あばたもえくぼ
卒業式の日、体育館はざわめきと熱気に満ちていた。中学三年の最後の日。
みんなは寄せ書きを回し合い、写真を撮り合い、泣いたり笑ったりしている。安島笑子は、いつものようにクラスの輪の中心にいた。
でも、心のどこかで、ずっと気になっていた。
優しくて強くて、不器用な、彼女のことが。
笑子はそっと輪を抜け出した。体育館の隅、窓際のベンチ。
原賀暦は一人で座って、卒業アルバムを膝に乗せていた。前髪は相変わらず長く、表情はほとんど見えない。笑子はそっと近づいて、声をかけた。
「……ねえ、原賀さん。寄せ書き、書いてくれない?」
原賀は少しだけ顔を上げて、黙って自分のアルバムを閉じ、笑子のアルバムを受け取った。笑子の寄せ書きページは、ぎっしり詰まっていた。
「笑子はいつも明るくて楽しかった!」
「これからもその笑顔で頑張れよ!」
「顔芸最高だったわw」
からかいの言葉も多かったけど、それでも、笑子の明るさと優しさに触れた人たちが、本気で書いた言葉がたくさんあった。原賀はペンを走らせ、無難に書いた。
「卒業しても元気で。 原賀」
それだけ。笑子はそれを見て、少しだけ微笑んだ。
「……暦ちゃんの寄せ書きにも、私、書きたいな」
突然の名前呼びに、原賀の肩が小さく震えた。
笑子は不器用に、でも確かに笑った。原賀は戸惑いながらも、自分のアルバムを開いた。
ページは、笑子のものとは対照的に、ほとんど白かった。
先生の丁寧な言葉がいくつか。美術部の仲間や後輩が、
「また綺麗な景色見に行きたいね」
「先輩の絵、好きでした」
「また遊びに来て下さい」
と書いてくれたもの。距離を感じるような書き方のものが多かった。
けれど、傷付けて笑いを取るようなものは一個もなかった。
笑子はペンを握り、ちょっと考えてから書いた。
「暦ちゃんと一緒に落語を見に行きたいです」
笑子は落語が好きだった。テレビで見た寄席の雰囲気が、なんだか自分と重なる気がして。
でも、誰にも言ったことがなかった。それを、初めてここに書いた。
「……行きたい…?落語…?」
暦は、自身と彼女の未来を当たり前のように語る笑子に混乱していた。
そんな暦を微笑まし気に見て、笑子はポケットから小さなメモを取り出した。
買ってもらったばかりのスマホの自分の電話番号とメールアドレスを書いたもの。それを、暦の手にそっと押しつけた。
「……今まで、ずっと…ごめんね。もし、暦ちゃんが嫌じゃなかったら……。これからも……遊んでくれる?」
笑子は眉毛を下げて泣きそうな顔で笑った。
その笑顔は、いつもの道化の仮面じゃなかった。
顔の造形なんてどうでもよくなるくらい、ただ、健気で、温かくて、切なくて、愛おしくなる、そんな表情。
頬が熱くなった。前髪の下で、口角が少しだけ上がった。
「……うん、よろしく。笑子ちゃん」
初めて名前で呼んだ。
笑子と暦は、顔を見合わせて揃って笑った。
小さく控えめな、でも確かに本物の、無邪気な笑顔だった。
外では桜が舞い散っていた。
三月の風に乗り、体育館の窓から一枚、舞い込んできた。
春の日差しが、二人の門出を優しく照らしていた。




