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私ーージュリエンヌ・アグレッサは、なぜか生まれた時から前世の記憶を持っている。
その前世の記憶は完全ではない。
自分の名前と家族構成について覚えていないが、それ以外の事は記憶に残っていた。自分が通っていた幼稚園から始まり小中高に、猛勉強して受験に受かった有名大学。
大学を卒業してから大手会社へ就職ーーそういった事は漠然と覚えているのに、自分に関わっていたはずの人間に関する事についても覚えていないのだ。
それについては覚えていないので、どうしても思い出したいという気持ちはない。
実は前世の記憶と知識があったからこそ、私は命拾いをしている。
私がジュリエンヌ・アグレッサとして生まれた日から、四歳上の姉ハリエットに殺意を向けられているのだ。
ーーちょ、マジかよ!?
いくら相手が四歳の子供とはいえ、その対象が生後二日目の赤子なら四歳児でも簡単に命を奪える。そして母親は何を勘違いしているのか、私に殺意を向けている姉を微笑まし気に見つめているのだ。
母親の名前はマグノリア・アグレッサ。
波打つ長い薄茶色の髪に空色の瞳をした癒し系のぽっちゃりさん。おそらく私を妊娠してふくよかになったのだろう。容姿は美女というより可愛い系のタイプだ。
世の男性の憧れであろうロリ顔に巨乳というヤツである。
そのせいでぽっちゃりさんに見えるのかもしれない。
父親の名前はダレン・アグレッサ。
これがまた目も醒めるような超絶美形!
銀色の髪はストレートで背中の中心に届く長さの髪だが、常に後ろで一つに束ねている。目の色は藍色で冷たい印象そのまま、自分の娘に対しても無表情で興味なさそうな態度だ。
姉のハリエットは超絶美形な父親が大好きなのか、彼の姿を見かける度に付きまとっている。四歳児なので父親の足元に抱き着く形だ。自分を慕う姉に対して素っ気ない態度を取る。
幼い娘に対する態度は悪い父親だが、母親に接する態度は優しいと思う。常に人形のような無表情の父親だが、母に向ける表情が少しだけ柔らかく感じるのだ。
そんな姉は美形な父親や可愛い系の母親にも似ていない。髪色と瞳は母親譲りなのだが、顔の造りが平凡極まりなかった。地味で目立たない容姿なので、服装によって庶民に間違えられそう。
ーー両親の遺伝子どこへいった?
生まれて数日しか経っていなので何の情報もないが、両親や姉ハリエットの装いを見る限り裕福な家っぽい。姉は仕立ての良さそうなエプロンドレスを着ているし、母親は絹素材の寝着を身に着けている。
父親は邸の中だからなのか、光沢のある白い無地のシャツと刺繍入りのベストに、ボトムスは農灰色のスラックスといったラフなスタイルが多いが、シャツもスラックスも仕立ての良さから高級品だろう。
ベストに刺されている刺繍も見事なものだ。
アラベスク模様に似ている柄が前身ごろを覆っている。
ラフな格好でも眼福な父親だが、宮廷舞踏会用の正装となれば女性の視線を独占するのは間違いない。この父親の美貌は認めるけど表情筋が死んでいる。
まるで感情のない人形のようだ。
私は母親の部屋に置かれたベビーベッドに寝かされているが、母親は豪華な天蓋付きベッドである。天蓋のカーテンは厚手の布に刺繍が施されているもの。母親の名前のマグノリアの花に蔦と葉が布全体に刺繍がされているので、特注品で間違いなさそうだ。
厚手の布に刺繍が入り、その内側にはレース生地の薄手のカーテンがあるので二枚重ね。
ーー裕福どころの家じゃない、まるで上流階級の寝室!
私の知り得た乏しい情報は、両親と姉の名前だけ。
アグレッサというのは家名だろうけど、世間的な家の情報まで入ってこない。
まだ一人で動けないので情報収集は動けるようになってからの方が無難だろう。
それよりも命の危機を回避する方が先だ。
ーーおそるべし四歳児の姉!
私は乳児の本能に従うべく睡眠を貪る日々を送るのだった。
しばらくしてから祖父母らしき二人が面会に来たのである。
「メグさん、ご出産おめでとう。なんて可愛らしい孫なんでしょう」
赤金髪をハーフアップにした琥珀色の目の上品な女性。
その隣には父親と同じ顔立ちの妙齢な紳士ーー髪と目の色まで一緒なので祖父に違いない。
「ジュリエンヌ、貴方は息子にソックリね。将来が楽しみだわ」
「おばあさま、いらしていたのですね」
いつの間にか姉が部屋に入っていたようだ。
その声に祖母が視線を一瞬だけ向けると、すぐに私の方へ視線を戻す。
「ハリエットは幾つになったのかしら? 来客中に無断で部屋に入るマナーを誰に教えられたの?」
「……ごめんなさい」
「ハリエットは妹が可愛くて仕方ないようです。暇さえあれば妹に会いに来るので……わたくしが入室を許可していたから入ってしまったの。義理母様、申し訳ありません」
母親がすかさず謝罪の言葉を口にする。
そんな母に祖母は小さな息を漏らしながら姉に視線を向ける。
「メグさんが言うのなら、今回は水に流しましょう」
「有難うございます」
「ーーですが、アグレッサ侯爵家の教育が問われる行動になりかねません。今後は無断で入室をするのではなく、きちんと先ぶれをしてから入室をする習慣を身に着けさせなさい」
「はい」
ーー上流家庭であると確信していたけど、まさか侯爵家の娘だったとは!
この祖母の口調から姉に対して何か思う所があるのか。幼い孫娘に対して意外に冷たい態度だ。四歳児の孫娘には厳しい態度なのに、母に対しては労いの言葉や態度が伺える。
「メグさんは出産後なのだから気に病む必要はないわ。ハリエットについている侍女とメイドの質の問題ね。幼い子供の言いなりになる使用人は不要だわ。これが増長すればロクな大人にならないし、アグレッサ侯爵家の醜聞になってしまうわね。後でわたくしが確認しておくわ」
そこへ父親が部屋の中に入ってきた。
マグノリアの夫という立場と、自分たちの息子という気安さもあるのか、先ほどの姉に対する祖母の態度と極端に違う。
「ダーレン!」
父の姿を確認した祖母が満面な笑みを浮かべる。
「父上と母上、挨拶が遅くなった」
「貴方は執務で忙しいでしょうから、こちらの事は気にしなくても良いわ」
祖母の言葉に祖父も頷く。
「娘の顔を見にいらしたのでしょう。名前は母上が候補に挙げていたものから妻と一緒に選んだ」
「そうね、良い判断だわ。最初の孫の時も名前を考えていたのに、貴方たち二人で名付けて書類を提出しまったから残念に思っていたのよ。それにしても……この子は本当に貴方にソックリね。年ごろになってメグさんに面差しが似れば、社交界で注目の的になりそうよ」
私の名前は両親ではなく祖母が考えたものだったのか。
姉の名前は両親が悩んで決めたものなのだろう。祖母の言葉を聞いていた姉が嬉しそうにしている。両親が考えてくれた名前だと知れた事が嬉しいのだろう。
おそらくだが、父ではなく母が考えた名前に、彼が同意しただけだと予想する。
娘に対して興味を持ってなさそうだし、子供の名前を考える時間すら無駄だと思っていそうだ。
「前回の件を反省した上で妻と相談して決めた」
両親にはそう言うしかないだろう。
きっと母だけじゃなく、邸にいる執事や侍従に考えさせたはずだ。その中で無難な名前を選んだに違いない。私の考えは正しいと思う。
「わたくしは貴方を出産するまで苦労したわ。流産と死産を経験して、ようやく授かった貴方の成長が生きがいだったの。そしてメグさんという素敵な女性と結婚して、二人も子を授かるなんて……夢のようだわ」
私を腕に抱きながら祖母が自分の辛い過去を語る。
流産と死産はショックだった事だろう。子は天からの授かりものと言われているくらいだし、夫婦どちらかに欠陥があっても子を授かれない。
この世界の医療が高度じゃない可能性も出てきた。
さすがに原始レベルではないと思うが、いつか自分が怪我をした時や病気の時に困る。私が小さな頭で色々と考えている間も、祖母を交えて両親が話を続けていた。
「メグさんが息子の嫁に来てくれて嬉しいわ」
「妻は私には勿体ないほど素敵な女性です」
「旦那様……」
「ふふふ、息子夫婦の仲が良くてアグレッサ侯爵家も安泰ね」
娘には塩対応な父親でも、祖母や妻に対する態度は柔らかい。
夫婦仲が良いのは家庭円満の秘訣だが、妻に向ける優しさの欠片くらい娘にも分けて欲しいものだ。
「まだ嫡男を産んでおりません」
母は蚊の鳴くような声を漏らす。
上流貴族なら嫡男が後継者になるのは当然の事だろう。
「あら、嫡男を産む事は立派な事だけど、娘にも爵位が引き継がれるのよ? 貴方は孫を二人も生み落としたのだから胸を張りなさい」
祖母の方は特に嫡男には拘ってなさそうだ。
先ほどの祖母の流産と死産の話を聞いた後だから、彼女にとって孫の性別は些細な事かもしれない。無事に生まれてきただけで奇跡なのだから。
それに両親はまだ二十代の若さだ。
私の下に兄弟が増える可能性だって捨てきれない。
「メグ、母上の言う通りだ」
父は母さえ傍にいれば、子供はいらないのかもしれないが。
この態度を見る限り、母に対する父の愛情は本物。
人形のように無表情なのは変わらないけれど、母に向ける眼差しと雰囲気が変わるのだ。本当に分かりにくいけど、この美貌で妻大好きオーラが凄い。
こんな美形に迫られても態度を変えない母の心臓もビックリだ。
ーーもしや、母は天然さん?
母の普通に接する態度が父の心を射止めたのかも。
これだけの美貌の持ち主を女性が見逃すはずはないと思う。上流階級の侯爵家の嫡男という立場も踏まえ、色んな女性に迫られた過去も、一つや二つじゃ足りない数がありそうだ。
どの世界や世にも肉食女子は存在する。
母の雰囲気はおっとりしているし、誰に対しても態度を変えない所に父が心を奪われた?
おっとりした雰囲気の癒し系な母は、父にとって女神に見えているのかもしれない。
「わたくしは恵まれているわね」
両親の会話に入っていないが、姉は父親の足に抱き着いている。父親は超絶美形だが塩対応なのに、それでも姉は父が大好きなようだ。もしかしたら母親より父親の方に偏っているかもしれない。
私に殺意を抱かなければ姉とも仲良くしたいが、どうして私を憎んでいるのか分からないままだ。
これまで祖父母と両親の愛情を独占していた姉は、ずっと一人っ子でいたかったのか。私という妹が誕生して愛情が減らされると懸念しているのかーー何より、姉が私に向ける感情は殺意そのもの。
何度も隙をつかれて殺されそうになったが、この世界に魔法が存在している事に気づかされたのは怪我の功名だった。母親の寝室から子供部屋に移された早々に、姉が部屋に忍び込んで私の顔に枕を押し付けてきたのである。
あやうく窒息死になる寸前に私の魔力が暴走した。
その騒ぎで大事には至らなかったけれど、姉は誰にも気づかれないように部屋に忍び込んで私を殺そうとする。さすがに私の世話をしている乳母とメイドが姉の様子に気づき、両親に相談を訴えたらしいがーー。
母マグノリアの「妹と仲良くしたい姉の気持ちを優先してあげて」と、乳母とメイドの言葉は信じて貰えなかったようだ。私の魔力暴走の件を考慮しなかったらしい。
姉の手によって命が危ういと危機感を持ってから、私は起きている間に魔力操作を自己流で覚え、一番危険な寝ている時に頑丈な防御結界を張れるまで魔法の腕を磨いた。
それと同時進行で周囲の気配を察知する能力と、情報を収集する為の聴覚を鍛えたおかげで、邸内にいる使用人や両親の会話まで聞こえる。
姉の独り言も聞こえるようになったおかげで、私に対する殺意の理由も知る事になった。
私に対する殺意は大好きな父親の容姿を受け継いで生まれたこと、姉は母親の色を受け継いだが容姿は両親のどちらにも似ておらず、自分の平凡な容姿にコンプレックスを抱いているのが原因らしい。
容姿に関しては運しかないだろう。
それを私にぶつけても姉の容姿が変わるわけじゃない。逆に父に愛されている母の色を持って生まれてきた事を喜んだ方が良いのでは?
姉の被害妄想の末に殺意を抱かれていたとは思っていなかった。
この静かなる攻防で私の魔法の腕はぐんぐん伸びていく。ついでに魔力量も増えて、最初は私の周りしか出来なかった防御結界は、子供部屋全体まで広がったのである。
そうして月日は瞬く間に過ぎて、ジュリエンヌ・アグレッサは六歳の誕生日を迎えた。




