< 9 >
園遊会から十日ほど過ぎた頃、クレージュ公爵家から正式な婚約の申し込みが届いた。
その件について話があると、父の執務室に呼ばれたのだが、なぜか母と姉まで執務室に待機していたのである。婚約の話だから家族会議的な感じなのか。
何も勢ぞろいしなくても良いと思う。
「クレージュ公爵家から正式に打診された。お前とクレージュ公爵令息の婚約だが」
それに対して父は複雑そうな様子である。
クレージュ公爵が自分の学生時代の後輩だから?
母の方は公爵家と聞いて浮かれているが、姉に至っては不満そのまま。
「お父様、本当に公爵家からの打診なの? 何かの間違いじゃなくて?」
私に婚約を打診してきたのがクレージュ公爵家と聞いて、姉は気に入らないのだろう。
国立ヴァソール学園の入学試験に落ちた後、王立ノヴェール学院での成績も芳しくない理由で、次期アグレッサ侯爵の立場を弟に奪われた形だ。
祖父母が姉への救済としてシャプル伯爵の爵位を与えるが、その条件として夫になるコンサル侯爵令息が引き継ぐもの。他家の令息に爵位を譲る形になるので、アグレッサ侯爵家から制約魔法で二人は離婚できなくなる。
子も姉としか作る事が出来ない。
お家乗っ取りを阻止する為の制約魔法だが、姉とコンサル侯爵令息の関係は上手くいっている方だ。
姉の立場から言えば、侯爵令嬢に生まれたのに将来は伯爵夫人。
その妹は侯爵家よりも格上の、公爵夫人になる予定だから、姉が気に入らなく思うのは仕方ない事だろう。それ以前に、私の事は全てにおいて気に入らないのだ。
「ハリエット、クレージュ公爵は旦那様の学生時代の後輩にあたる方よ。公爵家のご子息なら魔力量も膨大だわ。貴方の婚約者のコンサル侯爵令息とも友人関係と言うじゃない。結婚してからも姉妹夫婦が仲良く付き合えるのは素晴らしい事だわ」
クレージュ公爵令息がコンサル侯爵令息と繋がりがあったとは、私も予想していなかった。
そういえばアンダーソン侯爵令息と、クレージュ公爵令息は兄弟同然の付き合いである。
何かしら高位貴族同士は繋がりを持っているのだろう。
そういうのが全くない私と姉はボッチ確定のようだ。
私の友人と言えばレベッカくらいだし、クレージュ公爵はーー友人というより恋愛対象が望ましい。
クレージュ公爵令息との婚約は、彼と繋がりが持てるので婚約が成立して欲しい所だ。
「ジュリエンヌの気持ちとして、この婚約の打診はどう思っている?」
「良い話だと思います」
模範解答のように答える。
しかし父には納得いかないのだろう。
相変わらず父は無表情のままだが、明らかにいつもと雰囲気が違っていた。
「貴族としての矜持ではなく、ジュリエンヌの本心を聞いている」
いつもと違う点は言葉数が多い。
一言二言で会話が終了する父にしては珍しい事だ。
「わたくしの本心ですか……それなら正直に申しますと、わたくしの婚約の相手は誰でも良いのです。それが公爵家の打診なら喜んで受けたいと思います」
私も話が早く終わって欲しくて、模範解答を繰り返す。
それに対し、父が深い溜息をついた。
「ずっと連れ添う相手だ。もっと良く考えた方が良い」
「旦那様は反対ですの?」
母の方は婚約を受ける気でいる。
このまま母の言葉に流されてくれないかな。
「彼はーークレージュ公爵令息は頼りない。ジュリエンヌの相手としては不足に感じている」
父なりにクレージュ公爵令息を調べた結果なのだろう。
私も園遊会で初めて対面した時、クレージュ公爵と似ても似つかない顔と態度に驚いた。魔力量も受け継いでいないのか、とても微妙なもの。
それに十二歳らしからぬ子供っぽさ。
クレージュ公爵には申し訳ないけど、子育に失敗したと言わざるを得ない。
「クレージュ公爵は立派な方ですもの、今は頼りないのかもしれないけれど将来は立派な大人になりますわ」
母は尚も言い募る。
自分が父と恋愛結婚して幸せを掴んでいる分、娘も自分と同じようにしたいのか。そもそも論になるが、貴族同士の結婚は恋愛より信頼が大事だと思う。
まず先に互いが信頼し合える存在じゃないと、結婚生活だって上手くいかない。恋愛をしたいのなら、結婚した後だって可能な話だ。互いに信頼しあって距離を縮め、そのうち愛が芽生える。
ほとんどの貴族はそういった形だ。
私の両親は非常に少ないケースなので、それを自覚して欲しい。
「ジュリエンヌも彼の事が気に入っているのよね?」
「クレージュ公爵令息ですか? 特に気に入っているとか好意を抱いているわけではありません。単純に婚約を申し込まれたから受けるだけですがーーそれが何か?」
私の正直な意見に母の表情が変わる。
「クレージュ公爵令息の事を好きになったから婚約を受けるのよね?」
「いえ、クレージュ公爵令息に恋愛感情は持っていませんよ。あの園遊会で初めてお会したので、彼の為人すら把握していないのです。完全に初対面だったので……最初は同級生のアンダーソン侯爵令息に声をかけられて話をしていたのです。そこへクレージュ公爵令息が現れて、アンダーソン侯爵令息に紹介された形でした」
「アンダーソン侯爵令息といえば、筆頭侯爵家の令息じゃない。彼とは親しいのかしら?」
母の興味がクレージュ公爵令息から、なぜかアンダーソン侯爵令息に代わったようだ。
「アンダーソン侯爵令息はわたくしの友人が狙っているので、お母様は余計な考えを抱かないで下さい。彼とは親しいというより、友人が間に入って知り合っただけの関係です。園遊会ではたまたま見知った相手を見つけて声をかけただけのようですし、それ以上でもそれ以下でもありません」
レベッカには頑張って彼を堕として貰いたい。
「そう……それは残念ね」
「わたくしは友人の恋を応援しているのです。二人の関係にヒビを入れたくありません」
母にもそう宣言すると、父から声がかかった。
「ジュリエンヌはクレージュ公爵令息と、本気で婚約したいと思っているのか?」
「はい」
きっぱり返事をすると、父は諦めたように息をつく。
「そうか、分かった」
ようやく話が終わってホッと息を漏らす。
こんなに父と会話をしたのは、私が生まれてから初めての事だろう。
父はクレージュ公爵家へ婚約を承諾するという返事を送った。
親同士のやり取りが続き、今週末にクレージュ公爵と令息の二人がアグレッサ侯爵家へ訪れる。
公式な婚約契約書のサインをする為と、二人の仲を深める為のお見合いも含む。既に対面を済ませているのだが、婚約の手順としては欠かせない儀式のようなもの。
クレージュ公爵に会えるのが嬉しくて心が躍る。
実は園遊会の後から、クレージュ公爵と通信機で連絡を取り合うまで距離が縮まったのだ。
いつでも顔を見ながら会話が出来る。顔を見ながら会話をするのはテンションも上がるが、通話だけの通信機もあれば便利かもしれない。
それならコストは安く済む上に、庶民にも手が出しやすい商品になりそうだ。
今年の夏の休暇はクレージュ公爵領で過ごすのが目的なので、この婚約は確実に結ばなければならない。
もし万が一この話が流れたとしても、レベッカが同伴すればクレージュ公爵領へ行くのは簡単だ。
どちらにしてもクレージュ公爵領へ行けるので、クレージュ公爵令息との婚約が決まらなくても問題はない。
六月末の週末ーー私とクレージュ公爵令息の婚約を結ぶ為に、アグレッサ侯爵家に二人が訪れた。
二人は園遊会での装いに近い姿でいるが、婚約を決める場なので正装が正しいのだろう。
私も朝早くから準備をさせられた。
ドレスは私の髪色に近いものを選び、髪型はサイドの髪を後ろへ流してバレッタで留める。特別な日になるのでバレッタを使った髪型にしたかったのだ。
それに少しでも大人っぽい髪型にすれば、十歳でもそれなりに見えると思う。
「お嬢様、そろそろ時間になります」
「そうね、お出迎えの準備をしなくては」
「まだ十歳なのに婚約者が出来るなんて……お貴族様は大変ですね」
このメイドは裕福な家の者だが貴族ではない。
貴族と庶民では結婚の意味が違う。
貴族の結婚は血筋を絶やさない事を重点に置いている。
勿論、家同士の繋がりも大切な事だ。
アグレッサ侯爵家では少し違うのかもしれないがーー父の両親や縁戚の絆は強く感じるのに、母の両親と縁戚は意外と素っ気ない。
母の実家であるタイペイ伯爵家とは縁が薄いのだ。
彼らと会った回数は、私と姉の六歳の誕生日の二度だけである。
祖父であるアルバン・タイペイ閣下の第一印象は、気難しそうな頑固オヤジ。血筋や権力に固執しているタイプなら、母の存在を邪魔に思っている可能性が高い。
タイペイ伯爵家は古くから続く旧家な上に、水魔法と風魔法が扱える二属性魔法持ちで有名だ。
そんな名家に生まれながら母は生活魔法しか使えない。
それも初歩の魔法のみ。
もしかしたら母は、実家で肩身の狭い思いをしていたのだろうか?
それでおっとりした性格に育ったのなら、母のメンタルはミスリルどころの話じゃない。神話級のアダマンタイトに匹敵するほど強い心臓の持ち主だ。
だからこそ超絶美形な父を前にしても、母は普通に接する事が出来たのだろう。
意外な所で納得してしまった。
そんな事よりも夏の休暇である。
なんと、この国では約二か月も夏休みがあるのだ。
七月から新学期が始まる九月までが夏休み!
その前に学期末の試験はあるけれど、私は三番手のまま。
相変わらず首席はアンダーソン侯爵令息が譲らないし、次席のレベッカも同様である。この二人は筆記試験では満点だが、魔法の実技試験でアンダーソン侯爵令息が次席の為、レベッカは魔法の実技が三番手。
私は魔法の実技だけは首席を保ったまま。
そろそろ玄関ホールで待機していないと注意を受けそうだ。
私はメイドと共に部屋を出て玄関ホールへ向かう。
まだ誰も来ていないが、一応その場で待機していた方が良さそうだ。ひとまず適当な場所に立っていると、馬車の音が近づいてくるのを察する。
これは情報収集する為に身に着けた聴覚のおかげ。
馬車は一定のペースで近づいてくる。
これは間違いなくクレージュ公爵家の馬車だろう。
そこへ警備している者が顔を出してきた。
「ジュリエンヌお嬢様、おいででしたか」
「お客様がいらっしゃったのね?」
「ちょうど門を抜けて此方へ向かって来ております」
「私は執事へ伝えて参ります」
「ええ、お願いね」
警備の者が丁寧にお辞儀をした後、執事がいる方へ向かって行った。
間もなくすると、執事から伝言を聞いた両親が玄関ホールへ現れる。
「ジュリエンヌ、とても素敵なドレスね」
母が私の姿を見て微笑む。
「有難うございます」
私の言葉が言い終わるタイミングで玄関の扉が開き、クレージュ公爵とその令息が侍従を従えて目の前に立つ。
「アグレッサ侯爵夫妻、此度の招待感謝する」
まず先にクレージュ公爵が両親に挨拶の言葉を交わす。
それに続いて令息も緊張気味なのか上擦った声で何とか挨拶を済ませた後、私と両親にクレージュ公爵と令息は応接室の方へ移動した。
応接室は既にお茶の準備がされており、それぞれ両家が対面する形で腰を降ろす。
私は両親に挟まれた形で座らされている。
一般的には両親の間ではなく、父と母が順に並んで私は端に座るはずだ。
アグレッサ侯爵家は普通の家と違うのか?
よく分からないが両親のさせたいようにしておこう。
「あの! アグレッサ侯爵、ジュリエンヌ嬢との婚約を承諾して頂き有難うございます!」
なかなか元気いっぱいの声だ。
十二歳の子供らしいと言えばそうだが、やはり年齢よりも子供っぽく見える。
「ダニエル君は娘のどこに惹かれたのかね?」
クレージュ公爵令息に向かって、父が余所行きの声で問いかけた。
「ジュリエンヌ嬢は私が会った令嬢の中で綺麗な令嬢です」
「娘の外見に惹かれたという意味だろうか?」
「いえ……とても綺麗な令嬢で、それに賢そうな所も良いなって思いました。私の幼馴染からよく話を聞かされていたので、実は以前から会ってみたいと思っていたのです」
私の話をしているのはアンダーソン侯爵令息に違いない。
自分の知らない所で話題に出されるのは、あまり良い話ではなさそうだ。男子あるあるで女性に点数をつけるとか、スタイルとかそういったものだろうか?
でも相手がアンダーソン侯爵令息なら、そういった内容の話はしないと思う。
アンダーソン侯爵令息が私を話題に出すとしたら、魔法の実技試験の事しか思い浮かばない。
「ダニエル君は生涯かけて娘を大切にすると誓えるかい? こう見えて娘を可愛いと思っているんだ。娘を不幸にするような相手との結婚は許したくないのだがーーダニエル君は娘を幸せにする覚悟はある?」
「はい!」
「お父様、わたくしの幸せは自分で決めます」
「ジュリエンヌ」
「お父様とお母様の基準でわたくしの幸せを決めて欲しくないわ」
私の言葉に一同が硬直している。
クレージュ公爵だけは動じていない。
「わたくしとクレージュ公爵令息は、これからなのですよ。それにーーお父様たちのような恋愛結婚は奇跡に近いのです。わたくしとクレージュ公爵令息は出会ったばかり。この婚約を機に仲を深めていくつもりですので、お父様とお母様は静かに見守って下さいませんか?」
「ジュリエンヌ嬢を大切に致します!」
「ねえ、旦那様。若い二人を祝福しましょう?」
母の言葉に父も渋々だが了承する。
そこへ執事がトレイに乗せた婚約契約書を父に渡し、用紙に記載されている項目に視線を落とした後、クレージュ公爵に契約書を差し出した。
クレージュ公爵も父に倣って契約書に視線を落とす。
そこに何が書かれているのか見せて貰えないが、親同士で納得のいく内容であったのは間違いない。
「私たちは大人の話をするから、ジュリエンヌはダニエル君と庭でお茶を飲むと良い」
「はい」
私はクレージュ公爵令息と共に応接室を出て、アグレッサ侯爵邸の庭を彼に案内するのだった。




