案ずるよりも笑うが易し
冬の風が、校舎の裏を鋭く吹き抜けた。放課後、生き物コーナーの前で、門前小絵と藤井臨が笑子を待ち構えていた。
「ねえ、安島。最近原賀と仲良くしてるみたいじゃん」
門前が、いつもの甘ったるい声で言った。目は笑っていない。
「友達なの? あんな陰気な子と?」
藤井が追い打ちをかけるように、にやにやしながら聞いた。笑子は一瞬、言葉に詰まった。原賀の家に行ったこと、田んぼで蛙を放したこと、一緒に過ごした時間。それが「友達」なのか、自分でもまだ整理がついていなかった。でも、否定したくなかった。
「……別に、友達じゃないっ!!!」
突然、横から鋭い声が飛んだ。原賀だった。物置の影から現れた彼女は、顔を真っ赤にして叫んでいた。
「安島さんなんか、別に、友達じゃない。変なこと言わないでくれる!?」
笑子が、引き攣った笑顔を作ろうとした瞬間——叫んだのは、原賀の方だった。門前と藤井が、目を丸くして原賀を見る。
「……何突然叫んでんの? こわ~」
藤井が、わざとらしく身をすくめて笑った。
「てか盗み聞きかよ! きもーっ」
門前もくすくすと肩を震わせる。意地悪な笑いだった。原賀は、二人の方を一瞥もせずに、笑子の方だけを見て、口の動きだけでゆっくりと言った。
『わ
ら
っ
て
い
い
よ』
『笑っていいよ』。
笑子は、息を呑んだ。
いつもの笑子の、他人に合わせた笑いを見透かしたような、透徹して諦観した一言だった。
原賀はそれだけ言いに来たのか、くるりと背を向けた。そして、歩き出した。冬の夕暮れ、校舎の影が長く伸びる中、原賀の背中は小さく見えた。でも、孤独で、でもどこかまっすぐで。
追いかけたいと思った。声をかけて、肩を並べて、一緒に帰りたいと思った。でも、笑子は足が動かなかった。
原賀の背中は、まるで冬の夜空にぽつんと浮かぶ星のようだった。
遠くて、冷たくて、でも確かに輝いていて。触れれば消えてしまいそうで、近づけない。笑子はただ、立ち尽くすしかなかった。
門前と藤井のくすくす笑いが、背後で響いている。
「やっぱりあの子、変だよね~」
「安島もさ、怖いと思わない?」
笑子は答えなかった。ただ、原賀の背中が角を曲がって見えなくなるまで、見つめていた。
◇
原賀暦は、星なんかじゃなかった。
ただの、十四歳の女の子だった。感情はちゃんとあった。
胸の奥で、いつも何かが疼いていた。
笑子が門前や藤井と笑い合っているのを見るのが辛かった。
あの二人の笑いは、嫌いだ。誰かを下に見て、優越感に浸る笑っていて。笑子がその二人を宥めながらも、調子を合わせているのを見るたび、胸が締めつけられた。
以前だってそうだったのに、今はもう、余計に辛い。
どうして、自分じゃなくて、あんなやつらと一緒に、そんな辛そうに笑っているの。
どうして。
悲しかった。寂しかった。悔しかった。苦しかった。感情がこみ上げてくると、原賀は頬の内側の肉を噛んだ。
笑いたくならないように。泣きたくならないように。噛み続けた。何年も噛み続けた。
そのせいで、頬の内側はいつも傷だらけで毛羽立っていた。ざらざらで、時々血の味がした。
だけどそこは誰にも見られないから、原賀の弱さを閉じ込めるにはうってつけの場所だった。
泣きそうな目を見られたくなくて、前髪を切らなくなった。
伸び放題の髪が顔を覆い、表情を隠してくれる。それでますます人が寄り付かなくなった。
クラスで一番孤立した。でも、それでよかった。得たものを失う痛みを知るよりは、はじめから何も持たない方がましだ。
原賀はそう自分に言い聞かせた。
一人なら、傷つかない。一人なら、失うものがない。
また仮面を厚くする。無表情をさらに隙なく。前髪をさらに伸ばし、頬の内側をさらに噛む。
放課後、生き物コーナーに一人で残る。ザリガニに餌をやり、植物に水をやる。蛙はいない。
もう、あの三匹は田んぼに帰った。自由になった。
自分達とは違う。
原賀は水槽のガラスに映った自分の顔を見る。
ぼさぼさの前髪の下、無表情の顔。笑っていない。泣いていない。
これでいい。
これが、自分を守る方法だ。




