はい」
「昨日は?」
「帽子です」
「一昨日は?」
「髪飾りです」
「その前は?」
「クッションです」
「なるほど」
二人は頷いた。
誰も止めない。
これがアーデルハイト侯爵家の日常だからである。
◇
すべての始まりは十年前。
クラリッサ八歳、ミレーユ六歳の頃だった。
その日、クラリッサは父から美しい人形を贈られた。
「ありがとうございます、お父様!」
赤いドレスを着た、王都の有名職人による一点物。
幼いクラリッサは大喜びした。
その隣で。
ミレーユが見ていた。
じーっ。
じいいいいいいっ。
「……なによ」
「お姉様」
「なに?」
「それ、ちょうだい!」
「嫌よ」
「…………」
「…………」
「え?」
ミレーユが目を丸くした。
人生で初めて「嫌」と言われた人間の顔だった。
「どうして?」
「私がもらったから」
「でも私が欲しいのよ?」
「だから?」
「…………え?」
幼いミレーユは混乱した。
それまで彼女が「欲しい」と言えば、大抵のものは手に入った。
父も母も、使用人たちも、可愛い末娘には甘かったからだ。
しかし姉だけは違った。
「ちょうだい」
「嫌」
「ちょうだい!」
「嫌!」
「ちょうだいってば!」
「絶対嫌!」
「うわああああああん!!」
ミレーユは床に座り込んだ。
「欲しい欲しい欲しいぃぃぃぃ!」
「知らないわよ!」
騒ぎを聞いた母がやってくる。
「どうしたの?」
「お姉様が人形くれないぃぃぃ!」
「クラリッサ。あなたはお姉さんなのだから、少しくらい譲ってあげても……」
「嫌です」
「でも」
「これはお父様が私にくださったものです!」
クラリッサは人形を抱き締めた。
「私のものです! 絶っっっ対にあげません!」
「お姉様のケチぃぃぃぃ!」
「なんとでも言いなさい!」
この日。
アーデルハイト侯爵家における、十年にも及ぶ姉妹戦争が始まった。
◇
ミレーユは欲しがった。
とにかく欲しがった。
「お姉様! そのリボン可愛い!」
「でしょう?」
「ちょうだい!」
「嫌!」
「その靴も可愛い!」
「でしょうね!」
「ちょうだい!」
「嫌!」
「そのネックレス素敵!」
「知ってる!」
「ちょうだい!」
「絶対嫌!」
「そのクッションふかふか!」
「そうよ!」
「ちょうだい!」
「自分で買いなさい!」
「お姉様のがいいの!」
「知るか!」
普通なら姉が根負けするところだ。
だがクラリッサは違う。
妹が泣こうが。
床を転がろうが。
頬を膨らませようが。
父を連れてこようが。
母を連れてこようが。
「嫌!」
これで終わる。
対するミレーユも諦めない。
「じゃあ半分!」
「リボンをどう半分にするのよ!」
「縦に!」
「使えないでしょうが!」
「じゃあ横!」
「もっと使えないわよ!」
「私、右半分でいいから!」
「私が左半分だけ頭につけて夜会に行くの!?」
「うん!」
「嫌に決まってるでしょうが!!」
「なんでよぉぉぉ!」
「なんで分からないのよぉぉぉ!」
こうして十年。
二人は立派な侯爵令嬢へと成長した。
ただし。
姉は絶対に渡さない。
妹は絶対に欲しがる。
そこだけは、一ミリたりとも成長しなかった。
◇
ある日。
クラリッサのもとへ、一着のドレスが届いた。
深い紅色の生地。
胸元には黒いレース。
腰から裾にかけて、金糸で薔薇が刺繍されている。
「素敵……!」
来月の王宮舞踏会のため、半年かけて仕立てた特注品だった。
「お嬢様によくお似合いです」
「でしょう?」
クラリッサは鏡の前で一回転した。
ふわりとスカートが広がる。
「完璧ね!」
バンッ!!
扉が開いた。
「お姉様ぁぁぁぁ!」
「嫌よ!」
「まだ何も言ってない!」
「その顔で分かる!」
ミレーユが駆け込んできた。
そして。
ドレスを見た。
「…………」
「…………」
「…………欲しい」
「嫌」
「まだ『ちょうだい』って言ってない!」
「言うでしょうが!」
「言うけど!」
「ほら!」
ミレーユが姉の周囲をぐるぐる回る。
「可愛い!」
「でしょう?」
「綺麗!」
「でしょうね!」
「私にも似合う!」
「それは知らない!」
「ちょうだい!」
「嫌!」
「なんで!?」
「半年かけて作った私のドレスだからよ!」
「試着だけ!」
「嫌!」
「触るだけ!」
「嫌!」
「頬ずり!」
「気持ち悪い!」
「匂いだけ!」
「犬なの!?」
クラリッサはスカートを押さえて後退する。
ミレーユは追う。
「ねえ!」
「嫌!」
「お願い!」
「嫌!」
「お姉様!」
「嫌!」
「クラリッサお姉様!」
「名前をつけても嫌!」
「世界で一番美しくて優しくて素敵なお姉様!」
「褒めても嫌!」
「この家の次期当主にふさわしい聡明で慈悲深いお姉様!」
「盛っても嫌!」
「お願いぃぃぃ!」
「嫌ぁぁぁ!」
ミレーユが床に崩れ落ちる。
「欲しいぃぃぃぃ!」
「自分のドレスがあるでしょう!」
「水色の!?」
「そうよ!」
「飽きた!」
「まだ一回も着てないでしょうが!」
「見てたら飽きた!」
「服に謝れ!!」
◇
そして王宮舞踏会当日。
例の紅いドレスを着たクラリッサは、当然ながら注目を集めた。
「まあ、素敵」
「アーデルハイト侯爵令嬢よ」
「美しいドレスね」
周囲から聞こえる声に、クラリッサは満足そうに微笑む。
その横では。
「ぐぬぬぬぬぬ……!」
ミレーユが震えていた。
「令嬢が『ぐぬぬ』って言うんじゃないわよ」
「みんなお姉様ばっかり褒める!」
「私のドレスなんだから仕方ないでしょう」
「私だって可愛いのに!」
「誰も可愛くないなんて言ってないでしょうが」
「じゃあもっと褒めて!」
「自分から要求するものじゃないわよ!」
そこへ一人の青年が近づいてきた。
「クラリッサ」
「アルベルト様」
金髪に緑色の瞳を持つ、アルベルト・ローゼンベルク公爵令息。
クラリッサの婚約者である。
「そのドレス、とても似合っているよ」
「ありがとうございます」
「半年かけて作っていたものだね?」
「覚えていてくださったのですか?」
「もちろん」
「ふふっ」
クラリッサが嬉しそうに笑う。
その横で。
「…………」
ミレーユがアルベルトを見た。
姉を見る。
アルベルトを見る。
姉を見る。
「…………」
そして。
「お姉様」
「なによ」
「アルベルト様、ちょうだい」
「……………………」
沈黙。
父が飲んでいた葡萄酒を噴き出した。
「ぶっ!!」
アルベルトが固まる。
クラリッサのこめかみに青筋が浮いた。
「……今、なんて?」
「アルベルト様、ちょうだい」
「…………」
「だって格好いいし」
「…………」
「優しいし」
「…………」
「公爵家だし」
「最後の理由が最悪ね!?」
「いいじゃない!」
「よくないわよ!」
「ドレスもくれない! 焼き菓子もくれない! リボンもくれない! だったら婚約者くらいちょうだい!」
「『だったら』の使い方がおかしいでしょうが!!」
王宮中に響いた。
アルベルトが困惑しながら口を開く。
「ミレーユ嬢」
「はい!」
「私は物ではないのだが……」
「大丈夫です!」
「何が!?」
「ちゃんとご飯もあげます!」
「ペットでもない!」
クラリッサが妹の頭をむんずとつかんだ。
「ちょっと来なさい」
「痛い痛い痛い!」
「アルベルト様。少々失礼します」
「あ、ああ……」
「お姉様! 髪! 髪が抜ける!」
「ちょうどいいわ! 頭を冷やしなさい!」
「私の頭は冷えてる!」
「沸騰してるわよ!!」
◇
控室。
「人間を『ちょうだい』は駄目!」
「なんで?」
「人には意思があるからよ!」
「じゃあアルベルト様が『いいよ』って言ったら?」
「駄目!」
「なんで!?」
「私の婚約者だから!」
「でもアルベルト様にも意思があるんでしょう!?」
「ぐっ……!」
クラリッサが詰まる。
ミレーユが勝ち誇った。
「ほら!」
「屁理屈を!」
「正論ですぅー!」
「腹立つぅぅぅ!」
クラリッサは深呼吸する。
「とにかく、アルベルト様は駄目」
「ケチ」
「ケチで結構」
「独占欲の塊」
「婚約者を独占して何が悪い!」
「私にも愛を分けて!」
「自分で相手を探しなさい!」
「面倒!」
「そこを面倒くさがるな!!」
控室の外では。
父とアルベルトが立っていた。
二人とも入るタイミングを失っている。
「……侯爵」
「何も言うな」
「はい」
「何も聞かなかったことにしてくれ」
「努力します」
◇
さすがのクラリッサも考えた。
このままではまずい。
妹の欲しがり癖は年々ひどくなっている。
物だけならまだしも、ついに人間まで欲しがり始めた。
「欲しがれないくらい、たくさん持たせればいいのよ」
翌朝。
クラリッサは妹の部屋を訪れた。
「ミレーユ」
「なあに?」
「プレゼントよ」
「えっ!?」
ミレーユが飛び起きる。
「お姉様が!?」
「そうよ」
「私に!?」
「そう」
「自分から!?」
「そうよ!」
「熱ある!?」
「ないわよ!」
クラリッサが箱を置く。
「開けなさい」
「うん!」
ぱかっ。
中には可愛らしいリボン。
「わあ!」
「気に入った?」
「うん!」
「あなたにあげるわ」
「やったああああ!」
ミレーユが飛び跳ねる。
クラリッサは満足そうに頷いた。
翌日。
「新しい帽子よ」
「わあ!」
翌々日。
「靴」
「可愛い!」
三日後。
「ネックレス」
「お姉様大好き!」
四日後。
「焼き菓子」
「愛してる!」
五日後。
「新しいドレス」
「一生ついていく!」
クラリッサは確信した。
「勝ったわ」
妹の欲しがり癖を克服した。
そう思った。
翌朝。
クラリッサは新しい髪飾りをつけて食堂へ向かった。
ミレーユがそれを見る。
「…………」
じーっ。
「…………」
じいいいいいいっ。
クラリッサの頬が引きつる。
「……なによ」
「その髪飾り」
「…………」
「可愛いね」
「…………」
「ちょうだい!」
「なんでよおおおおおおお!!」
クラリッサの絶叫が屋敷を揺らした。
「昨日ネックレスあげたでしょう!」
「それはそれ!」
「一昨日ドレスあげた!」
「それはそれ!」
「帽子も靴もお菓子も!」
「全部ありがとう!」
「じゃあ満足しなさいよ!」
「満足してるよ!」
「してないでしょう!」
「満足してるけど、それも欲しい!」
「底なし沼かあんたは!」
「だって可愛いんだもん!」
「同じもの買ってあげる!」
「嫌!」
「なんで!?」
「お姉様のがいい!」
「同じでしょうが!」
「違う!」
「何が!?」
「お姉様が持ってる!」
「だから!?」
「それがいい!」
「…………」
クラリッサは黙った。
そして。
理解した。
「……そういうこと」
「何が?」
「あんた、物が欲しいんじゃないのね」
「?」
「私が持ってるものが欲しいのよ」
ミレーユが考える。
「…………そうかも!」
「そこは否定しなさいよ!」
クラリッサは頭を抱えた。
だが。
やがて。
ゆっくりと顔を上げる。
「なるほどね……」
「お姉様?」
「分かったわ」
「何が?」
クラリッサは髪飾りを外し、妹の目の前でひらひらさせた。
「欲しい?」
「うん!」
「絶対あげない」
「なんでぇぇぇぇ!?」
「だって」
クラリッサはニヤリと笑った。
「あんたが悔しがるの、面白いんだもの」
「最低!!」
◇
その日から。
戦況が変わった。
「ミレーユ」
「何?」
「見なさい。新しいバッグ」
「可愛い!」
「でしょう?」
「ちょうだい!」
「嫌!」
「うわあああ!」
翌日。
「新しい靴」
「欲しい!」
「嫌!」
「鬼!」
翌々日。
「王都限定のチョコレート」
「食べたい!」
「嫌!」
「悪魔!」
三日後。
「宝石入りの髪飾り」
「欲しいぃぃぃ!」
「嫌ぁぁぁ!」
四日後。
「新しい香水」
「見せないで!」
「ほら」
「いい匂いぃぃぃ!」
「でしょう?」
「ちょうだい!」
「嫌!」
「なんで見せるのぉぉぉぉ!」
「楽しいからよ!」
「性格悪い!」
「あんたに言われたくない!」
今やクラリッサは積極的に妹へ新しいものを見せる。
妹が欲しがる。
断る。
妹が悔しがる。
姉が喜ぶ。
完全に遊ばれていた。
◇
それから半年。
ついにクラリッサとアルベルトの結婚式当日を迎えた。
王都の大聖堂。
純白のウェディングドレスをまとったクラリッサを見て、ミレーユは珍しく言葉を失った。
「…………」
「何よ」
「お姉様」
「なに?」
「綺麗」
「……ありがとう」
「すっごく綺麗」
「ありがとう」
クラリッサは少し照れた。
「お姉様」
「何?」
「幸せ?」
クラリッサは一瞬驚き。
そして微笑んだ。
「ええ」
「そっか」
ミレーユも笑う。
「よかった」
「…………」
「何?」
「気持ち悪い」
「なんで!?」
「あなたが普通の妹みたいなこと言うから」
「私は普通の妹よ!」
「どこがよ!」
「可愛くて!」
「自分で言うな」
「素直で!」
「嘘つけ」
「姉思い!」
「どの口が言う!」
「ちょっと欲しがりなだけ!」
「『ちょっと』!?」
二人は睨み合う。
やがて。
同時に笑った。
「まったく……」
「えへへ」
クラリッサは妹の額を軽く小突く。
「あなたも幸せになりなさい」
「うん」
「人のものばかり欲しがらない」
「うん」
「自分のものを大切にするのよ」
「うん」
「分かった?」
「分かった!」
クラリッサは満足した。
ようやく。
妹も成長したのだ。
「お姉様」
「何?」
「最後に一個だけお願いしていい?」
「何よ」
「ウェディングドレスちょうだい」
「全然成長してないじゃない!!」
「式が終わったらいいでしょう!?」
「嫌!」
「もう着ないでしょう!?」
「思い出なの!」
「じゃあ貸して!」
「嫌!」
「一日!」
「嫌!」
「一時間!」
「嫌!」
「三分!」
「嫌!」
「写真だけ!」
「自分の結婚式で着なさい!」
「同じのがいい!」
「作ってもらいなさい!」
「お姉様のがいい!」
「出たわねそれ!」
「お願い!」
「嫌!」
扉の外から声がした。
「クラリッサ様。そろそろお時間です」
「分かったわ!」
クラリッサが立ち上がる。
「じゃあ行ってくるわ」
「お姉様」
「何?」
「……おめでとう」
クラリッサが止まった。
振り返る。
妹が笑っていた。
今度こそ。
何の裏もない笑顔だった。
「ありがとう」
クラリッサも笑った。
◇
結婚式は滞りなく進んだ。
アルベルトとクラリッサは誓いを交わし、指輪を交換する。
大勢の人々から祝福を受けた。
ミレーユも笑顔で拍手する。
姉は姉。
自分は自分。
姉のものを欲しがる必要なんてない。
いつか自分にも、自分だけの幸せが見つかるだろう。
十六歳にして。
ミレーユはついに、大切なことを理解したのである。
そして披露宴。
「ところで」
アルベルトが立ち上がった。
「クラリッサに、もう一つ贈り物があるんだ」
「私に?」
「ああ」
使用人が大きな箱を運んでくる。
アルベルトが開けた。
「まあ……!」
中には。
美しいティアラ。
ダイヤモンド。
ルビー。
繊細な金細工。
王都最高峰の職人が一年かけて作った、世界に一つだけの品。
「結婚祝いだよ」
「アルベルト様……!」
「君に似合うと思って」
「嬉しい……!」
アルベルトがクラリッサの頭へティアラを載せる。
会場から歓声が上がった。
「綺麗!」
「素敵!」
「クラリッサ様にぴったりだわ!」
拍手。
喝采。
祝福。
その中で。
「…………」
一人。
ミレーユだけが固まっていた。
「…………」
瞳はティアラに釘付け。
「…………」
クラリッサが気づく。
姉妹の視線が合った。
「…………」
「…………」
クラリッサの顔から笑みが消えた。
「ミレーユ」
「お姉様」
「駄目よ」
「まだ何も言ってない!」
「その目で分かる!」
「でも!」
「駄目!」
「まだお願いしてない!」
「お願いするな!」
ミレーユが震える。
「お姉様……」
「嫌よ」
「私、今日分かったの」
「何を?」
「自分のものを大切にする」
「ええ」
「人のものを欲しがらない」
「そうね」
「自分だけの幸せを見つける」
「そうよ」
「そう決めた」
「偉いわ」
「でも」
「…………」
「あれは別」
「別じゃないわよ!!」
ミレーユが立ち上がった。
「お姉様!」
「嫌!」
「ティアラ!」
「嫌!」
「まだ『ちょうだい』って言ってない!」
「言うでしょうが!」
「ちょうだい!」
「ほらあああああ!!」
「一回かぶるだけ!」
「嫌!」
「三秒!」
「嫌!」
「一秒!」
「嫌!」
「〇・一秒!」
「無理でしょうが!」
「触るだけ!」
「嫌!」
「近くで見るだけ!」
「そこから見なさい!」
「頭の上を通過させるだけ!」
「何の意味があるのよ!!」
父が顔を覆った。
「また始まった……」
母は優雅に紅茶を飲んでいる。
「平常運転ね」
アルベルトは苦笑していた。
「変わらないなあ」
ミレーユは両手を握り締める。
「お願い!」
「嫌!」
「一生のお願い!」
「昨日も聞いた!」
「昨日とは違う一生!」
「何回生きる気よ!」
「お姉様ぁぁぁぁ!」
「嫌よ!」
「世界で一番美しくて優しくて素敵なお姉様!」
「褒めても嫌!」
「次期侯爵にふさわしい聡明なお姉様!」
「盛っても嫌!」
「私が一生大切にするから!」
「私も一生大切にするわよ!」
「じゃあ二人で!」
「嫌!」
「月水金は私!」
「曜日制にするな!」
「火木土がお姉様!」
「日曜は!?」
「お父様!」
「いらん!」
「ほら、余った!」
「余ってないわよ!」
「じゃあ半分!」
「ティアラを半分にするな!」
「右半分でいい!」
「十年前から何も成長してないじゃない!」
「じゃあ左!」
「そういう問題じゃなああああい!!」
ミレーユはついに床へ膝をついた。
両手を天へ。
「神様ぁぁぁぁぁぁぁ!!」
「神に頼るな!」
「私、今までいい子にしてきましたぁぁぁ!」
「どの口が言う!」
「お姉様のリボンを盗んだことありません!」
「取ろうとして捕まっただけでしょう!」
「お菓子も盗んでません!」
「鍵かけてたからでしょう!」
「婚約者も奪ってません!」
「人として最低限よ!」
「だから!」
ミレーユは大きく息を吸った。
そして。
「ティアラちょうだあああああああああああああああああああい!!!!」
「絶っっっっっ対に嫌ああああああああああああああああああ!!!!」
「一回だけぇぇぇぇぇ!」
「嫌ぁぁぁぁぁ!」
「三秒ぉぉぉぉぉ!」
「嫌ぁぁぁぁぁ!」
「一秒ぉぉぉぉぉ!」
「嫌ぁぁぁぁぁ!」
「〇・一秒ぉぉぉぉぉ!」
「しつこおおおおおおおい!!」
「ケチいいいいいいいいいいいい!!」
「強盗おおおおおおおおおおお!!」
「お姉様のばかあああああああ!」
「ばかはあんたよおおおおおお!」
「ちょうだい!」
「嫌!」
「ちょうだい!」
「嫌!」
「ちょうだいちょうだいちょうだいちょうだいちょうだい!」
「嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌!」
「お姉様ぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
「何よぉぉぉぉぉぉぉ!」
「ちょうだいよおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」
「絶対に渡さないって言ってるでしょうがああああああああああああああ!!!!」
その日。
王都では、一つの噂が広まった。
アーデルハイト侯爵家の姉妹は、大変仲がよろしいらしい、と。
なぜそうなったのか。
当人たちにも分からない。
ただ一つだけ確かなことがある。
十年前。
一体の人形から始まった姉妹の戦いは。
姉が折れるか。
妹が諦めるまで続く。
そして、その二つだけは。
たぶん。
一生起こらない。
――おしまい。




