2.ハルトの思い出
俺達がハルトが所属する護衛隊の、実地訓練に参加した時のことだ。
訓練の六日目と七日目、俺とアルクとハルトは、三人一つのグループとなり行動する事となった。
それは最終訓練で、少人数のグループに分かれて森を進み、設定された目的地までの所要時間を競い合うというものだった。
設定された目的地とは黒霧の森の東に位置する、ロカド山岳の入り口だ。
山岳が近づくにつれ、森の道は険しくなる。
地面が盛り上がり、小高い丘や山となり、足を滑らせると落下してしまう危うい場所が多くなった。
俺達は足元に注意しながら、慎重に進む。
ハルトは慣れたものだし、俺は四つの足で難なく進むが、アルクは常に必死だった。
「うわっ!!こ、怖いよ、ここ足を滑らせたら死んじゃうんじゃないの!!?」
俺達はその時、岩肌がむき出しになった険しい斜面を登っていた。西から東へと進んでロカド山岳を目指す俺達は、そこを上り切らないと入り口に到達できないのだ。
「もうだめ、握力も無くなって来たし、もう限界……って、うわああぁぁっ!!」
その時、足を滑らせたアルクの手が、掴んでいた岩から離れる。
アルクは今にも、数メートル下の地面へと落下しそうになる。
しかし、アルクの上を上っていたハルトが斜面を滑り降り、アルクの右手をがしっと掴んだ。
ハルトは左手で岩肌を掴み、右手でアルクの手を握っている。
「アルク君、言っただろう、君は回復魔法が使えるんだから、うまくそれを体の一部に使いながら登るんだ。最もそれは最終手段だけどね。本当は魔法なしで登れるぐらい、普段から筋肉トレーニングを……」
「ハ、ハルトさん、今はそれよりも助けて……」
アルクの体は完全に宙ぶらりんだ。
ハルトはアルクを引っ張り、改めて斜面に出っ張っている岩を掴ませた。
「た、助かった……ありがとう……」
「まったく、町に戻ったら毎日筋トレのメニューもこなしてもらった方がいいかな……」
「そ、そんな……というか戻ってもまだ訓練するの……?」
「僕は残念ながら忙しくなるから、この訓練の後はあまり時間がないんだ。だから君達だけでもこなせるメニューを何か考えて……」
「おい、いいからさっさと登って来いよ!!」
斜面にしがみ付きながら話すアルクとハルトに、俺は上から呼びかける。
これ以上ハルトに訓練の話をさせるのはごめんだ。
やっと小さな崖のような斜面を登り切ると、アルクは大きく息をついた。
「ああ、死ぬかとおもった……」
それから程なく俺達は、集合場所にたどり着く。
そこには中隊長の姿すらなく、俺達はなんと一番乗りだった。ハルトがいたおかげに他ならない。
「よかったね、君達は合格だよ。まあでも、もしまた次回も参加したければ……」
「断る。一回でこりごりだ」
俺が即座に言うと、ハルトは可笑しそうに笑った。
俺達は他の隊員達が現れるまで、入り口近くにある岩に腰を下ろして待った。
「いやあ、それにしても君達は本当に強いね。あの植物との戦いといい、さすがだよ」
ハルトが俺達に言うと、アルクはハルトを見つめ返す。
「でも、ハルトさんがいないと、危ない場面もたくさんあったし……皆で魔物を討伐する時だって、ハルトさんの指揮がなきゃ僕はうまく戦えなかった。すごいのはハルトさんの方だよ!」
アルクが目をキラキラ輝かせながらそう言うと、ハルトはなぜか苦笑する。
そして手をアルクの頭に載せながら言った。
「君にずっと言いたかったんだけど、あまり無意識に人を惑わすのは良くないよ。中には勘違いする人もいるからね」
アルクは何の話かさっぱり分からなかった。
何かおかしいことを言ったのかと、きょとんとしている。
そう、ハルトは四百年前からずっと言いたかったのだ。
ハルトがハジメだった頃、俺は猫耳忍者で、アルクは女の姿だった。
しかしアルクは、自分が女だという事を全く意識していない。
平気でハジメの前で肌着になるし(俺もだが)、その黒い瞳でハジメの目をじっと見つめたり、手を握ったりする。
それにやけに必死になって、ハジメを罵倒する町人に向かって反発したりする。
普通の男ならば確かにたぶらかされそうだ。
しかしハジメは最初からアルクのことを、女の恰好をした男の子みたいだと思っていた。
その恥じらいのなさ、自分のことを僕と呼ぶところ(俺も俺と呼んでいるが)、そして俺に対する大きすぎる愛情。
そしてある日、アルクが脱ぎ捨てた服のポケットからはみ出した冒険者カードで、ハジメはアルクの本当の名を知る。
アルクというのは男名なので、ハジメはそこでほぼ確信した。
もちろん男と気づいたところで、どうという事はない。
事情があり正体を隠しているのだと思ったし、ハジメのアルクに対する印象が変わることはなかった。
しかしアルクの思わせぶりな態度を見て、ハジメはしばしば心の中で苦笑した。
「……全く、僕だから良かったものの、普通の男相手だったら、そのうち襲われるかも知れないよ……」
ハジメは余程忠告しようかと思ったが、アルクの正体に気付いている素振りは見せないようにしていたし、大きなお世話かとも思ったので、結局何も言わなかった。
「……あの、ハルトさん、どうしたの?」
ハルトがぼーっとして何やら考えているので、アルクはハルトに問いかけた。
ハルトは再び目の焦点を合わせ、アルクの方を見る。
「いや、ちょっと昔のことを思い出してたんだ。……大丈夫、いい思い出のほうだ」
また辛い過去を思い出したのかと心配そうに見つめるアルクに、ハルトは笑って言った。
そのうち中隊長が到着する。
そして他の隊員達も、全員が集合時間の正午までに、ロカド山岳の入り口に到着した。
立ち上がったハルトに、アルクが問いかける。
「ねえ、またハルトさんの、良い思い出のことも聞かせてくれる?」
ハルトは、まだ座ったままのアルクを見て言った。
「ああ。いずれ、全て残らず聞かせてあげるよ」