潮風の港町と、海の幸のパイ
地下図書館での激闘を終え、大魔法使いマリアの温かな見送りとたくさんの旅の果物を胸に旅立った三人は、南へと伸びる街道を数日かけて下っていた。
険しい岩峰や深い森を抜けた先に広がるのは、どこまでも青く澄み渡る大海原と、潮の香りを優しく運ぶ心地よい風。
辿り着いたのは、白い石壁と蒼い瓦屋根が海沿いに連なる美しい港町――カイロス。
「海だー! 蓮、見て! 水がずーっと向こうまで続いているわ!」
馬車が丘の上の開けた場所に出た瞬間、シルフィが幼子のように目を輝かせて御者台で歓声を上げた。
「大げさだな、シルフィ。エルフの森にも大きな湖くらいあったろ?」
「全然違うわよ! 湖には波なんてないし、こんな風に潮の匂いもしないわ。……それに私、海に来たのなんて150年ぶりくらいなんだから!」
「150年ぶりってスケールがデカすぎてピンとこねぇよ……」
手綱を引く蓮が苦笑いしていると、後ろの荷台からルチアが鼻をひくひくさせながら這い出てきた。
「む……むむむっ!? この匂いは……! 魚を炭火で焼き上げた芳醇な香りと、甘辛いタレの匂い……! 下僕、この街の食べ物はただものではないぞ!」
「お前は海より先に飯の匂いを察知するなよ……」
馬車を港の停留所に預け、活気に溢れる魚市場へと足を踏み入れると、獲れたての魚介類を並べた威勢の良い店主たちの声が響き渡っていた。
色鮮やかな海藻、拳ほどもある大きな貝、そして銀色に輝く巨大な魚たち。
「いらっしゃい! 兄ちゃんたち、旅の人かい? 今朝揚がったばかりのサーモンと海老の焼きたてパイを食べていきな!」
活気あふれる屋台のおじさんが、香ばしい焼き色のついた熱々のパイを見せてくれた。
サクサクの生地の間から、濃厚なホワイトソースと大きめの海鮮がのぞいている。
「「……ッ!!」」
シルフィとルチアの足が同時に止まった。
「……蓮。私、悟ったわ。このパイを食べなければ、私の精霊回路が停止してしまう」
「我もだ……! あの香ばしい海老の香りに抗うなど、人間には到底不可能な業だ!」
「お前たち、毎回買い食いする時の言い訳が重すぎるんだよなぁ」
蓮は降参したように溜め息をつきつつも、財布からコインを取り出した。
「おっちゃん、パイ三つくれ」
「はいよ! 毎度あり!」
港の埠頭に並んで腰掛け、波の音を聴きながら熱々のパイを一口頬張る。
とろりとした濃厚なソースと共に、新鮮な海老のプリッとした食感とサーモンの旨味が口いっぱいに広がっていく。
「~~~~~っ!! 美味しい!! 魚介の旨味がソースと溶け合って、お口の中が海の王国よ!」
シルフィが幸せそうに長い耳をパタパタと揺らし、ルチアも口元にソースを付けながら猛烈な勢いで噛み締めていた。
「美味い……! 肉も良いが、海の獲物というのも乙なものだな……!」
「火傷するからゆっくり食えって。……ん、でもマジで美味いなこれ」
蓮も笑いながらパイを一口頬張る。
地下の薄暗く冷たい空気から抜け出し、青い海と青い空の下で仲間と食べる温かいご飯。
それだけで、旅の疲れも一瞬で吹き飛んでいくようだった。
「ねえ、蓮」
シルフィがパイを一口残し、海を見つめながらぽつりと呟いた。
「ん?」
「150年前に海に来た時はね、一人だったの。広い海を見て『綺麗な世界だな』とは思っても、どこか寂しくて、すぐに森へ帰ってしまったわ」
シルフィは柔らかく目を細め、隣に座る蓮とルチアを愛おしそうに見つめた。
「でも今日は……すごく楽しい。海がこんなに綺麗で、ご飯がこんなに美味しいのは、あなたたちが隣にいてくれるからね」
「……何言ってんだよ、急に照れるだろ」
蓮が少し顔を赤くして目を逸らすと、ルチアがパイを飲み込んで誇らしげに胸を張った。
「当然だ! 我という最高の英雄が同行しているのだからな! 感謝するが良い、エルフ!」
「はいはい、英雄さんは口元のホワイトソースを拭いてから威張りなさいね」
シルフィが優しく手拭いでルチアの口元を拭いてあげると、ルチアは「むぐぐ……自分で拭ける!」と赤くなって暴れた。
波が静かに打ち寄せる港町。
温かな陽射しと心地よい潮風の中で、三人の笑い声が優しく響いていた。
だが、そんな穏やかな午後の陽だまりの影で、港に停泊していた巨大な黒い貿易船のデッキから、静かに三人を見下ろす怪しい影があった。
その影の手首には、海の渦を模した青い晶石――新たな神造遺物が怪しく光を放っている。
「……見つけたぞ、落ちこぼれのエルフと、我が組織の裏切り者」
冷ややかな声が潮風に紛れて消えていく。
新たな波乱の気配をまだ知る由もない三人は、二個目のパイをおねだりするルチアを挟んで、今日もくだらなく、けれど温かな「日常」を笑い合っていた。
12の秘宝を集める旅は、青い海を越えて新たな章へと進んでいくのだった。




