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杏々の異世界さんぽ~召喚されたのに勇者ではありませんでした。なので冒険者になって、ご飯を食べます~  作者: わかめ
召喚勇者と駆け出し冒険者

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いつものおさんぽ

お昼を少し過ぎたころ、杏々はいつものように歩いていた。目的地は特にない。


 正確には、最初はあった。駅前に新しくできたという焼き菓子の店を見に行こうと思って家を出たからだ。


 しかし、その途中で香ばしい匂いに釣られてたい焼きを買い、その向かいにあった惣菜屋で揚げたてのコロッケを見つけ、さらに商店街の奥から漂ってきた醤油の匂いが気になってしまったのだ。


 その結果、杏々は紙袋を片手に、串に刺さった焼き団子を食べながら歩いていた。


「んー……おいしい」


 もちもちした団子に絡んだ、少し焦げた甘辛い醤油だれを一口かじるたび、杏々の頬がふにっと緩む。


「もう一本買えばよかったかな」


 振り返ると、団子屋はもうずいぶん後ろにあった。


「……まあいっか」


 杏々のおさんぽは、だいたいいつもこんな感じだった。行き先よりも、途中で何を見つけるかの方が大事なのだ。


 知らない路地があれば入るし、いい匂いがすれば寄る。


 行列があれば、とりあえず何の店か覗いてみる。


 そうして歩いているうちに、本来の目的地とはまったく違う場所へ着くことも珍しくなかった。


 今日もそうだった。


「こんな道あったっけ」


 商店街から一本外れた細い道の先に、古い建物と建物の間を縫うような路地が伸びている。


 人が二人並べばいっぱいになりそうな狭さだったが、その奥には赤いのぼりが少しだけ見えていた。


 文字までは読めないものの、のぼりの横から白い湯気のようなものが上がっている。


「食べ物かな」


 杏々は迷わず路地へ入った。


 最後の団子を口に入れ、串だけになったところで、近くにゴミ箱がないことに気づく。そこで串を紙袋の中へしまい、そのまま奥へ進んでいった。


 数歩、十歩、十五歩。


「……?」


 さっきまで聞こえていた商店街の音が、少し遠い。


 車の走る音も、店先の呼び込みも、子供の声も、まるで厚い壁の向こうへ移ってしまったように急に薄くなっている。


 杏々は立ち止まり、後ろを振り返った。


 路地は来たときと変わらず、細くまっすぐ続いている。


 しばらく眺めたあと、杏々は再び前を向いた。


 その瞬間、足元が白く光った。


「ん?」


 見下ろすと、路面に見たことのない模様が浮かんでいる。円の内側にはいくつもの細い線が走り、その周囲を文字のようなものが取り囲んでいた。


 杏々はしばらくそれを眺めた。


「……なんだろ」


 しゃがんで指で触れようとした、その前に、光が一気に強くなった。


「わ」


 視界が真っ白になる。風もないのに髪が揺れ、身体がふわりと浮いたような感覚に包まれた。


「え――」


 声を上げる間もなく、杏々の姿は光の中へ消えた。


     ◆


「魔力供給、安定!」


 広大な石造りの広間に、緊張した声が響いた。床一面には巨大な魔法陣が描かれ、その周囲を白や青の長衣をまとった術師たちが取り囲んでいる。


「第三術式、接続!」


「座標固定!」


「召喚領域の形成を確認!」


 次々と声が飛び、術師たちの額には汗が浮かんでいた。


 広間の奥、数段高くなった場所には豪奢な衣服をまとった男が座っている。


 この国の王だった。


 その隣には重臣、騎士団長、神官長が並んでいるが、誰も口を開かず、視線だけを中央の魔法陣へ注いでいた。


 長い年月をかけて準備された儀式だった。


 古き記録に残された、異界の勇者を呼び寄せるための秘術。


 魔王軍の侵攻が激しさを増す今、この国に残された最後の切り札である。


 国境の砦は、ひと月前に一つ落ちた。


 その前の月には、さらに二つ。


 兵も、食糧も、時間も足りない。


 王国はできる限りのものをつぎ込んできたが、それでも戦況は悪くなる一方だった。


 王は膝の上で固く手を握った。


 古代の勇者ならば。


 異界の力を持つ英雄ならば。


 この国を救ってくれるかもしれない。


「最終術式!」


 中央に立つ老魔術師が杖を掲げた。


「異界へ接続!」


 魔法陣が眩い光を放ち、空気が震え、床が低く唸る。


 術師たちの声が一斉に重なった。


「魔力流量、増大!」


「術式負荷、許容範囲内!」


「召喚座標、固定!」


「反応あり!」


 術師の一人が叫ぶと、広間にざわめきが広がった。


「対象座標を捕捉!」


「異界側との接続を維持!」


「召喚します!」


 王が身を乗り出し、騎士たちは息を呑んだ。


 歴史に語られる勇者。


 一騎当千の戦士か、あるいは強大な魔力を持つ大魔導師か。


 この絶望的な戦況を覆す、異界の英雄。


 誰もがそう信じていた。


「来るぞ……!」


 魔法陣の中央で光が膨れ上がり、やがて人影が現れた。


 小さい。


 誰かが息を止めた。


 光が徐々に薄れていく。


 その中心にいたのは、小さな女の子だった。


 丸みのある身体に柔らかそうな頬、見慣れない服。


 そして、口をもぐもぐと動かしている。


 広間全体が静まり返った。


 少女――杏々は、ゆっくりと周囲を見回した。


 石造りの広間、知らない服を着た人たち、床に描かれた巨大な模様、そして自分を凝視している大勢の大人たち。


 杏々は口の中に残っていた団子を飲み込み、もう一度周囲を見た。


「ここどこ?」


 誰も答えなかった。


 王も、神官長も、騎士団長も、言葉を失っていた。


 違う。


 古文書に描かれた勇者は剣を掲げ、光をまとい、魔王軍を打ち倒していた。


 少なくとも、召喚陣の中央で食べかけの何かを口にしている小さな少女ではない。


 王の隣で、神官長の顔から血の気が引いていく。


「……これは……」


 騎士団長が眉をひそめた。


「子供……だと?」


 術師たちがざわめき始める。


「そんな……勇者召喚のはずでは……?」


「対象座標を誤ったのか?」


「いや、術式は正常だった!」


「ではなぜ……!」


「召喚対象の魔力反応は?」


「まだ測定中です!」


 声が重なり、広間の空気が急速に冷えていく。


 魔法陣の端には、青を基調とした術師服に丸い眼鏡の少女がいた。


 まだ正式な術師とは認められていない、若い見習いだった。


 彼女は手元の記録板と魔法陣を何度も見比べている。


「……変」


 小さく呟くと、隣にいた先輩術師が振り向いた。


「何がだ?」


「いえ……」


 少女は口を閉じたものの、視線を魔法陣から離せなかった。


 術式は崩れていない。


 召喚座標にも異常はない。


 言語補正式も正常に稼働している。


 少なくとも、自分が習った範囲では、これは失敗した術式の状態ではなかった。


 けれど、召喚された少女の姿は、誰が見ても期待された勇者のものではない。


「魔力反応、測定完了!」


 別の術師が叫んだ。


「対象の魔力反応は――」


 術師は手元の測定器を見つめたまま、言葉を失った。


「どうした。報告しろ」


 神官長が促す。


「……ありません」


「何?」


「魔力反応が、ありません」


 広間の空気が凍った。


「測定器の故障ではないのか」


「再測定を!」


「すでに三度行っています!」


「そんなはずがない!」


 誰かが叫んだ。


「勇者に魔力がないなど、あり得るのか!」


 王の指先が震えた。


 魔力は誰にでもある。量に差はあっても、完全に存在しない者などいない。


 まして、異界から召喚された勇者なら。


「……失敗、です」


 誰かが呟いた。


 小さな声だった。


 けれど、その言葉は広間の隅々まで届いた。


「召喚は……失敗した」


「では、この子は……」


「勇者ではない?」


 王は杏々を見た。


 杏々は空になった紙袋を覗き込んでいた。


「……食べるものなくなっちゃった」


 この少女に罪はない。


 だが、それで王国の状況が変わるわけでもない。


「でも……」


 見習い術師が、震える声で呟いた。


 隣の先輩術師が睨む。


「何を言っている」


「術式は、崩れていません」


「だから何だ」


「召喚に失敗したなら、普通は異界側との接続が切れるはずです。座標も乱れて、術式の一部が焼き切れるか、魔法陣に反動が――」


「黙れ」


 先輩術師の声は低かった。


「今はそんなことを言っている場合ではない」


「でも……」


「失敗したのだ。そうでなければ、説明がつかない」


 少女は言葉を失った。


 魔力がない。


 勇者らしい力も感じられない。


 それなのに、術式だけは正常に動いている。


 少女は召喚陣の中心を見る。


 杏々は床に描かれた魔法陣を眺めていた。


「これ、さっき足元にあったやつだ」


 しゃがんで指でつつこうとしたところを、術師の一人が慌てて止める。


「触れてはいけません!」


「?」


 杏々は手を引っ込めた。


 そのとき、王がゆっくりと立ち上がった。


「静まれ」


 一言で広間のざわめきが止まる。


 王は杏々を見下ろした。


「少女よ」


「ん?」


「名を聞こう」


「杏々」


「……アンアン?」


「杏々」


 王は少し困った顔をした。


「そうか。アンアンよ」


「杏々だけど」


「…………」


 数秒の沈黙の後、王は咳払いをした。


「……杏々よ。突然のことで困惑しているとは思うが、まずは我々の話を――」


 そのとき、杏々のお腹が鳴った。


 ぐうううう。


 広間いっぱいに響く音に、再び静寂が落ちる。


 杏々は自分のお腹を押さえた。


「ごはんある?」


 王はしばらく何も言えなかった。


 目の前にいるのは、少なくとも彼らが思い描いていた勇者の姿ではない。


 しかも、この少女を元の世界へ返す方法も分からない。召喚術は呼び出すための術式しか残っておらず、帰還の術式は古い記録の中で欠落していた。


 呼んでしまった以上、帰せない。


 けれど、王国には余裕がない。召喚した少女を保護し続ける余力も、召喚の失敗を公にする余裕もなかった。


 王は目を閉じ、短く息を吐いた。


「……食事を用意せよ」


 ようやく、それだけを命じる。


 王の隣では、神官長が青ざめた顔で俯いている。


 魔法陣の端では、眼鏡をかけた見習い術師が小さく呟いていた。


「……本当に、失敗なのかな」


 その声は、まだ誰の耳にも届かなかった。


 こうして杏々は、勇者として召喚され、召喚失敗を疑われながら異世界へやってきた。


 そして杏々本人が最初に気にしていたのは、世界の危機でも、魔王でも、勇者でもない。


 次のごはんだった。

1話公開となりました。

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