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マリーテレーズ・クレージュ夫人は、とても気さくで話しやすい夫人だった。
クレージュ公爵邸に到着した日、彼女に誘われてお茶を飲む機会となったのだが、元第一王女殿下という肩書があるのにも関わらず、庶民的と言った方が良いのか?
元王族で高位貴族夫人という肩書があるのに、高圧的ではなく自然な態度なので本当に話しやすい。
まるでレベッカと話をしているみたいで、クレージュ夫人とは会った早々に打ち解けたのだ。
「勉強嫌いのダニエルが、まさか首席を取るなんて考えもしなかったわ。国立ヴァソール学園の入学試験の結果を聞いて、孫に期待するのを止めたのよ。クレージュ公爵家の人間が王立ノヴェール学院へ入学だなんて! あの学院も名門ではありますけどね。代々クレージュ公爵家の者は、国立ヴァソール学園を卒業しているのよ。孫の代で潰えてしまったのが悲しいやら悔しいやら……」
クレージュ夫人は余程、クレージュ公爵令息に国立ヴァソール学園へ入学して欲しかったのだろう。
国内で最も偏差値が高い学校だ。
この学校の卒業生は全員が有名人でもある。その筆頭が私の父ダーレン・アグレッサ侯爵のようだが、その現場を見た事がないので信じられないままだ。
アンダーソン侯爵とクレージュ公爵も同様に、国内で名前を知らない者はいない。
そんな有名人の一人息子だからこそ、クレージュ夫人は国立ヴァソール学園の入学に拘っていたのだろう。
「ダニエル様は次席で入学されましたよ?」
「あの子は周囲の人間に恵まれていたの。基礎は出来ていたと思うわ」
「クレージュ公爵から内緒話を教えて貰いました。ここだけの話として言いますが、国立ヴァソール学園は学力よりも、魔法の実技を重視されているようです。ダニエル様は学力ではなく、魔力の方で……」
私はクレージュ公爵から教えて貰った秘密を打ち明ける。
この秘密を口にするのは、彼の祖母だから許して貰えないだろうか。
それに元第一王女殿下で王族なのだ。
それなりの地位にいたのだから、秘密事項と付け加えたら絶対に他言はしないと思いたい。もし話をしたとしても、夫人の夫であるアブラーム・クレージュ老公爵だろう。
「クレージュ公爵から内密にと言われているので、この場だけの話でお願い致します。バレたら怒られてしまいますので」
私の言葉にクレージュ夫人も了承する。
ーーさすが弁えている大人は違う!
「そうね……生まれた時から魔力量が少ない孫だったわ。孫を産んだ女が魔力を持たなかったのが原因よ。トランプ伯爵に騙されたようなものね。あの女は魔力が少ないというより、本当に乏しかったのだから」
クレージュ公爵令息の亡くなった母親に対して、かなり含みのある言い方だ。
私はクレージュ公爵から亡くなった奥さんの話を聞いた事がない。クレージュ公爵令息の場合は、出産後に亡くなった母親の事は何も聞かされていないようだ。
母親の名前と実家の家名は知っていると思うが、母方の実家や親類の者と疎遠なのかもしれない。
一般的に母方の祖父母であれば、娘腹の孫は可愛がられるのだが。公爵家に嫁いで身分が上になってしまうと、おいそれと近づけずに疎遠となってしまうのか。
クレージュ公爵令息の母親の魔力量が少ないと言うなら、私の母と同じような境遇だった可能性も出てくる。
クレージュ夫人は魔力量に拘っている言い方だが、その話の内容に耳を傾けていると人間性を重視しているようだ。そうでなければ、魔力量の少ないクレージュ公爵令息を見捨てていたはず。
「確かに国立ヴァソール学園は、魔力の練り具合と魔法の実技が厳しかったわね。そう、そういう事だったのね。国立ヴァソール学園の卒業生が、縁もない子供の入学式に招かれるのが不思議だったのよ。そしてーー最優先でスタンピードへ駆り出されるのも、国立ヴァソール学園の元首席の卒業生。ようやく腑に落ちたわ」
クレージュ夫人の言葉に、今度は私が驚く。
ーーどういう意味?
スタンピードの討伐が、国立ヴァソール学園の卒業生で形成されている?
謎が深まるばかりだ。
そしてクレージュ夫人は、自分の中で何かを納得したようだ。
「それにしてもーーダニエルは得難い令嬢を婚約者に据えたものね。これだけは喜ばしい事だわ。アルカードは自分の結婚について、他人事のように適当だったのが悔やまれるわね」
ーー結婚が適当!?
クレージュ公爵は自分の婚約を適当に決めたという事だろうか。婚約するという事は結婚相手である。そんな大切な事を適当に決めて良いわけじゃない。
そうなるとーー女性に言い寄られ過ぎた弊害だろう。
クレージュ公爵の見た目は勿論、その血筋と家柄は国内随一であり、更に資産家でもある。女性側から送られる婚約の釣書も多かったに違いない。私もその年代に生まれていたら、間違いなく釣書を送っていたと断言できる。
ーークレージュ公爵との年の差が憎い!
「あの女は本当に最低だったわ! 何もしないくせに口だけは達者。アルカードの身分と見てくれだけしか見ていないのも不愉快だった」
クレージュ夫人は息子の亡くなった妻に対する不満が多いようだ。
私も引っかかる部分がある。
「クレージュ公爵は、とてもご立派な方ですのに……」
クレージュ公爵の外見が私のドストライクである事は間違いないが、それだけではない。彼の見た目に惑わされてはいけないのである。
クレージュ公爵は見た目だけではなく、相手の真意を探る目を持っているし、自身に利がない商談相手の話には一切乗らない。たまに見せる腹黒い部分にも惹かれる。
そして自身の部下に対する思慮深い所も素敵なのだ。
騎士団を統括する姿は悶絶するほど凛々しくて、魔獣を討伐した時の身体能力と高度な魔法攻撃は、今でも目に焼き付いている。雷と水を合わせた彼のオリジナル魔法は、本当に参考になった。
そんな強くて素敵な大人なのに、魔道具や新しい料理に好奇心で目をキラキラさせるなんてーーこれはクレージュ公爵の罪。
「本当に……当時、こちら側から断っても釣書が減らなかったの。アルカードも擦り寄って来る令嬢たちに対して、いい加減に鬱陶しくなったんでしょうね」
クレージュ夫人が溜息交じりに言葉を続ける。
クレージュ公爵は誰と結婚しても同じだと思っていたらしく、令嬢の家から送られてくる釣書の中から無造作に一つ抜き取り、「この人と結婚する」と決めてしまったらしい。
その相手がクレージュ公爵令息の亡き実母シャーリン・トランプ伯爵令嬢。
婚約期間を下手に長く設けると、婚約者の親睦と称する茶会が煩わしいという理由から、相手の令嬢が婚姻可能な年齢であったので即入籍となった。クレージュ公爵が十九歳で、トランプ伯爵令嬢は十六歳。
挙式は領地にある教会で行っただけで、披露宴やお披露目もなかったらしい。妻となったシャーリン夫人は不満を訴えたらしいが、彼女は誰でも入学できる全寮制のセルペット女学院の卒業生。
シャーリン夫人は学院始まって以来の劣等生だったと判明したのは、既に結婚契約書を結んだ後のこと。
そんな事は釣書に記載されてなく、クレージュ公爵家も息子が適当に選んだ手前、トランプ伯爵家に抗議する事はしなかったようだ。
セルペット女学院といえば花嫁学校でも有名だが、彼女はセルペット女学院で学んでいるはずの事が出来ない。国内の令嬢から人気の高いクレージュ公爵令息と結婚できた事が、彼女にとってステータスの一つだったのだろう。
クレージュ夫人が公爵夫人としての教育を始めるも、全く身につかない。それどころか茶会や夜会に参加するのを繰り返し、その為のドレスや装飾品を次々に購入。
新調したドレスや装飾品を纏って向かう先々で、自分は公爵夫人だと周囲に自慢したり、格下の夫人や令嬢に対して傲慢な態度を繰り返す。
彼女の行動はクレージュ公爵家の評判を落とす行為である。
そしてーーただ遊んで浪費している彼女に誰もが匙を投げた。当然、何もしない嫁に予算が与えられるわけもなく、シャーリン夫人に外出禁止が言い渡される。幼い頃に身に付ける礼儀作法どころか、教養も全く備わっていない。これを外に出せばクレージュ公爵家の恥である。
役に立たない嫁に唯一残されたのが、クレージュ公爵家の次代の跡取りを産む事。
クレージュ公爵は彼女との閨に憂鬱そうだったらしく、寝室に媚薬効果がある香を焚いて実行したらしい。新婚初夜に用いられる香であり、その香りを嗅ぐと性的欲求が高まるもの。
そこまでしないと一緒に寝る気が起きなかったようだ。
そんな苦行に近い閨を数回繰り返し、シャーリン夫人は懐妊した。
妻の懐妊にクレージュ公爵は、これで彼女から解放されると喜んだらしい。その後もシャーリン夫人の浪費は続いたが、妊娠七か月目から体調不良が続いて寝込むようになった。
そしてーー出産予定より一月早い時期に産気づき、クレージュ公爵令息を産み落とすと息絶えたのである。
私が生まれる前のクレージュ公爵の過去を知り、彼と結婚した相手が、釣書の中から適当に選ばれた相手と聞いてホッとしたのも事実だった。
「クレージュ公爵は素晴らしい方なのに、お相手には恵まれなかったのですね」
「あら、アルカードとは親しいのかしら?」
「ダニエル様より、クレージュ公爵の方が付き合いは長いですね。わたくしが六歳の時にレベッカと出会って、その流れでクレージュ公爵と知り合いました」
クレージュ公爵令息の付き添いで参加した園遊会で、彼は女性から逃れる為に王族のプライベートエリアに現れた。
レベッカと知り合っていなければ出会えなかった相手である。彼は父の後輩ではあるが、家の中でクレージュ公爵の話など一度も出ないのだから、レベッカには感謝しても足りないくらいだ。
「まあ!」
「わたくしの家が少し特殊なもので……父は母がいれば良いという人で、母の方は姉一人だけが大切なんです。その事に気づいてから自立しようと思って、七歳の時から個人資産を蓄えるようになりました。その関係でクレージュ公爵に協力を頂いておりまして……」
さすがにクレージュ夫人に全てを語る必要はないので、やんわりと要点だけを告げておく。
「もしかして新たな特産品?」
「それはクレージュ公爵への謝礼のつもりで、わたくしが勝手にやった事です。公爵領の騎士団の皆さまの備品を購入して頂いているので……その見返りではないですが、恩を返したくて」
「騎士団の備品って……まさか!?」
「ベルトポーチ型の拡張バッグと、野営用のテントに携帯食ですね」
「まあまあまあ!」
「クレージュ公爵は、わたくしにとって上客というか、スポンサー?」
ーー現状はスポンサーで間違っていないはず。
現在は婚約者の父親という立場だが、それ以前からの付き合いを説明するなら妥当だろう。
「それだけで新たな特産品を? 他家の者が争うように注文をしてくれるのよ。ソーセージやハムは氷室で長期保存も可能と評判が良いの。わたくしも鼻が高い思いをさせて貰っているわ」
クレージュ夫人が驚いた表情の後、新たな特産品について熱く語り始める。
「喜んで頂けて嬉しいです」
「それとトニックと炭酸水。あれは殿方に人気で注文が殺到しているわ。更にジャムやドライフルーツも人気が高いわね。ピクルスや塩漬けの野菜も、奥様たちに人気なのよ」
炭酸水は予想外の産物であったが、収穫した果実に傷がついて売り物にならない物を加工しただけ。保存食に関する概念がないのか、ジャムや発酵食品は開拓のしがいがあった。農家や市場で売れ残った野菜を安価で引き取り、それを塩漬けにしたり乾燥させて保存期間を延ばす。
これらを備蓄庫や各家庭でも保管していれば、収穫不足や農業地に災害があった時でも食料に困らない。長期保存が出来るので他領だけじゃなく他国まで運ぶ事が可能となる。
その中でもジャムの売れ筋が良いのだ。甘味が限られていた事が理由の一つだろう。砂糖は高価なものじゃないのに、なぜか砂糖漬けがなかった事。菓子類の種類が非常に少ない事が、私の中で不思議に思っていた。そのおかげでクレージュ公爵領が潤い、私にもおこぼれが回ってくる。
「廃棄処分の作物を無駄にしたくなかったので、わたくしなりに考えて加工してみたんです」
「素晴らしいわ!」
その後もクレージュ夫人と会話を楽しむ。
クレージュ夫人と打ち解けた私は、思い切ってデザイン画を見せる事にした。まだ仕立て屋に行っていないが、第三者の目にどう映るのか確かめておきたい。
私は先にクレージュ公爵令息用にデザインしたものを見せる。
「卒業式のパーティ用と、わたくしのデビュタント用のデザインです。事前にダニエル様から了承は取ってありますが、本音を言えば一緒にデザインを考えたかったですね」
「あの子は留学しているから、一緒にデザインを考えるのは難しいわね。それに孫の帰国を待っていたら、仕立てが間に合わなくなるから進めても大丈夫よ。これは服の細部まで記されている素晴らしいデザイン画だわ」
「ダニエル様に似合うと思って考えたのです」
「これを着たら注目の的ね」
クレージュ夫人と一緒に生地について話をしたり、服の飾り部分の小物についても話し合った。
意外にも縁取りに使う銀糸の刺繍糸や、クラバットの家紋は絶賛され、私も頭の中で考えていた完成品について語る。軍服やフロックコートを羽織る正装は、宝石や鉱石を誂った華美なものではなく、飾り紐や刺繍を用いる方が華やかで美しく見えるのだ。
そして私のドレスの話になった時、クレージュ夫人が物足りないとぼやく。
私が描いたデザイン画に幾つか訂正を入れられ、クレージュ夫人が懇意にしている仕立て屋に注文してしまったのだ。なぜか私のドレス代はクレージュ夫人が支払うつもりらしい。
孫の婚約者だから支払うのは当然と言い出したので、十四歳の子供らしく甘える事にした。




