5.懐かしい時間
「それで、リーンとのデートは楽しかったかい?」
ワイバーンを討伐した翌日、リーンと一緒に町をぶらついた後、俺とアルクはエド町の宿屋の温泉に入っていた。
仕事が終わり同じく温泉に入りに来たハルトが、湯に浸かりながら俺達に問いかける。
「やめてよ、ハルトさんまで!デートだなんて……。リーンはただしょこらと一緒にいたかっただけだし、僕は完全に嫌われてるよ……」
「そんなことないと思うけどな。リーンは素直じゃないからね。残念だなあ、アルク君が僕の弟になれば面白かったのに」
「え、ハルトさんも、そう思う!?」
「おいお前……だからそんな不純な動機で、結婚相手を選ぶなよ……」
俺は横から口を出す。
アルクとハルトが温泉に浸かる横で、俺は床に座り込んでいる。
「あははは、しょこら君、心配は無用だよ。ただの冗談だ。アルク君には心に決めた人がいるらしいからね」
そう言って俺ににっこりと笑いかけるハルトを、俺はジロリと睨みつける。
風呂上りにアルクとハルトは、瓶に入った黄色い飲み物を購入する。
エド町にしかない飲み物で、フルーツ牛乳と呼ばれている。
「僕はどちらかといえばコーヒー派なんだけどね。この世界には残念ながらコーヒーがない」
ハルトがそう言ったが、アルクは目を輝かせてその黄色い飲料を飲んでいる。
「この世界で温泉に入って、フルーツ牛乳が飲めるなんて、本当に最高だ……。ハルトさん、本当にありがとう……」
エド町に根付いている文化は、ハルトがハジメだった頃、新しい領地を作る際に生み出したものだ。
この時の俺達は知る由もないが、ハジメはただアルクのために、それらの文化を築き上げたのだ。
ハジメはアルクが日本出身であることを、その言動の端々から感じ取っていたのだ。
「気に入ってもらえてよかったよ。」
ハルトはそう言って、にっこり笑った。
「へえ、君達の部屋は、結構広いんだね」
温泉の後、部屋まで付いて来たハルトが、中を覗き込んで言った。
「僕は宿屋に泊まったことがない。いつも兵舎での生活だからね。……すごいな、やはり兵舎のベッドとは違って、すごく大きくて質が良い……」
ハルトはベッドに座り、尻でその感触を確かめるように、体を小さく上下に動かす。
「ハルトさんは、明日も仕事なの?」
「いや、明日は休みだ」
「なら、ここに泊まってったら!?」
アルクが目を輝かせながら言う。
ハルトはアルクを見て少し考えていたが、やがてにっこり笑った。
「それはいい考えだね。なら、そうさせてもらおうかな」
アルクは完全に旅行気分になってはしゃいでいた。
アルクとハルトは宿屋から貸し出される浴衣を着て、俺達は宿屋にある大広間で飯を食う。
もちろん全員刺身を注文した。
飯の後、三人で館内を歩いていると、アルクがふとある場所に目を留める。
そこは小さな遊技場のような一角で、台の上で互いに玉を突き合う「卓球台」というものが置かれていた。
「イタッ!イタッッ!!!しょしょしょこら、痛い痛い!!!わああああ!!」
スパーーン!!スパーーン!!
俺は猫パンチで、容赦なく次々とアルクに向かって玉を打ち付ける。
大量の玉はアルクの体にビシビシと激しくぶつかった。
「ちょっ、ちょっと、しょこら、そういうスポーツじゃないんだってば!こう、お互いに打ち返し合って………うわあああああ!!!」
俺が次々と玉を叩きつける様を見て、ハルトは目に涙を浮かべ、腹を抱えて笑い転げた。
それから、俺達は部屋へと戻る。
「ああ、楽しかった……でもまだ体が痛いよ、しょこらは本当容赦ないんだから……」
「お前が打ち返さないからだろ。にしてもあれはなかなか良い球技だな」
「だからさ、やり方が違うんだって……」
ハルトは俺達のやり取りを、また可笑しそうに見つめていた。
寝る時間になり、俺はピョンとベッドに飛び乗る。
宿屋の大きなベッドは、三人で眠るには十分な広さだ。
俺が右側、アルクが真ん中、ハルトが左側で寝る事となる。
俺はベッドに飛び乗ると、すぐに丸まって眠りに落ちた。
アルクも浴衣を脱ぎ捨てて肌着だけになる。
ハルトはそれを見てなぜか苦笑した。
「アルク君、寝る時はいつもその恰好なんだね」
「うん、だってその方が寝やすいし……」
「僕だからいいけど、他の人の前ではちゃんと服を着て寝なよ」
「え、どうして………って、うわっ!?」
ハルトはアルクをベッドに押し倒し、にっこりと不敵な笑みを浮かべながらアルクを見下ろした。
「ハ、ハルトさん……?」
アルクは何となく恥ずかしくなり、赤面する。
「ほらね、こういう事になるから、もう少し気を付けなきゃだめだよ」
ハルトは面白そうに笑って、アルクの腕を引っ張り起き上がらせた。
「も、もう、からかわないでよ……。それに僕は男だから、襲われたりするわけ……」
まだ顔を赤らめているアルクがそう言うと、ハルトは言った。
「女性相手でも同じさ。君は隙だらけだし、迫られたらそのまま押されてしまいそうだ」
やがてアルクとハルトもベッドに横たわる。
アルクはすぐに、すやすやと寝息を立て始める。
しかしハルトはしばらく仰向けのまま、部屋の天井を見つめていた。
こうしていると、ハジメの頃によく三人で、同じ部屋に寝泊りしたことを思い出すのだ。
そんなことを知る由もない俺達は、呑気に眠り続けている。
あの時、アルクはたまに、寝言でハルトの名を呼んでいた。
自分がハジメだった頃、たまに耳にするそのハルトという名を聞いて、ハジメは不思議に思ったものだった。
しかしその後、自分が禁忌を犯して生まれ変わることを決めた時、ハジメはやっと理解する。
ハルトというのは、おそらく生まれ変わった自分の名なのだと。
おそらく見た目が似ているから、アルクはハジメを初めて目にした日、思わずハルトと声をかけたのだ。
そしてその頃の俺達の様子から、ハルトは自分がこの先命を落とすであろう事も理解している。
どうせ禁忌の呪いのせいで、あともう少しの命という事には変わりない。しかしおそらく自分は、魔王との戦いに協力する中で命を落とし、体を乗っ取られるだろう。
ハルトは右を見て、俺とアルクを見つめる。
最後にまたこうして、共に時間を過ごすことができて、本当に良かったと思う。
その時俺は、なぜかふと目を覚ます。
体を起こして伸びをして、左に目をやると、ぐっすりと眠っているアルクの横で、ハルトが上体を起こして座っている姿が目に入る。
ハルトは物音で俺に気付き、こちらに目をやった。
「やあ。ごめん、起こしちゃったかな」
「いや。しかし何してるんだ。眠れないのか?」
「……いや、ただ少し昔のことを思い出していただけだ」
部屋が暗いせいか、俺がまだ寝ぼけているせいかは分からないが、ハルトはどこかいつもと様子が違う。
快活ににっこりと笑う姿はなく、どこか悲しみを湛えた表情で、じっと空間の一部を見つめていた。
しばらく無言だったハルトが、やがて俺に向かって言う。
「すまないが、一つ、お願いを聞いてくれないかな」
「何だ」
「君のあの、忍者の姿……。実は、僕の知り合いにすごく似ていてね。ほんの一瞬でいい、もう一度、その姿を見せてくれないかな……」
俺はハルトを見返した。
いつものように俺をからかう様子はなく、その調子はどこまでも沈んでいて、寂しそうだ。
俺は小さくため息をつき、その場で猫耳忍者に変身する。
我ながらお人好しなのだ。
月光に照らされた俺の姿を見て、ハルトの目が光を帯びる。
とても大切な何かを眺めるように、ハルトは俺を見つめ続け、その姿を目に焼き付ける。
それはハルトにとっての勇者の姿だった。
とても強くて勇敢で、自分のために大衆の前で屈強な男達を叩きのめした、あの勇者だ。
やがて1分程すると、ハルトは俺に礼を言った。
「ありがとう。もう十分だ。」
俺は元の姿へと戻り、またベッドの上で丸くなる。
翌朝目を覚ました時、俺はその時のことを、全く覚えていなかった。