4駅目:40代 男性
ピンポーンという音と共に電車の扉が開いた。
慌てた様子で男性が一人車内からホームに飛び出した。
男性が降りるとすぐに電車の扉が閉まり発車した。
男性は走り去る電車を背にホーム上をキョロキョロと見回した。
「お客様、どうかさないましたか?」
突然声掛けられ男はビクリと体を跳ねさせて驚いた。
振り返るとそこには帽子をかぶり茶色い上着に黒のズボンを身につけ、ホイッスルを首から提げて赤色の旗が巻きついた棒を持った女性が立っていた。
「すいません。駅員さんですか?どうやら寝過ごしちゃったみたいで…。ここはどこですか?」
男性は慌てた様子で女性に訊ねた。
「ここはキサラギ駅です。そして私はここの駅員をしています」
女性は胸元の『駅員』と書かれたプレートを指で示した。
「キサラギ?」
男性はそんな駅は知らないというように首を捻った。
「お急ぎのようにお見受けしますけど?」
駅員は男性に訊ねた。
「あっ、そうです。今日はちょっと急ぎで帰りたくて」
男性は思い出したように答えた。
「そうでしたか。寝過ごされてしまったということですけど、どちらまでご利用予定でしたでしょうか?」
駅員は男性に再度訊ねた。
「浦和までです」
男性は答えた。
「わかりました。それでは次の電車は10分後になります。こちらのホームで少々お待ちください」
駅員は腕時計で時刻を確認すると男性にそう告げた。
「10分後ですね。ありがとうごさいます」
男性はそう答えるとホームを見渡した。
ちょうど真ん中あたりにベンチを見つけるとそちらへ移動するとドカッと勢いよく腰を下ろした。
「ふぅ。危なかった…」
男性は大きくため息をついた。
ふと隣に視線を移すと、そこには小学生くらいの男の子が座って男性の方を見ていた。
「あっ、ごめん。びっくりさせちゃった?」
男性は思わず男の子に謝罪した。
「うぅん、そんなことないよ」
男の子は首を横に振った。
「おじさん随分急いでるみたいだけど、どうしたの?」
男の子は男性に質問した。
「あぁ、駅員さんとのこと見てたのか?いや、電車で寝過ごしちゃったみいでね、降りる駅を間違えちゃったんだ。今日は娘の誕生日だから早く帰ってくるように言われててね。なんだこんな日に限ってやっちゃって、参っちゃうよ」
男性は少し恥ずかしそうに頭を掻いた。
「そうなんだ。子供思いなんだね」
男の子は男性に訊ねた。
「そうかな?一人娘だからかもね」
男性は目を細めた。
「あのさ…、おじさん」
すると男の子は少し遠慮しがちに声をかけた。
「ん?なんだい?」
男性は男の子の異変に気付いて心配そうに答えた。
「子供思いのおじさんに相談したいことがあるんだ…」
「俺に相談?」
「うん。誰にも言えなくて…。でも誰かに相談したくて…」
男の子は今にも泣き出しそうな表情で男性を見つめた。
「俺でよかったら話くらいなら聞くよ」
男の子は自分の娘と同じくらいの年齢に見えた。
もし娘が同じように相談してきたら、きっと相談に乗るだろう。
男性は男の子のお願いを快く快諾した。
「本当!?ありがとう」
男の子は嬉しそうに答えた。
「で、相談って何だい?」
恋の相談だろうか、勉強の相談だろうか。将来なりたい職業についてだろうか。
男性の頭の中にいろいろなことが思い浮かぶ。
「あのね、僕…、学校でいじめられてるんだ…」
「えっ!?」
予想していたものとは違う、重いものだった。
「僕、何もしていないのに、うざいとか邪魔とか臭いとか言われて…。最初は悪口だけだったんだけど、そのうちそれがどんどんエスカレートしてきて。毎日殴られたり蹴られたり、物を隠されたり…。でもそれだけじゃ飽き足らなくなったのか。最近じゃ体を押さえつけれれて死んだ虫を食べさせようとしてきたんだ。クラスメイトはそれを見ても誰も止めようともしてくれなくて…」
「何だよそれ…」
あまりの壮絶な話に男性は言葉を失った。
「ねぇ、僕どうしたらいい?」
「先生やご両親には話したのかい?」
さすがに自分一人じゃどうすることも出来ないと思った男性は、男の子の周りの大人に助けを求めることを提案した。
「父さんと母さんには心配かけたくなくて…。先生には言ったんだけど、お前にも悪いところがあったんじゃないかって、逆に怒られちゃったんだ」
「なんだよ、その先生」
教師のあまりにもな対応に怒りを覚えた。
と同時に両親に心配をかけさせたくないという男の子の心優しさに関心した。
「おじさんだったら、こんなときどうする?」
男の子は男性にまっすぐな瞳を向けて訊ねた。
「学校に行かないとか?」
「それじゃあ父さんと母さんに心配かけちゃう…」
「そうか…。でも行かない方がいいと思うよ」
男性は男の子のことを本気で心配した。
もし自分の娘がこうなったら、自分はどうするだろう。
「それって逃げにならない?」
男の子は訊ねた。
「全然逃げなんかじゃないよ」
男性は優しげに答えた。
「そっか。じゃあ、そうしてみようかな」
男の子は少しすっきりしたような表情に見えた。
それを見て男性も安堵した。
「でもやられっぱなしはやっぱり嫌だな。一発くらいやり返してやってもいいよね?」
男の子はいたずらっぽい笑みを浮かべて男性を見た。
「そうだな。今まで一杯やられたんだろ?だったらそれくらいいいんじゃないか」
「そうだよね。うん、わかった。一発やり返してみるよ!」
男の子は力強く答えた。
その直後にピンポーンという機械音と自動アナウンスがホームに鳴り響いた。
『まもなく、ゲンセ行きの電車が参ります。ご乗車ください』
時計を確認するとまもなく10分が経とうとしていた。
行き先に聞き覚えはないけれど、駅員が教えてくれた電車に間違いないと思われる。
「電車が着たみたいだから、俺は行くね」
男性はそう言うとベンチから立ち上がった。
「うん。わかった。おじさん、話し聞いてくれてありがとう」
男の子は笑顔を浮かべて男性に感謝を述べた。
男性は無言で頷くとホームの端、足元に書かれた停車位置の表示のところへ移動した。
ファーンという警笛と共に電車のヘッドライトとホームに差し込んできたときだった。
男性の背中を誰かが突き飛ばした。
「うわぁ!!!」
男性は叫び声を上げると線路に転落した。
ピーーーーと、ものすごい警笛が鳴らされる。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
迫り来る電車に男性は叫び声を上げ、目を閉じた。
◇◇
ピンポーンという音の後「扉が閉まります」という音声に続いてシューという音が聞こえる。
男性はゆっくりと目を開けた。
「あれ?」
男性は目の前の光景に困惑した。
男性が立っているのは線路上ではなく、ホームだった。
目の前に止まっていた電車がゆっくりと発車した。
「どうして?」
男性は思わず我が身を確認する。
自分は死んでしまったのだろうか?
「お客様?ご乗車になられなかったんですか?」
聞き覚えのある声がした。
「駅員さん。あの、俺誰かに突き飛ばされて…。それで電車に撥ねられたんです。なのに、何故か今ここにいて?一体何がどうなってるんですか?」
頭の中が混乱していた。
男性は自分でも何を言っているんだと思いながらも駅員に訊ねた。
「今ここにいらっしゃるということであれば、何も問題はありません。30分後の電車をご利用ください」
駅員は平然と答えた。
「いや、だから、撥ねられたはずなんです?」
男性は理解できずに食い下がった。
「でもお変わりはないんですよね。どこか痛めたとか」
「それは……ないです」
男性は自らの体に異常がないことを確認すると答えた。
「ここからは自ら進んで外へ出ようとする意思がなければ出ることが出来ないんです。お客様は自らの意思で電車に飛び込んだんですか?」
「いや。誰かに急に背中を押されて…」
「もしお客様が自らの意思で電車に飛び込んだのでしたら、お戻りになられた先で電車に撥ねられることになるでしょう。でも違うのであればお客様の意思に反することが起こったということですので、強制的にホームに戻されるということになります。それが今の状態です」
「はぁ…」
駅員の説明に男性は生返事を返した。
一体何がどうなっているんだ?男性は首を捻った。
「おじさん、乗りそこねちゃったね」
男性の後ろから声がした。
振り返るとさっきまで話をしていた男の子が立っていた。
「あっ!?」
男性はある可能性に気が付くと一歩後ずさりした。
あのとき自分の後ろにいたのはこの男の子だけだ。
だとしたら、自分を線路に突き飛ばしたのはこの子ということになる。
「君が俺を突き飛ばしたのか?」
恐る恐る男性は訊ねた。
「うん、そうだよ」
すると男の子は平然と答えた。
「どうしてあんなことをしたんだ!いたずらにしても程があるぞ!」
男性は男の子に激怒した。
すると男の子は怒る男性を見てニヤリと口元を歪め言った。
「だって一発やりかえしてもいいって言ったじゃない?」
「はぁ?」
男の子の言葉の意味が理解できず、変な声が出た。
「それは君をいじめていたヤツに対してだろ!俺にしていいって意味で言ったんじゃない!そんなこともわからないのか!?」
男性は声を荒らげた。
しかし男の子は男性の怒号を聞くと今度はクスクスと笑い出した。
「何が可笑しい?」
その様子に男性は困惑した。
「うん、それはわかってるよ。わかってるからしたんじゃない」
男の子の言葉の意味がわからず、男性はますます困惑する。
「一体さっきから君は何を言っているんだ?」
変な汗が出てくる。言い知れぬ恐怖に男性は襲われていた。
「いやだなぁ。忘れちゃったの?タクロー君」
「!?」
男性は驚きのあまり固まった。
「どうして俺の名前を知ってるんだ?お前は一体誰なんだ?」
どうしてさっき会ったばかりの男の子が自分の名前を知っているのか?
そもそも彼は自分を殺そうとした。
話が見えないが自分の身に危機が迫っているということだけはわかった。
恐怖から足が震える。
そんなことは気にせず、男の子は男性に近づくとこう言った。
「忘れちゃったの?寂しいことを言わないでよ…。僕だよ僕。君が小学生のときにいじめて自殺したカナメだよ」
「カナメ…?小学生のとき…?」
男性は小さく呟き昔の記憶を思い返した。
「あっ!?」
そしてとある記憶に行き着いた。
「思い出してくれた?」
男の子はにんまりと笑みを浮かべた。
「ま、待て!どうして俺なんだよ?他にもお前をいじめてたヤツがいただろ!?」
男性はまた一歩後ずさりした。
「他?あぁ…、確かにそうだね。でもさ、僕を一番いじめてたのは君だよね?」
男の子はまた一歩男性に近づいた。
「そんな昔のことなんて誰も覚えていねぇよ!言われるまで忘れてくらいだし、お前がいようがいまいが結局のところ何にも変わらなかった!何で今なんだよ!?とっとと成仏しろよ!それに死んだのはお前が勝手にやったことだろ?なんで俺たちに責任があるんだよ!?」
男性は悲鳴にも似た声を上げた。
さらに後ずさりしようとしたが、すでにホームの端に達しておりこれ以上は下がれなかった。
「昔のこと?誰も覚えていない?勝手にやったこと?」
男の子は男性の発した言葉を繰り返した。
「そうだよ。だからなんだよ!」
男性はにらみ返した。
「ふざけるなよ!それはお前たち加害者が一方的に言ってるだけのことだろ!僕が何を思って、何を考えてそうしたのか、どれほど苦しい思いをしていたのかお前にはわからないのか!?」
「し、知るか!そんなもん!さっさと消えろ!気持ち悪い!死んでも気持ち悪いとか本当に終わってるな、お前!」
男性は叫んだ。
その言葉を聞くと男の子は男性に詰め寄るのを止めた。
「そう。君が本当に反省していて、謝罪してくれたのなら許そうと思っていたんだけど、僕が甘すぎたよ…」
「はっ?」
男の子からはそれまでとまったく違った不気味な雰囲気が醸し出されているのを男性は感じ取った。
「僕は天国に行けるらしいんだ。だけど辞めることにするよ。君を道ずれにして地獄に行こうと思う。だから一緒に地獄に落ちよう!」
そう言うと男の子は男性に飛び掛った。
「うわぁ!」
男性は飛び掛ってきた男の子から逃げようと線路へと飛び降りた。
「ふざけるな!地獄だと!?そんなもん勝手に一人で行ってろ!俺にはお前と違って家族がいるんだ!そんなとこ行ってる暇なんてないんだよ!」
男性は必死に線路上を走って逃げる。
「どうして逃げるんだい?君は僕をいじめたヤツにはやり返してもいいって言ったじゃないか?君自身が言ったんだよ?」
「ふざけるな!そんなもん知るか!」
男性は振り向くことなく走り続けた。
線路の両側は防音壁の高い壁で囲まれており線路外へ出ることが出来ない。
そんな中、一部が金網のフェンスになっている箇所を見つけた。
「ヤバイヤバイヤバイヤバイ」
男性は必死にフェンスをよじ登ると一番上にたどり着いた。
「捕まえられなくて残念だったな!あばよ!」
男性は男の子の方を振り返って叫んだ。
そしてフェンスから線路外へ飛び降りた。
フェンス越しに落下していく男性の姿を男の子は黙って見つめるとポツリと呟いた。
「君は少しは変わっていると思っていたんだけどね。まったく変わっていなくて残念だよ」
その口元は笑っていた。
■■■
話は少し戻る。
ホーム上で男性と男の子が口論をしていた。
それを駅員は黙って見ていた。
駅員への暴力行為の上位に入るのが乗客同士の揉め事の仲裁行為中の出来事だ。
なんとなく危険を感じ防災ブザーの準備をしていると、突然男性がホームから線路へと飛び降りた。
そしてそのまま線路上を逃走する。
男の子も後に続いた。
駅員はその光景を確認すると腰元につけた無線を手に取った。
「運輸指令、運輸指令。こちらキサラギ駅。只今線路上にお客様1名の侵入を確認」
無線を飛ばす。
返答はすぐに返ってきた。
『こちら運輸指令。キサラギ駅、線路上乗客1名侵入を確認。進入方向の情報求む』
「こちらキサラギ。乗客は只今ジゴク方面に進入中」
『ジゴク方面進入中、了解しました』
無線が切れると駅員は無線を腰元のホルダーに戻した。
「ここから元の世界に帰るには電車に乗るしかないんだけどな。自分から線路外に飛び降りたら、その後一体どうなってしまうのか考えなかったのかな?」
そう呟くと通常業務へ戻った。
■■■
「パパ、遅いね」
「そうね。今日は早く帰って来るって言ってたんだけどね」
娘の愚痴に母親は時計を眺めながら答えた。
夫は今日は早く帰ってくると約束した。
しかし約束をしていた時間はとうに過ぎていた。
プルルルルと突然家の電話が鳴った。
「パパかな?」
娘はかかってきた電話に反応した。
「ん~、どうだろう?パパだったらママのケータイに直接かけてくるはずだから」
こんな時間に誰だろう?そう思いながら母親は電話に出た。
「はい、もしもし。……はい、それは夫の名前ですけど?……えっ」
受話器が床に落ちた。
「ママどうしたの?」
娘は放心状態で立ち尽くす母親を見て心配そうに駆け寄った。
リビングに点けっぱなしになっていたテレビのニュース番組に速報が流れた。
『ここでたった今入った速報です。先ほど埼玉県浦和駅前のロータリーに空から人が降ってきたとの通報がありました。警察によると、持ち物などから落ちてきたのは近くに住む40代の男性とみられ、その場で死亡が確認されました』