3話 森の庭へ行こう
お嬢様の住まう豪邸には、いくつかの『庭』が存在している。巨大な石像の噴水を中心とした池に水草が生える『水の庭』や、色とりどりの花が一帯に植えられている『華の庭』など、金に物を言わせたような『庭』が数多く、それも広範囲に広がっている。
それは『森の庭』も例外ではなく、そのあまりの広さゆえに迷ったのが、この僕だった。そんなトラウマの場所に向かうべく、朝食を済ませて出発する準備も整えた僕たちは、いよいよ『森の庭』に足を踏み入れていた。の、だが――。
「お嬢様……やっぱり帰っていいですか?」
「いくらなんでも早すぎるわよ〜。まだ森に入って3歩よ?」
お嬢様から苦笑い混じりのツッコミが飛んでくる。それもそのはず、お嬢様の言う通り「まだ森に入って3歩」にも関わらず、トラウマで恐怖心が蘇ってしまったからだ。
そんなすっかり足が動かなくなってしまった僕に対し、声をかけてくれる人がいた。
「大丈夫ですか? サンデル様。ご不安なようでしたら、私が背負ってまいりますよ?」
「……帰るって選択肢は無いんですね」
「それは勿論、お嬢様のご意志が最優先ですので」
妙にミュリエル様への忠誠心が厚いこの人の名前はテオファーヌさん。通称「じいや(さん)」である。
巻き毛の白髪と豊かな白眉、それと糸目が特徴的で、スラっとした細い身体は薄暗い黒の執事服を見事に着こなしている。いわゆる「イケおじ」というヤツだ。
そんなイケおじのじいやさんは、僕の師匠でもある。従者たるものとしての振る舞いや極意のアレコレを、日々指導してくださっているのだ。
やや性格に難ありだけれど。
「……じいやさんに背負われるくらいなら歩きますよ。怖いですけど……」
「左様にございますか。それでは、ご無理なさらずに頑張ってください」
「はい」
そんなじいやさんとのやり取りを経て、僕は脚を震わせながらも、一歩、また一歩と足を進めた。
道中、お嬢様が「そんなに怖いなら私が手を繋いであげるわよ〜?」と顔をニヤつかせてきたが、僕はその手には乗るまいと断り、お嬢様の揶揄いによる苛立ちをバネに歩き続けた。
5分ほど歩くと、遂にそれらしい場所が見えてきた。少し開けたその空間の周りには天使の石像が置かれ、中央付近に聳え立つ大木に吊るされたぶらんこは、静かに木漏れ日を浴びている。
「ふふっ、やっと着いたわ〜!」
お嬢様は無邪気に駆けて行く。
その先にある芸術的で神秘的な場所こそ、『森の庭』だった。