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三歳から始まった礼儀作法と食事のマナー。
貴族の子供は食事のマナーが身に着くまで自室で食べる。
勿論、カトラリーは小さな手でも扱える子供用を使う。きちんとナイフとフォークは正しい順に扱えるか、椅子に腰かける姿勢だったり足と腕の位置まで細かくチェックされる。
姉は五歳になる間近でようやく及第点を貰い、両親と共にダイニングで食事を取っていた。
私は前世の記憶があるので食事のマナーに関しての問題はないが、うっかり猫背気味になってしまうので注意を受けてしまう。正しい姿勢は体中に力を入れる必要があるので、慣れるまで筋肉痛になったのは内緒である。
三歳児でも筋肉痛を感じるとは知らなかった。
礼儀作法に平行して簡単な授業も増えていく。さすがに三歳児が学ぶのは簡単な読み書きで、幼い子供でも分かりやすい絵本から始まる。
それでも知らない事を覚えるのはとても楽しい。
私は知識欲に目覚めてしまった。
六歳の誕生日を迎える前に、ほとんどの事を学び終えてしまったのである。この先は学校へ通って専門の教師に学ぶらしい。国内にある有名な学校は五つしかなく、その学校は王都に集中していた。
王都まで遠くて通えない国民は、住んでいる地域の領主が経営している学校で学ぶ。
王都にある学校はそれぞれ国立と王立があり、国立は公立学校であり王立は私立学校の意味だろう。
国立ヴァソール学園は八歳になった年に入学試験を受け、それに合格しないと入学出来ない。国内で最も偏差値が高いと有名な学校だ。
王立ノヴェール学院は十二歳になった貴族子女が通う貴族学校という立ち位置。主に国立ヴァソール学園の試験に落ちた者が通っているらしい。こちらも入学試験はあるが、幼い頃から家庭教師がついている子女にとって簡単に合格する内容らしい。
国営オードブル学園は八歳から入学可能。国内の貴族子女を含む、全ての国民が通えるマンモス校。入学金や学費がリーズナブルなので平民も通いやすい上に、そこへ通う貴族子女も男爵家や準男爵家が多いと聞く。
ルーセル付属学院は十二歳から通う寄宿制の男子校である。主に次男以降の男子が手に職をつける為の学校で、騎士科と執事科に書記科を選んで学ぶ。
セルペット女学院は八歳から入学可能で、誰でも通える全寮制の女子高である。いわゆる花嫁学校だ。ここで礼儀作法や家政について叩き込まれるらしい。
セルペット女学院の卒業生は婚家先でも評判が良いようだ。
私の姉も八歳の年に国立ヴァソール学園の入学試験を受けたけれど、ほとんど回答が出来なくて合格が叶わずーー十二歳になったら王立ノヴェール学院へ通う予定らしい。
あんなに勉強をしていたのに解答欄を埋められないとは、どれだけ難しい内容だったのだろう。
私が入学試験を受ける年齢まで二年。
国立ヴァソール学園へ通う事は貴族のステータスらしいので、内心プレッシャーを感じるが努力してみよう。
学校の入学試験を受ける前に、貴族子女は六歳になると社交の場でお披露目となる。そのデビューは六歳の誕生日を家で祝う事で招待客にお披露目をするか、初夏に行われる王家主催の園遊会。
王家主催の園遊会は基本的に、伯爵家以上の爵位を持つ子女しか参加できない。建国から続く男爵家と子爵家は旧家として参加の対象となり、また参加資格のある伯爵家でも授爵したばかりの家は対象から外れる。
新興貴族は最低でも五年は続かないと、たとえ伯爵家でも参加資格はないようだ。
私の誕生日は春ーー四月生まれ。
誕生日の当日にお披露目パーティが開かれ、祖父母と両親は勿論、彼らと親しい貴族たちが子連れで集まった。これまでは姉以外に子供を見た事がなかったので、普通の子供の反応だったり行動は参考になる。
母方の祖父母や叔父家族も招待され、初めて従兄弟と対面した。
祖父はアルバン・タイペイでタイペイ閣下と呼ばれ、祖母はアデライド・タイペイ夫人と呼ばれているらしい。現在の当主が母の弟でマリユス・タイペイ伯爵、その妻はブランシュ・タイペイ伯爵夫人。
叔父は温厚そうな爽やかイケメンに対し、妻ブランシュは気の強そうな感じの女性だった。従兄弟はシャルルと名付けられ、私より四つ下の年齢だと教えて貰ったので二歳の幼児である。
私の誕生日パーティの参加者で最年少!
その他アグレッサ侯爵家と縁のある家族や、中立派閥の家族と対面を果たす。
この国にある派閥は王族派と貴族派の二つであり、そのどちらにも属さないのが中立派らしい。良く耳にする派閥同士の醜い争いは存在せず、ある意味とても平和な国で良かった。
その派閥というのは芸能人のような扱いに近い。
王族の外見が好きだから王族派に入り、筆頭公爵家の外見が好きだから貴族派といった感じだろうか。そもそも公爵家というのはルーツ的に王族の血筋のはず。
ーーもしくは侯爵家の事だろうか?
心当たりがあるとすれば父親しかいない。
アグレッサ侯爵家は裕福だけど筆頭ではなかったと思う。有名なのはアンダーソン侯爵家とヴァソール侯爵家の二つの家。クレージュ公爵家は先代の夫人が現王の姉マリーテレーズ・アデレード第一王女殿下と記憶している。
歴史の勉強で覚えた事だ。
クレージュ公爵家は貴族ではなく、カテゴリ的に王族になるはず。王位継承権は低いと思うが、王族に万が一の事があれば継承順位が上位になる可能性がある家系だ。
そうなると貴族の筆頭となる存在は、アンダーソン侯爵家とヴァソール侯爵家の二家だろう。
まだ会った事がないので園遊会に期待している。私の父よりも外見が整っている男性がいるのか。
私は父の顔は嫌いじゃないが好みではない。顔は確かに超絶美形で眼福なのだが、体の線が細すぎるのだ。筋肉がつきにくい体質なのだろうか。たまに母をお姫様抱っこしている姿を目撃しているので、あんなに細くても父はひ弱ではなさそうだ。
個人的にバランスのとれた筋肉がついている男性が好みである。細マッチョなら余計に。
残念な事に私は六歳児。
自分の好みの男性を園遊会で見つけても、相手から恋愛対象として見られない。
厳しい現実にしょんぼりと項垂れていると、私の専属メイドが声をかけてきた。
「ジュリエンヌお嬢様、仕立て屋が参りましたので移動しましょう」
「はい」
これから園遊会へ着て行くドレスを仕立てる為に、アグレッサ侯爵家が贔屓にしている仕立て屋を呼びよせ、サイズの寸法やドレスのデザインを選ぶ。
私だけじゃなく両親と姉の衣装も選ぶらしい。
園遊会は子供だけじゃなく両親も参加するので、子供に合わせた衣装を新調するのが常識のようだ。この園遊会へ参加する子供の年齢は六歳から十二歳までと決められている。
上流階級の集団見合いのようなもの。大半はお見合いを目的としているわけじゃなく、将来の友人だったり就職の伝手を見つける事が重要らしい。六歳で婚約者を見つけるより、親しい友人を探す方が健全に思える。
「お嬢様はどういったドレスを選ばれますか?」
「動きやすくてシンプルな物が好きよ」
「レースやフリルはお嫌いですか?」
「ゴテゴテしているデザインは嫌いだわ」
「ハリエットお嬢様は藍色のドレスを選ぶようです。それにレースやフリルをつけて、可愛らしくデザインされた物を考えておいででしたよ」
姉が藍色のドレスを欲しがるのは、父の瞳の色だからだと思う。フリルはドレスと同色にしたとして、レースは父の髪色である銀色かーーもしくはドレスを銀糸の刺繍で彩るかも。
姉の父に対する愛はブレない。
メイドと他愛のない会話をしながら目的の部屋に向かう。
仕立て屋がいるのは一階にあるダンスホールの間である。持参してきた布やサンプル品を並べるのに、充分な広さがあるダンスホールが一番適しているからだ。
同時に体の寸法を測るのに複数の衝立も必要な為、仕立て屋の従業員の人数もそれなりに多くなる。仕立て屋が連れてきた従業員の人数が足りなければ、侯爵家のメイドも助っ人に駆り出されるようだ。
あちこちで侯爵家のメイド服を着ている女性が目に入る。
「ジュリエンヌお嬢様」
メイドに呼ばれて声のする方へ視線を向けた。
「サイズを測りますのでこちらへ」
手前にある衝立の奥へ進むと、メイドと知らない女性の二人に下着姿にされ、メジャーの役割をしている紐状の道具で体中のサイズを測り始める。首回りから始まって肩や腕に続き、胸囲と腰回りと徐々に下へと移動していく。
もの凄く細かく寸法を測るんだなと驚いてしまう。
誕生日会に来たドレスは頭から被るタイプで、サッシュベルトで裾の長さや腰回りを調整するだけで済んだのだ。ドレスといっても着て行く場所によって種類が違うのか?
大人の女性なら正式な場へ向かう時は宮廷式といった正装がある。主に結婚式や王宮で行われる爵位の授爵式や、王族の生誕祭に着て行く正装スタイルだ。
それとは別に夜にある舞踏会用のイブニングドレス、昼間に開催される茶会用のディドレスが存在しているのは知っている。男性の方も正式な場への正装は軍服っぽい装いだが、夜会と茶会へは特に変わり映えのないもの。
夜会にはレース地の華やかなクラバットを使用し、茶会にはシンプルな物を選ぶので場所によって少しだけ違う程度。
女性の方が色々と準備する分、面倒臭いと思う。
「お嬢様、お疲れ様でした。次はドレスの生地とデザインを選びましょう」
脱いだ服を再び着直してから生地を選ぶ。
どの生地も全て無地のものばかりだ。これに刺繍やビーズを散りばめて模様を描くのだろう。お針子の仕事が好きな人じゃないと続かない作業だ。
ハンカチ程度の大きさの刺繍なら趣味に出来るが、ドレスに刺繍をするのは無理だと思う。
目の前に広がっている生地に触れたり、色の違いを比べてみる。
「ジュリエンヌお嬢様の美しい銀髪には、ブルー系の色あたりが映えますよ」
「お姉様が藍色のドレスを作ると聞いたから、別の色が良いわ……」
どうせなら地味な色が良い。
ふと視界に黒い生地が入ってきた。手に取って肌触りを確認すると、絹よりも柔らかくて光沢がある。何の素材なのか分からないけれど、手触りが心地よい。
「これ! この生地が良いわ。黒でも構わないのかしら?」
「黒色……ですか」
その反応だと不味い色を選んでしまったようだ。
「お嬢様、黒い色は王族と公爵家の持つ髪色なのです。別の色を選ばれた方が良いかと」
黒は王族の髪の色だったのか。
この色を選べるのは王族か公爵家の人間のみとなる。歴史に人物像は記載されていても、髪や瞳の色の説明がなかったので失念していた。
「そうね……」
とても手触りの良い生地だったのに残念に思う。
黒い色も好みだが、この素材は得難いものがある。名残惜しそうに生地を触っていたら、仕立て屋の従業員が別の生地を差し出してきた。
黒い生地と同じく光沢のある薄い灰色に近い色である。
「その生地が気に入ったのなら、お嬢様の髪色のものがございますよ」
「気に入ったわ」
私のドレスの色は薄い灰色に決まった。
次はドレスを装飾する刺繍の柄やレースの素材を決める。
「フリルとレースは最小限にしたシンプルな形が良いの。刺繍は同じ色で濃淡をつけた感じが良いわ」
母親のような大ぶりな花ではなく、邪魔にならないような小さな花ーーカスミソウって、この世界にも存在しているだろうか。少なくとも庭で見た事がない。
「小さな花の種類ってどういったものがあるの?」
「小ぶりのものですか……スミレにパンジーあたりでしょうか。ああ、ライラックとミモザを忘れておりました。それからスズランとカスミソウもありますね」
「カスミソウが良いわ」
「小さな花がお好きなのですか?」
「大ぶりな花よりも好きよ。小さな花弁が散らばる感じで、その隙間に葉を入れて欲しいの。花は明るめの白い刺繍糸で葉の部分は同じ白でもくすんだ色が良いわ。白い糸でも色の種類があると思うのだけど」
「私の所にある白い糸は全部で六種類しかございませんが、それでも大丈夫でしょうか?」
「その中で明るい色を花に使って、葉はくすんだ色を選んで欲しいの」
「かしこまりました」
「有難う」
仕立て屋の人とドレスのデザインについて話していると、母親が此方に近づいてくるのが見えた。
「ジュリエンヌ、ドレスのデザインは決まったかしら?」
「はい、お母様」
「ハリエットの方も素晴らしいデザインが出来たのよ」
そういえば両親の傍に姉がいた気がする。
下の娘を放っておいて姉の方に気を配っていたのか。
「奥様、こちらも素晴らしい案が出来ましたので、仮縫いが出来ましたらお持ち致します」
「そう、お願いね」
「ジュリエンヌお嬢様、お疲れ様でした」
「有難う、こちらこそ楽しかったわ」
にっこりと笑みを浮かべて答えると、仕立て屋の人が顔を赤らめる。
私は邪魔にならないようにダンスホールを出て、次に目指すのは侯爵家の図書室だった。家庭教師に教わる事はなくなったが、魔法について知りたい事がたくさんある。
主に姉が仕掛けてくる防衛の為だが、すぐに身に着けられる魔法があれば取得しておきたい。自分の部屋は結界魔法で防御している為、私のメイド以外は立ち入れない状態にしてある。姉や姉のメイドがドアノブに触っても、部屋の扉が開かれる事はない。
両親も同じだ。
あの結界に登録しているのは、私と専属メイドのみ。
万が一、私のメイドが姉に買収されたら部屋が開かない仕組みだ。これは前世の記憶の一つで、賄賂や買収で相手の言いなりになる人をニュースで見た事がある。
人間不信だと思われるかもしれないが、この六年ずっと姉からの殺意を感じて過ごしてきたのだ。殺意をぶつけるだけなら良いが、本気で実行してくるのだから質が悪い。
八歳になった姉も少しは知恵をつけてきた分、こちらも油断せずに様子を伺う。
子供のお茶会は十歳から参加可能だが、姉に友人はいるのだろうか。園遊会へは参加しているので顔見知りになった相手はいそうだが、そういった話題は一度も聞いた事がない。
ーーもしかして姉はボッチ?
私もそうなる可能性があるので言葉は控えておこう。
そしてーー夕食の時間まで、私は図書室に籠って読書をして過ごした。




