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 鏡台に立ち、自身の姿をまっすぐに見る。

 くるりとウェーブのかかった淡いピンク色の髪と、まんまるとしたローズピンク色の瞳。

 ほんのりと赤く染まる、ふっくらとした頬に、垂れた目元。


 システィーナ学園に入学すれば、きっと私もお姉様のように洗練された大人の女性に近づける。

 そんな淡い期待を抱いていたけれど、鏡の中の私はどう見てもまだ子供っぽくて、夢は夢のままでしかなかったのだと突きつけられる。


 背後では、見慣れない使用人たちが手際よく私の髪を梳き、器用に編み込んでいた。


 ここは、ラティア伯爵家の別宅。

 使用人に見覚えがないのも当然だった。ここは、幼いころに一度だけ遊びに来たことがあるだけだったから。

 そのうえ、窓の外に広がる庭園の景色も時間が経っているせいか記憶の底にかすかに残っているものとは随分違って見えた。


 暖かく、空気も澄んでいて療養には最適。きっと両親はそんなもっともらしい理由を並べ立て、私をここに閉じ込めたのだろう。いつ目を覚ますかも分からない娘を、ただ家に置いておくわけにはいかないと。

 あの人たちらしい、冷静で計算高い判断だと思う。


「フリルお嬢様、お客様がお見えです」

「……今、行くわ」


 ちょうど支度も整ったところだった。

 私はドレスの裾を持ち上げ、呼びに来た使用人に案内されながら広い邸宅の玄関へと歩いた。


 屋敷の前庭まで来ると、そこには既に一台の馬車が停まっていた。

 漆黒に塗られた車体は朝日を反射して鈍く光り、家紋の刻まれた銀の装飾が荘厳さを際立たせている。


 馬車の重厚な扉が静かに開かれ、中から一人の青年が姿を現した。


「いらっしゃい。……ノア」


 青がかった黒髪が朝の光を受けてさらりと揺れ、整った横顔が淡く浮かび上がる。吸い込まれそうなほど魅力的な蒼い瞳。右目の下にある小さなほくろは、その美貌にほんの少しの色気と危うさを添えていた。


 目を覚ましたばかりの時、どうして私がすぐに彼がノア・ローゼンタールだと気付けなかったのか、今分かった。


(私が知っているノアはまだ幼いちんちくりんだった気がするのに……一年以上経てばこんなに大きくなるの?)


 それこそ私は変わっていないのに、ノアは十センチ以上も伸びているように見える。こんなにも大人になっていたら、すぐに気づけないのも当然だ。


「ああ」


 私の知っているノアの声よりも少し低い男性の声。その落ち着きと優しい話し方が私をさらに動揺させた。


 どうして私がここまで動揺しているのか。それはけして、彼の容姿が大人びたものになっていたからではない。


(本当に、本当に私とあなたは……)


 セシリアお姉様から聞かされたことは信じられないことばかりだった。


 その中で一番信じられなかったこと。それが、システィーナ学園に入学してから私とノアは形式上の婚約者というだけでなく、互いを愛し合う恋仲になっていることだった……。




∴∵∴ ୨୧ ∴∵∴ ୨୧ ∴∵∴ ୨୧ ∴∵∴




 サファイア、アクアマリン、ブルートパーズ。この世にあるどんな青色の宝石でも言い表すことは難しいだろう。ローゼンタール公爵家の直系特有の美しい蒼の瞳。その目がこちらをまっすぐに見つめていた。


 庭園の奥、白い石畳の上に据えられた円形のテーブル。涼やかな風が吹き抜け、花々の香りがふわりと漂う。


 だというのに、空気は妙に張りつめていた。


「記憶を失ったと聞いた」


 沈黙が流れる中、先に口を開いたのはノアだった。

 私たちが二人でお茶をすることは婚約者という建前上、数えきれないほどだったが、こんなにも静まり返っていることは初めてだったから気まずさでどうにかなってしまいそうだった。


 私の記憶にある限り、いつもギャーギャーと文句を言い合って「君は口を閉ざすと死ぬ呪いにでもかかっているのか」とか、「そういうアンタは本ばかり読んでつまらない男」だとか、互いに罵ることばかり言うのが私たちだったから。


 その空気の違いに耐えきれず、とりあえず相槌代わりに小さく頷く。


「いつからだ。いつからの記憶がない?」

「えっと、一年前くらい? システィーナ学園の入学の十日前くらいかしら」


 私の返事に、ノアは深く息を吐くと、こめかみを押さえるようにして目を伏せた。


「それならば忘れてしまったんだな。俺とお前が、恋仲だったということも」

「…………」


 まさか、早速持ち出してくるなんて。


 そしてノアは次の瞬間には穏やかな笑みを浮かべたのだった。先ほどの苦々しい顔がまるでなかったかのように振舞って。


「随分と苦労しただろう。理解に追い付くまでにも時間がかかったはずだ。何かあれば、すぐに頼ってくれ」


 私はどうにか話を逸らそうと必死に頭を回転させていたのに、先に話題を変えてくれたのはノアの方だった。


「……ありがとう?」

「俺は君の婚約者だから、当然のことだよ」

「まあ、そうね。……それにしても慣れないわ。あなたのその気持ち悪い態度」


 私はわざとらしくため息をつく。


 慣れろと言う方が難しいのだ。ノアの中で、私の記憶にない私がどんなふうに振舞い、どんな甘い言葉や仕草を求めたかは分からないが、私にとっては違和感でしかない。


 目の前にいる男は、確かに私の知るノア・ローゼンタールなはずなのに……。


 まるで、目覚めてからずっと続いている現実と記憶の乖離を象徴するかのような存在。


 今日ここに、ノアが来ることは分かっていた。

 それも、ノアは私が意識を失ってから毎日、1日も欠かさず私に会いに、この別宅へ通っていたという。


 口を開けば争い、目が合えば頬のつねりあいだった私たちが愛し合った? ……いや、ありえないでしょ。


 私は口を閉ざしたまま、この間の気まずさをどうにかしようと目の前に並べられたスイーツに逃げるように手を伸ばした。


 チョコレートケーキに、苺のタルト、艶やかなクリームを纏ったケーキたち。宝石のように並ぶそれらは、ただ見ているだけでも胸を高鳴らせるほど美しかった。


 ひと口、ふた口と食べ進めるうちに、気まずさもほんの少し紛れてきた。


(別宅のシェフが作ったとは思えないほど美味しいスイーツね。甘い、美味しい、甘い!)


 私は目の前の男のことなんてお構いなしにぱくぱくと夢中で頬張った。暫くして、ふと視線を感じ、顔を上げるとノアの蒼い瞳と正面からぶつかった。


 ノアがまんまるに見開いて、こちらを見下ろしていたのだった。


(あ……どうしよう)


 さすがにやりすぎたかと焦っていると、ふっと笑みを零したノアが、私に向かって自身の側にあったケーキの皿を差し出した。


「ほら、これも食べろ」


 不意に差し出されたのは、ノアの前にあったケーキの皿だった。


 一瞬、意味が分からず瞬きを繰り返した。

 そして、思い出した。昔から、ノアは自分だって甘党のくせに、私にいつも譲ってくれる癖があったことを。


 沢山食べたら太るぞ、なんて悪態をついていても、その優しさを感じられないほど私はバカじゃなかったのよ。


「ありがとう」


 私は感謝を口にすると、差し出された苺と生クリームのケーキにそっとフォークを入れた。


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