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3駅目:80代 男性

 ピンポーンという音と共に電車の扉が開く。

 やせ細った高齢の男性が一人、杖を突き、足元を気にしながらゆっくりと車内からホームに降り立った。

 男性が降りるとすぐに電車の扉が閉まり発車した。


 その様子を男性は走り去る電車には見向きもせず、杖を突きながらトボトボと短い歩幅でホーム上を歩く。その足取りはなんとも危なっかしいものだった。

 ベンチの前まで来るとベンチに手を突きフゥっと一息ついた。


 「お客様、大丈夫ですか?」

 男性は特に驚く様子も見せず、声の方を振り返った。


 そこには帽子をかぶり茶色い上着に黒のズボンを身につけ、ホイッスルを首から提げて赤色の旗が巻きついた棒を持った女性が立っていた。


 「あぁ、大丈夫です。心配させてしまって申し訳ない」

 男性はにこやかな笑顔を浮かべて女性に向けて答えた。


 「お水持ってきましょうか?」

 女性は心配そうに男性に訊ねた。

 「いえいえ、大丈夫ですよ」

 男性は女性の申し出を断った。


 「久しぶりに外出したものでね、少々疲れてしまってね。気付いたら降りる駅を過ぎてしまっていたみたいで…。いやぁ~、申し訳ない。少し休めば大丈夫ですから、ご心配なく」

 男性はなおもにこやかな笑顔を浮かべて答えた。


 「わかりました。私は駅員ですので、何かありましたら何なりとお声掛けください」

 駅員は少し心配気味に男性に声をかけた。

 男性は軽く会釈をすると、よいしょと一言呟くとベンチに腰を下ろした。


 「そういえば、ここはどこ駅ですか?」

 男性は思い出したように近くで様子を見守っていた駅員に声をかけた。


 「ここはキサラギ駅です。お客様はどちらまで行かれる予定でしたか?」

 「キサラギ…?あぁ、すいません。土地勘がないもので。電車に乗ったのは勤め人時代以来になるものでね」

 男性は申し訳なさそうに答えた。


 「いいえ、大丈夫ですよ」

 駅員は男性に近づくと腰を屈めて声をかけた。


 「今日は家内の1周忌でね。近くの寺で法事を終えて墓参りの帰りだったんですよ。家内は海が好きでね。だから少し遠いけれど海の見える場所にお墓を建てたんです。まぁ、誰の相談もなしに勝手に決めた自己満足ですけどね」

 男性は少し寂しそうに笑った。


 「そんなことはないと思いますよ。素敵なことだと思います」

 駅員は静かに答えた。


 「生きている間にもっといろんなことを一緒にしてやりたかったんですけどね。如何せん仕事人間だったもので。考えているばっかりで、実際にはこれといったことをしてやることも出来なくてね。また後でとか今度の機会にとかそういって先送りにしてばかりいたんだ。目の前のことしか見えていなかったんだね。年を取ると、その今度が来ないかもしれないなんて気付いてもいなかった。そうこうしているうちに一人残されてしまってね。情けない話だ」

 男性は目頭を押さえた。女性は黙ってそれを聞いていた。


 「あぁ、すいません。勝手にべらべらと。お仕事中なのに」

 男性は駅員に向かって謝罪した。

 「そんなことはありませんよ」

 駅員は言葉少なく答えた。

 「奥様が大好きだったんですね?」

 続けて男性に声をかけた。

 「ははは。年甲斐もなく恥ずかしい」

 男性は少し照れながらに目元に涙を滲ませたままにこやかな笑みを浮かべて言った。


 「家内がいなくなってから心にポッカリと穴が開いてしまってね。いなくなって初めて家内の偉大さというか、存在の大きさに気付かされたよ。そして、私が家内のことをとても愛していたということも…」

 男性の頬を一筋の涙が流れた。


 「家内はどう思っているのかはわからないけれど、私はまた会いたいねぇ。もしもう一度生まれ変わっとしても、私は迷うことなく彼女を選ぶだろうね。それくらい彼女はすばらしい女性だったんだ。生きているうちに本当はもっと伝えておくべきだったといまでも後悔しているよ…」

 男性はそう言うと流れる涙を手で拭った。

 「……」

 駅員はその痛々しい姿に何も言葉をかけることが出来ずにいた。


 「あぁ、すいません。また勝手にベラベラと。いかんね。年を取るとつい話が長くなる。えっと、どこまで行くのかでしたっけ?普段利用しない路線なのでイマイチ土地勘がなくてね…」

 そう言うと男性は着ていた上着の胸ポケットを手で探る。どうやら切符を探しているようだった。

 「あぁ、あった。これだ、これ。えぇっと、行き先は…、あれ?」

 男性は手にした切符を不思議そうに見つめた。


 「どうかされましたか?」

 駅員が心配そうに訊ねた。

 「いえ…。行き先が書いてないんですよ。確かに買ったときには書いてあったはずなんですけど…?」

 そう言うと男性は切符を駅員に見せた。

 何も印刷されていない真っ白な切符だった。

 「あっ…、これって…」

 駅員は切符を見ると驚きの表情をした。


 「これは切符じゃないですよね?ちゃんと買ったはずなんですけど…」

 男性はもう一度上着を探りながら不安そうに訊ねた。

 「いえ、この切符で大丈夫ですよ。ただ、その……お戻りになられるのは、ご自宅の最寄駅でよろしいですか?」

 駅員は男性の方をちらちらと見ながら訊ねた。

 「そうですね。早く帰って家内に線香をあげたいので」

 男性はそう答えた。


 「あの、もし仏前ではなく、実際に奥様と会えるとしたら、お客様はどちらを選ばれますか?」


 「実際に会える?」

 駅員の問いかけに男性は不思議そうな顔をした。


 その時だった。ピンポーンという機械音がホームに鳴り響いた。



 『まもなく、テンゴク行きの電車が参ります。ご乗車の資格がある方はご乗車ください』



 続いて自動アナウンスが流れると、ファーンという警笛と共に目の前のホームに電車が滑り込んできた。

 キキーというブレーキ音と共に電車が停車すると、扉が開いた。

 男性はその光景をただ黙って見つめていた。


 車内には数人の乗客が席に座っていた。

 何気なく車内の様子を見ていた男性だったが、ある乗客の姿に驚くと眼を見開いた。


 「トシエ!」


 勢いよく立ち上がると車内に向かって誰かの名前を叫んだ。


 「トシエ!俺だ!ヒロシだ!」

 男性はなおも叫んだ。

 すると車内いた乗客の一人がその声に反応した。


 「あなた?」

 「トシエ!お前、トシエで間違いないんだよな?」

 乗客は年配の女性だった。

 驚いたような顔をすると席を立ち上がり扉の前に駆け寄った。


 「そうよ。久しぶりね、あなた。何だか随分やせ細っちゃって…。ちゃんとご飯食べてるの?」

 女性は男性の姿を見て心配そうな顔をした。

 「ろくに料理なんてしたことなかったからな。近所のスーパーの出来合いのものばかりだよ」

 男性は少しバツが悪そうに答えた。

 「ダメじゃない。昔から血圧も高いんだから、もっとちゃんとしたもの食べないと」

 女性は男性を叱るような口調で注意した。


 「お前の煮物がもう一度食べたい」


 「えっ?」

 男性はポツリと呟いた。

 その呟きに女性は驚いたような顔をした。



 「お前のシチューが食べたい。お前の肉じゃがが食べたい。お前のカレーが、お前のおせちが、お前のグラタンが、お前の……、お前の料理がまた食べたい!俺はずっとお前と一緒にいたい!」



 男性はそう叫ぶとその場に泣き崩れた。


 「あなた…」

 女性はその姿を戸惑いの様子で見つめていた。


 「お客様はこの電車にご乗車出来る切符をお持ちです。ですので、お連れ様と一緒にご乗車することが可能です」

 駅員が男性に近づいて声をかけた。


 「どういう、ことですか?」

 男性は振り返って駅員に訊ねた。


 「お客様はご自宅にお戻りになりたいですか?それともそちらの方とご一緒に行かれたいですか?」

 「それは…」

 駅員の言葉を聞くと男性は車内にいる女性の方を見た。


 「お前は、俺と一緒にいて、どうだった?」

 少し震えた声で男性は女性に訊ねた。


 「どうって…。別に私はあなたのこと嫌いじゃないですよ」

 「いや、でもろくに一緒に出かけることもしなかったし、好きなものだって買ってやったこともほとんどなかった!俺はお前と一緒にいてよかった人間なのか?ろくに感謝の言葉も言えない男だぞ?」

 男性は叫んだ。

 その叫びに女性は少し困った顔をした。


 「何を言うのかと思えば、そんなことですか」

 そう言うと女性は膝を折り、地面に座り込んだ男性と同じ目線になった。


 「一緒にいたくなかったら、あなたのことなんてもうとっくに忘れてますよ。でもいつまでたってもあなたのことが心配で堪らないんです。ちゃんとご飯食べてるかなとか、ちゃんと薬飲んでるかなとか、ちゃんとゴミ出しの日間違えてないかなとか…」

 「俺は小学生じゃないんだぞ」

 女性の言葉に男性は目元の涙を拭うと少し照れながら答えた。


 「だから私はあなたと一緒になって本当によかったと思ってます。あなたは気付いてないかもしれませんけど、あなた、結構いい旦那だったんですよ。感謝の言葉なんてなくても、あなたが私に感謝してるっていうのは十分伝わってましたよ」

 女性はにこやかな笑顔した。

 「ありがとう…」

 男性は笑顔を見て大粒の涙を流した。


 「あの切符をお持ちということになると、お客様も近いうちにお迎えが来ると思います。そのときにお連れ様と一緒になれるかはわかりません。しかし今ならば確実にご一緒になれますが、いかがなさいますか?」

 駅員は静かに男性の覚悟を訊ねた。


 「一緒に行っていいか?」

 駅員の言葉を聞き、男性は女性に訊ねた。

 「私は別に構いませんけど、あなたはもういいの?」

 「あぁ、もう十分生きたよ。お前と一緒にいられるのなら、地獄だろうと構わないよ」

 「私は地獄は嫌ですよ。どうせ行くなら天国がいいわ」

 女性はそう言って笑った。

 そして男性に向けて手を差し出した。


 「そういえば、プロポーズもお前からだったっけ?こうして手を出して結婚しましょって。今で言う逆プロポーズっていうヤツだっけ?」

 「そうでしたっけ?恥ずかしいこと思い出させないでくださいよ」

 女性は少し照れながら答えた。

 「いつもお前が俺を引っ張ってくれていたけど、またそうなってしまったな」

 「じゃあこれからはあなたが私をエスコートしてくださいね」

 「ああ、任せておけ」

 そう言うと男性は女性の手を取り電車に乗り込んだ。


 「駅員さん、ありがとうございました。私に後悔はありません。これからもお仕事頑張ってください」

 男性は振り返って駅員に頭を下げた。


 同時にピンポーンという音がして扉が閉まり電車が動き出す。


 二人は仲睦まじく手を繋ぐと繋いでいない手で駅員に向けて仲良く手を振った。

 ファーンという警笛を響かせテールランプが小さくなり、やがて見えなくなった。



 ◇◇◇




 海が見える高台にある墓地の一角にある墓石の前で、一組の兄妹が手を合わせていた。


 「まさか母さんに続いて父さんまでとは…」

 兄がポツリと呟いた。

 「しかもちょうど一年後って、どういうことだよ」

 「まるで母さんが父さんを連れて行っちゃったみたいだね」

 兄の言葉に妹が続いた。


 「それじゃまるで母さんが悪者みたいじゃないか」

 兄は妹の言葉に抗議した。

 「それもそうね。母さんはそんな人じゃないし、逆に父さんが母さんの後を追いかけたって言われた方がしっくりくるわ」

 妹が笑った。


 「確かに母さんが死んでから、随分父さん弱っちゃったもんな」

 兄はしみじみと生前の父の姿を思い返す。

 「人間ってあんなにすぐに弱弱しくなるんだな」

 「そうね。私達ももっと父さんのこと気にかけてあげるべきだったわね」

 妹は後悔を口にした。


 「でも随分穏やかな顔だったよな。あんなに穏やかな顔も珍しいってさ」

 「じゃあ、きっとあの世で母さんと仲良くやってるってことなんじゃない?」

 「仲良く?父さんってそんなに母さんのこと好きだったのか?」

 兄は意外そうな表情をした。


 「兄さん知らなかったの?父さん、母さんにベタ惚れだったんだよ」

 「そうなのか!?あの父さんが?知らなかった…」

 兄は初めて知る事実に心底驚いた。


 「まぁ、でも母さんも父さんのこと大好きだったみたいだから、本当にいい夫婦よね…」

 妹はしみじみと呟いた。

 「お前、よくそんなこと知ってるな?俺はそんなこと聞いたことなかったんだが」

 兄は両親の意外な一面を知り尽くしている妹のことを不思議そうに見た。

 「男はそんなこと口にしないもんね。母さんはよく話してくれたわよ。父さんとのラブラブ話」

 「本当に!?」

 「ええ。だからもし母さんが父さんを連れてったとしても、きっと父さんは喜んで自分から付いて行ったと思うよ」


 妹はそう言うともう一度墓石に向かって手を合わせた。

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