きれいに二羽
緑ランクになって最初の朝、杏々が冒険者ギルドへ持っていったのは、昨日選んだ岩鳥の依頼だった。
依頼書そのものは受付に預けてあるので、正確には「これを受ける」と言いに来ただけなのだが、杏々の中ではもう昨日から今日の仕事として決まっている。
「岩鳥」
「おはようございます、杏々さん」
「おはよう。岩鳥」
「分かってますから、二回言わなくても大丈夫です」
受付嬢は苦笑しながら昨日の依頼書を取り出した。
「昨日も説明しましたが、もう一度条件を確認しますね」
「うん」
「目的は食堂へ納品する岩鳥の成鳥二羽。場所は王都北東の丘陵地です。繁殖地に入りますので、巣と雛を傷つけないこと。必要以上に群れを追い回さないこと。それから食材用なので、肉の状態が悪ければ買い取り額が下がります」
「二羽だけ」
「はい」
「巣と雛だめ」
「はい」
「他のも追わない」
「その通りです」
「肉きれいにする」
「そこは『可能な範囲で』ですよ?」
杏々が受付嬢を見る。
「きれいな方がいいんでしょ?」
「もちろんそうですが、討伐そのものを失敗してまで肉を守れという依頼ではありません」
「分かった」
返事は素直だった。
ただ、受付嬢には少し嫌な予感がした。
「杏々さん」
「何?」
「変なこと考えてませんよね?」
「考えてない」
「本当に?」
「どうやったら美味しく残るかだけ」
「それを変なことと言ってるんです」
「仕事の条件なのに」
「条件ではありますけど……」
受付嬢はそれ以上言うのをやめた。
少なくとも、依頼内容を無視しているわけではない。
むしろ今回は、必要以上に守ろうとしているだけだ。
「それと、昨日話していた食堂にも確認を取ってあります」
杏々の目が少し開いた。
「聞いた?」
「聞きましたよ。どこを傷つけると困るのか、って」
「何て?」
「できれば胸と腿、それから腹側は傷を少なくしてほしいそうです。皮も料理に使うので、広く裂けていない方がありがたいとのことでした」
「首は?」
「首は多少傷があっても構わないそうです」
「翼」
「翼も肉を取るそうですが、胴より優先度は低いですね。ただし骨が大きく砕けると処理しにくいそうです」
杏々は少し考えた。
「分かった」
「今度は何を考えました?」
「首ならいい」
「……はい?」
「そこなら肉いっぱい残る」
受付嬢は数秒黙った。
「できる範囲でお願いしますね」
「できる」
「そう言うと思いました」
依頼を正式に受け、杏々は必要な道具を確認した。
解体用の布。
血や汚れを拭くための水。
二羽を運ぶための縄。
食材用なので、倒した後の扱いも依頼の一部に近い。
杏々は自分の荷物に足りないものだけを足し、北門へ向かった。
緑ランク最初の仕事だったが、特別な試験も見送りもない。
昨日までと同じように門を出て、道を歩き、目的地へ向かう。
違うのは、少しだけ遠いことと、依頼書に書かれている条件が増えたことだった。
◆
岩鳥の繁殖地までは、王都から半日もかからなかった。
途中までは整った街道を使い、最後だけ丘陵地へ入る。
岩鳥は以前にも食べたことがある。
名前の通り、岩の多い場所を好む鳥型の魔物だ。飛べないわけではないが、長く空を飛ぶより地面や岩場を走る方が得意で、太い脚と硬い嘴を持っている。
食用として流通しているのも珍しくない。
ただし繁殖期の成鳥は気が荒く、巣へ近づけば複数で襲ってくる。そのため今回の依頼では、繁殖地そのものを荒らさず、外側へ出ている成鳥だけを狙うよう指定されていた。
杏々は丘へ入る前に、一度立ち止まった。
地図を見る。
長い説明文はまだ難しいが、簡単な地形図と印なら読める。
巣が多い場所。
入り口。
近づかない方がいい斜面。
依頼人が前回見た成鳥の群れ。
「こっち」
道を外れ、岩場の縁を歩く。
しばらくすると、遠くから低い鳴き声が聞こえた。
杏々はすぐに速度を落とした。
「いる」
姿を探す。
最初に見えたのは三羽。
岩の間を歩きながら地面をつついている。
少し離れた場所にも二羽いた。
さらに奥から小さな声が聞こえる。
雛だ。
杏々はそちらへ近づかなかった。
まず周囲を見る。
成鳥のうち一羽が、群れの外側へ離れていく。
もう一羽も少し距離を取っている。
「二羽」
条件には合っている。
ただ、すぐには動かなかった。
風向きを見る。
鳥の視線を見る。
巣の位置と、他の成鳥がどれくらい離れているかを見る。
岩鳥そのものを倒すだけなら難しくない。
問題は、二羽だけを仕留めて、残りを大きく騒がせないことだった。
緑ランクの依頼が赤までと違うという話を、杏々は少しだけ理解した。
「倒すだけじゃない」
それでも、やることは分かる。
外側へ出た一羽が、さらに群れから離れた。
杏々は地面へ低く身体を沈める。
小さい身体のまま、岩陰から岩陰へ移動した。
走らない。
大きく跳ばない。
姿を見せる時間を短くするだけだ。
岩鳥はまだ気づいていない。
距離が縮まる。
十歩ほど。
そこまで来たところで、岩鳥が顔を上げた。
杏々と目が合う。
「見つかった」
岩鳥が鋭く鳴いた。
だが、群れへ戻るのではなく、侵入者へ向かって首を伸ばした。
杏々の身体が小さいせいか、逃げる相手には見えなかったらしい。
太い脚が岩を蹴る。
大きな身体が一気に迫る。
杏々は真正面から待った。
嘴が振り下ろされる直前、半歩だけ外へずれる。
岩鳥の頭が横を通り過ぎる。
そのまま杏々は首元へ入り込み、片手で頭の向きを変えた。
もう一方の手は肩口。
前へ突っ込んでいた岩鳥は、急に首の向きを変えられて足の運びが崩れる。杏々はそこで脚の位置をずらし、相手の身体が倒れ始める方向をさらに土のある側へ寄せた。
そのまま放れば、大きな身体が岩へぶつかる。
それでは肉も骨も傷む。
杏々は岩鳥の肩口を押しながら自分も横へ回り、倒れる勢いを殺しすぎない程度に方向だけを変えた。
岩鳥の身体が土の上へ横倒しになる。
まだ終わってはいない。
杏々はすぐに首元へ回った。
狙う場所は、さっき受付で確認した通り。
胸も腿も腹も傷つけない。
皮もできるだけ残す。
必要なところへだけ、短く正確な一撃を入れる。
岩鳥の身体から力が抜けた。
「一羽」
杏々はすぐに胴体を見る。
胸。
腹。
腿。
大きな傷はない。皮も無事。
倒れた時に岩へ身体をぶつけてもいない。
「よし」
満足した。
そこでようやく、少し離れた成鳥たちが騒ぎ始めた。
一羽が倒れたことには気づいたらしい。
杏々はその場で追わなかった。
依頼は二羽だが、今無理に次へ行けば群れ全体が警戒する。
倒した一羽を岩陰へ移し、しばらく待つ。
鳥の声が落ち着くまで。
こちらへの意識が薄れるまで。
その間に一羽目の状態をもう一度確認した。
「胸きれい」
食堂へ持っていった時、どんな料理になるのかを考える。
昨日食べた腿は皮をぱりぱりに焼いた。
胸なら、少し厚く切って焼いてもいい。
煮てもいい。
それとも――
「仕事中」
自分で止めた。
二羽目がまだだった。
◆
二羽目は、一羽目より少し面倒だった。
外側にいた個体ではあるが、近くにもう一羽いる。
二羽とも成鳥で、どちらを選んでも依頼条件には合う。
ただ、片方へ仕掛ければ、もう片方も一緒に来る可能性が高い。
杏々はしばらく観察した。
二羽のうち一羽が地面をつつきながら、少しずつ斜面側へ移動している。
もう一羽はその場に残っている。
「待つ」
数分。
もう少し。
距離が開いた。
杏々は動いた。
今度は途中で気づかれた。
岩鳥が首を上げ、鳴く。
近くにいたもう一羽も反応した。
「二羽来る」
本来なら避けたい状況だった。
杏々は先に近い方を見る。
一羽目が突っ込んでくる。
後ろから、もう一羽。
杏々は最初の一羽をすぐには倒さなかった。
嘴を横へ避ける。
岩鳥が向きを変える。
杏々は少しだけ距離を取る。
鳥は追う。
後ろの一羽も追いついてくる。
二羽の間隔が狭くなる。
そのままなら同時に相手をすることになる。
杏々は岩場の形を見る。
右に大きな岩。
その横に、一羽なら通れる程度の狭い隙間。
「こっち」
杏々はそこへ向かって走った。
二羽が追う。
杏々自身は隙間へ入らず、その直前で横へ抜ける。
先頭の岩鳥はすぐには曲がれない。
岩の間へ身体を入れた。
後ろの一羽は前が詰まり、進路を塞がれる。
一瞬だけ二羽が分かれた。
「今」
杏々は先頭の一羽へ戻る。
だが、一羽目の時ほど勢いはついていない。
それなら、無理に小さな身体で押し倒す必要はない。
杏々は岩鳥の正面へわざと半歩入った。
嘴が来る。
避ける。
鳥がさらに一歩踏み込む。
もう一度誘う。
岩鳥の重心が前へ移った。
そこで杏々は身体の外側へ回り込み、首の向きを変えながら脚の運びを崩した。
前へ出た脚が次の一歩を置く前に、身体の向きだけがずれる。
岩鳥は自分の重さを支えきれず、横へ傾いた。
杏々は倒れる先を見る。
岩がある。
「そっちはだめ」
肩口へ手を添え、倒れる方向を土の方へ変える。
完全に止めるのではない。
自分の体重で支えるのでもない。
すでに崩れている大きな身体が、どちらへ落ちるかだけを変える。
岩鳥が土の上へ倒れた。
杏々はすぐに首元へ入り、一羽目と同じ場所へ正確な一撃を入れた。
身体から力が抜ける。
「二羽」
そこで、岩の向こうからもう一羽が出てきた。
依頼は終わっている。
倒す必要はない。
岩鳥が嘴を突き出す。
杏々は避ける。
もう一度来る。
今度は横へ回り込み、翼の外側へ手を当てて進路だけをずらした。
岩鳥は数歩よろめいた後、振り返る。
杏々も追わない。
「終わり」
しばらく睨み合ったあと、岩鳥は警戒するように鳴きながら群れの方へ戻っていった。
杏々はその背中を見送った。
以前なら「食べられるならもう一羽」と少しくらい考えたかもしれない。
今は依頼の数が二羽だと分かっている。
二羽なら二羽。
それでいい。
倒した二羽を並べ、状態を確認する。
一羽目とほとんど変わらない。
胴体には大きな傷がなく、脚も翼も目立って壊れていない。
首周りだけに必要な痕がある。
「きれい」
杏々は満足した。
それから、持ってきた布と縄を使って二羽をまとめる。
ここで少し困った。
「重い」
倒すのはできても、持ち帰るのは別だった。
二羽とも杏々の小さな身体よりずっと大きい。
一羽ずつならどうにか引ける。
二羽同時は面倒だ。
杏々はしばらく考えたあと、縄の掛け方を変えた。
二羽を横に並べるのではなく、少しずらして重ねる。
引く方向へ身体が滑るようにする。
岩場を抜けるまでは一羽ずつ。
平坦な道へ出てから二羽まとめる。
「これ」
討伐より、帰り道の方が時間がかかった。
中級依頼らしいのかどうかは、杏々には分からなかった。
◆
王都へ戻ったのは、昼をかなり過ぎた頃だった。
ギルドへ二羽を持ち込むと、受付嬢がまず杏々を見て、その後ろの岩鳥を見る。
「……二羽ですね」
「二羽」
「巣は?」
「近づいてない」
「雛は?」
「見ただけ」
「他の個体は?」
「一羽来たけど倒してない」
「条件は問題なさそうですね」
そこまでは普通だった。
食堂の主人を呼び、納品する岩鳥を見てもらう。
男は一羽目をひっくり返し、胸から腹へ手を当てた。
次に腿。
翼。
皮。
もう一羽も同じように見る。
「……これ、どうやって倒した?」
「首」
「首なのは見れば分かる」
男は困ったように言った。
「他がほとんど傷んでない」
「傷めない方がいいって聞いた」
「いや、言ったけどよ」
男は翼を持ち上げた。
「転がした跡も少ない。脚も折れてない。胸も潰れてないし、腹側もきれいだ」
「岩にぶつけないようにした」
「そこまで?」
「ぶつけたら肉傷む」
男は受付嬢を見る。
受付嬢は何とも言えない顔をしていた。
「杏々さんなので」
「それで説明になるのか?」
「最近は少し」
主人はもう一度岩鳥を見る。
「これなら買い取りは上限でいい」
杏々の目が少し開いた。
「高い?」
「依頼書の最大額だ。状態がいい」
「お」
「それと、二羽とも全部こっちへ納品する契約だったな」
杏々が止まった。
「うん」
「……食いたそうな顔するなよ」
「してない」
「してるぞ」
主人が笑った。
「今日の夜、店でこれを出す。全部使うわけじゃないから、食いに来るなら取り置きしてやる」
「行く」
即答だった。
「金は取るぞ」
「払う」
「そこはちゃんとしてるんだな」
「食べるから」
納品を終え、報酬を受け取る。
受付嬢は依頼記録へ何かを書き込んでいた。
「何書いた?」
「初回の緑ランク依頼、問題なく完了。繁殖地への不要な干渉なし。指定数のみ討伐。納品状態良好」
「うん」
「あと、食材の品質が妙に高い」
「それいる?」
「依頼人が驚いてましたから」
「褒めた?」
「褒めたことにしておきます」
「一個」
「そこは相変わらずですね」
杏々は満足した。
「緑の仕事どうでした?」
受付嬢が聞く。
杏々は少し考える。
「条件多い」
「そうですね」
「でも分かればできる」
「それが中級です」
「赤より難しい?」
「普通は」
受付嬢は少し間を置いた。
「杏々さんの場合、別のところで難しくしてる気もしますけど」
「何?」
「肉を必要以上にきれいに持ち帰るところです」
「必要だよ」
「杏々さんには、でしょうね」
杏々は否定しなかった。
◆
その日の夜。
杏々は約束通り、依頼人の食堂へ行った。
出てきたのは、今日持ち帰った岩鳥の胸肉だった。
厚めに切られ、表面を強めに焼いてある。
皮は別に焼かれ、ぱりぱりになったものが横へ添えられていた。
一口。
杏々はゆっくり噛んだ。
「おいしい」
腿より脂は少ない。
その代わり、肉そのものの味が分かりやすい。
噛むと繊維がほどけ、後から少しだけ甘みが出る。
焼いた皮を一緒に食べると、脂と香ばしさが足される。
「胸もいい」
「自分で獲ってきたやつだからな」
「きれいにした」
「見りゃ分かるよ」
主人は厨房へ戻りかけて、振り返った。
「次も食材用の依頼があったら、ああいう状態で持ってきてくれたら助かる」
「美味しくなる?」
「料理はしやすい」
「じゃあやる」
「そこまでやれとは言ってないからな?」
「できるならやる」
「……まあ、助かるからいいか」
杏々はまた肉を食べた。
緑ランク最初の依頼は終わった。
危ない採集地でもなかった。
強敵と呼ぶほどの魔物でもなかった。
それでも赤までの仕事とは少し違った。
倒せばいいわけではない。
何を倒すか。
何を残すか。
どこへ近づいてはいけないか。
どういう状態で持ち帰るか。
条件が増えている。
杏々はそれを面倒だとは思わなかった。
条件が分かっていれば、それに合わせればいい。
そして食べ物なら、きれいに持ち帰る理由は十分にあった。
家へ戻った杏々は日記を開いた。
『緑最初』
『岩鳥二羽』
『巣と雛さわってない』
『他の一羽倒してない』
『首だけ』
『胸 腿 腹きれい』
『買い取り上限』
少し間を空ける。
『胸肉』
『腿より脂少ない』
『肉の味分かりやすい』
『噛むと少し甘い』
『皮ぱりぱり一緒がいい』
やはり後半の方が詳しい。
最後に、
『緑 条件多い』
『分かればできる』
と書いた。
杏々は日記を閉じる。
中級冒険者になったからといって、世界が急に難しくなったわけではない。
ただ、今までより少しだけ遠くへ行き、少しだけ多くのことを考えて仕事をする。
その先に、まだ知らない場所がある。
まだ食べたことのないものもある。
杏々にとって、それなら十分だった。
第100話までお付き合いいただき、本当にありがとうございます
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