< 19 >
クレージュ公爵領での生活も二週間が過ぎると、他の令息たちに遠慮がなくなってくる。
まるで自宅のような寛ぎっぷり。
そして料理のリクエストがエグイ。
レベッカが提案するまま料理をしていると、厨房に顔を出して自分の食べたいものを要求するのだ。
現在もレジス侯爵令息にリクエストを迫られている。
彼が食べたいのはアップルパイ。
意外にも甘党らしい。
「まさかジュリエンヌ嬢の料理が食べられるなんて思ってなかった。レヴィ嬢の提案と言っても、こうして料理を作っているのはジュリエンヌ嬢だろう?」
「そういう事ですわね」
「ダニーが本当に羨ましいよ。ジュリエンヌ嬢と婚約できて……今更だから言うけど、俺の家も婚約の打診を送っていたんだ」
レジス侯爵令息から爆弾発言を頂いた。
「え?」
ーーどういう事だろう?
ここへ来た初日から知らない話を聞かされる。
「両親が園遊会で初めてジュリエンヌ嬢を見て、すぐに婚約の打診をしたらしい。すぐに断りの文が届いたみたいだけどね」
「初耳です……そういった話を両親はしないものですから」
初めての園遊会と言えば私が六歳の時だろう。
確か園遊会の場へ向かってすぐにレベッカと知り合い、その後は王族のプライベートエリアで過ごしていたので、私の姿は一瞬しか見られなかったはずだ。
ほとんどの者は参加していても、私の姿を見た事はないはず。
「そうなんだ?」
「ええ、わたくしの家では姉が優先なのですよ。わたくしも幼い弟も両親は無関心ですの。だから……婚約の話も聞かされた事はありません」
「姉君ってハリエット嬢だろ? シリウスの婚約者のーーあいつの両親も本当はジュリエンヌ嬢に婚約の打診をしたはずだ。蓋を開けてみれば姉の方と婚約をさせられてしまったけどな」
ーーマジか!?
コンサル侯爵令息は知っているのだろうか。
それが本当なら、どういった経緯で姉の婚約者になったのか謎である。コンサル侯爵令息は三男だから、成人後に生家を出ていく立場だ。
爵位を持たない私と婚約をするよりも、長女の姉と婚約した方が利と見たのか。
姉のハリエットはアグレッサ侯爵家を継げなくても、シャプル伯爵という爵位が継げる立場である。コンサル侯爵家も息子には貴族でいて欲しいだろうし、将来は爵位を持っている令嬢と結婚させたいと願っていたのだろう。
この世界に生まれて十二年だが、私の両親に関しては全く分からない。
ーーそもそも親子としての関係性が薄すぎる。
こうして第三者から話を聞かされるくらいなら、普段から聴覚を張り巡らせて情報を把握しておいた方が良さそうだ。両親のイチャイチャは勘弁して欲しいが、父の執務室での様子や侍従か執事との会話。
姉に重点を置いていたので両親の情報を怠っていた。
婚約の打診も私が六歳の頃の話らしいので、確かに当時の年頃で婚約するのは早いと思う。その件に関して私に何も語らなかったのは、娘を持つ親として当然の判断だと信じたい。
「結果はどうであれ、俺もシリウスもジュリエンヌ嬢との縁はなかったけど、国立ヴァソール学園へ入学してくれたおかげで先輩になれた」
「ふふふ、そうですね。これからも頼りにしていますわ、先輩」
「ああ、任せてくれ」
レジス侯爵令息がとても良い笑顔で頷く。
「二人で密談?」
そこへふらりとコンサル侯爵令息が厨房へやってきた。
「シリウス兄様」
「良い香りがして覗きに来たんだ」
アップルパイの匂いにつられて足が向いたらしい。
彼も甘党らしく、クッキーやマフィンに目がないと言う。生クリームをたっぷりつけて食べるのが密かな楽しみのようだ。柔和な雰囲気のコンサル侯爵令息が、甘いお菓子が好きだと言っても違和感を感じない。
どちらかと言えば、クールな見た目のレジス侯爵令息のギャップに驚いた。黙って立っていれば凛々しい顔立ちの貴公子である。その彼が甘いものに目がないとはーーギャップ萌えの女子には美味しいだろう。
「シリウス、感謝しろよ。俺がアップルパイをリクエストしたんだ」
レジス侯爵令息はドヤ顔で告げているが、作っているのは私である。
「フィルが?」
「ジュリエンヌ嬢が料理を得意としているなんて知らなかったよ。シリウスは知っていたのか?」
「いやーージュリエンヌ嬢とは学園以外で会う事はなかったから知らなかったよ」
「いやだって婚約者の妹だろ?」
レジス侯爵令息が信じられないものを見る目で、コンサル侯爵令息と私の顔を交互に見る。
「そもそもジュリエンヌ嬢をアグレッサ侯爵邸で見た事がない」
コンサル侯爵令息が肩を竦めながら呟いた。
私は姉の婚約者が邸に来る事すら聞かされていないし、休日はレベッカと過ごす事が多い。もしくはクレージュ公爵令息とお茶会をしている。
過去を思い返してみれば、十歳を過ぎてから行動範囲が広がったように思う。
「わたくしもシリウス兄様と初めてお会いしたのが、国立ヴァソール学園の生徒会室です。念のために言っておきますが、シリウス兄様のお名前だけは存じておりました」
レベッカとアンダーソン侯爵令息が教師から生徒会へ推薦された時、私はレベッカに誘われて同行したのだ。
彼女に誘われた事は言うまでもないが、姉の婚約者になった相手の顔を見てみたいと好奇心が疼いたのである。新入生の挨拶の時に見かけたが、遠目だった為に顔が良く見えなかった。
生徒会室へ訪れた時に間近で見た彼は、とても優しそうな雰囲気で緊張も解れたのである。
「さっきジュリエンヌ嬢が言った事は本当なんだな」
「さっき? どんな話をしていたんだ?」
コンサル侯爵令息は私たちの話が気になるようだ。
「ジュリエンヌ嬢の家では、姉君のハリエット嬢が優先されているって話さ。ジュリエンヌ嬢と嫡男には無関心らしい」
レジス侯爵令息の言葉に、コンサル侯爵令息が声を漏らす。
「ああーーようやく納得がいったよ。僕がアグレッサ侯爵邸へお茶に誘われても、その場にいるのは婚約者だけだったり、義理母上を交えて三人で過ごす事が多い。たまに義理父上が顔を出すくらいかな?」
私の知らないアグレッサ侯爵家の話だ。
姉の婚約の話は事後説明で、両家の顔合わせすら参加させて貰っていない。
その頃の私は十歳の時だろうか。
私が子供すぎたせいで参加させて貰えなかったと思うようにしている。
世間での十歳は「レディ」と呼ばれる年齢だが、私の家を他家の常識と一緒にしてはいけない。それが当たり前の事でも、我が家は独特な家庭環境なのだから。
「まるで家族が三人しかいないような振る舞いじゃないか?」
レジス侯爵令息は納得していないようだ。
それに対してコンサル侯爵令息が溜息を漏らす。一般的に両家の顔合わせの際は、幼い子供でもその場に呼ばれるものだ。それをしないアグレッサ侯爵家というか、私の両親が特殊で異常なのだろう。
「両家の顔合わせの時も三人だけだったよ。僕の家は長兄が他国に行っているから欠席したけど、両親と次兄の四人で出向いた。正式な婚約の顔合わせのはずなのに、他の家族の紹介すらしない事に疑問を感じたよ」
コンサル侯爵令息も疑問に思っていたようだ。
両親の肩を持つわけではないが、少しだけフォローしておこう。
「わたくしの家は少し特殊のようですね。父は母にしか興味を持たないので、わたくしだけじゃなく子供全員に対して同じ態度なのです。母は……生家での環境が影響しているのか、姉に対して異常に過保護というか。わたくしと弟には関心を持っていないのです。その代わり自由気ままに過ごせているので助かっていますね。まだ幼い弟は寂しい思いをしている可能性はありますが、領地で祖父母が育てているので安心しております」
別に両親の愛情を必要としていない。
生まれた当時から大人の記憶を持っているので、親に関心を持たれなくても気にならなかった。私もある意味、冷めた子供だというのは自覚している。
姉に命を狙われているのに気づかない両親には、生後半年足らずで期待するのを止めたのだ。子供を守らない親は、自分の中で排除するべき存在だ。
余計な感情に振り回されるくらいなら、早々に見切りをつけて家を出る準備を始めるのが自分の為になる。
「アグレッサ侯爵夫人の生家って、もしかしてタイペイ伯爵家?」
「ええ、ご存知ですか?」
「ご存知も何も二属性魔法の使い手の家だ。この国で知らない者はいないさ」
レジス侯爵令息の年齢でも知っているという事は、国内でも当たり前に知られているという意味を持つ。
「先代のタイペイ伯爵は頭が固くて融通が利かないタイプだから、アグレッサ侯爵夫人は苦労したと思う」
私は十歳の時に祖母から聞かされて知ったが、それまで母の事について知ろうとしなかった。
姉の存在のせいで生まれた時からハードモードな人生だったので、母の事について知ろうと思う余裕がなかったとも言える。特に激しかったのは私が四歳になるまで。
その後は姉も知恵をつけて、他人を使うようになった分、私の魔力がいっきに上がった。
魔法の熟練度が洗練されたのは言うまでもない。防御の奥義である結界が物を言う。物理も魔法も跳ね返す。
現在も特定されていない人間は、私の部屋に入れないようにしている。弟が領地へ行ってしまったので、姉から送られてくる刺客の頻度が増えて面倒くさい。
現在進行形で姉に殺意を向けられているのだが、まさか卒業試験が合格に達しておらず、八月半ばまで補習を受けないと卒業出来ないなんて想像すらしていなかった。
私が頭の中で姉の事を考えている間も、レジス侯爵令息とコンサル侯爵令息の会話は続いている。
「先代当主は僕の父上も頭を悩ませていたよ。選民思想が強い人間は、自分を正義と勘違いしている所がある」
「まさにそうだな。自分の思想を相手に押し付けて欲しくはない」
これでも彼らは十六歳の少年だ。
本当に精神的に大人な人たちである。
だからこそ、私とベッキーも彼らとの会話が楽しいのだ。
「現在の当主は温厚で人柄は保証する」
母の四つ下の弟マリユス・タイペイ伯爵が、現在の当主らしい。
「魔力量の多さによって態度を変える人間も害悪だが、それに同意して貴族の特権や矜持と考えている人間も存在している。俺たちの祖父の年代には多くいるみたいだな。そんな古い考え方の親を持つと子供は苦痛だろう。ずっと言葉や態度で存在を否定され続けていたはずだ。先代のタイペイ伯爵のような、危険思想を抱かないような制度が出来れば良いのにって思うよ。でもさーーようやく代替えしてくれて、俺の父上も肩の荷が下りてホッとした気分に違いない」
レジス侯爵令息が笑みを浮かべる。
「フィル先輩は四属性の持ち主なのに、偉ぶったりしないので素晴らしいです」
私はアップルパイが焼けたのを見計らい、オーブンの中を確認してから鉄板を取り出す。
こんがりと焼けたパイ生地はきつね色に染まっている。
リンゴの焼けた匂いとバターの香りが素晴らしい。
「そんな下衆な事をするより、一緒に高みを目指した方が良いに決まってる」
レジス侯爵令息の視線はアップルパイに釘付けのようだ。
「そんなに見つめなくてもアップルパイは逃げませんよ」
「良い香りだ」
「早く食べよう」
私は厨房の端に置いてあるワゴンの上に出来立てのアップルパイを乗せ、二人を引き連れてダイニングルームへ向かう。なぜか他の全員もダイニングルームに揃っていた。
アップルパイの匂いは邸中に充満していたのだろうか。
甘い物が苦手なはずのクレージュ公爵までいる。どれだけ期待しているのだろう。
私がパイを切り分けようとしたら、給仕係の者が慌てて動き出す。そして私の手からケーキナイフを譲り受けると、全員の分のパイを切り分けてくれたので、私もパイを美味しく頂いたのだった。




